4.罠
やや過激な描写があります。苦手な方はご注意ください。
夜空が端のほうから白みがかってきた頃、ラザードの街へと到着した。かなり馬を酷使してしまったので、しばらく休ませないといけない。僕たちは街に入り口に馬車を止め、馬を水飲み場に連れて行き街の様子を確認する。
街はまだ静まり返っている。皆が眠っているのだろうかと思えるほどに静まり返っている。それに違和感を感じる。
ラザードの街はこんなに静かではなかったはずだ。工房によっては数日間つきっきりで作業する工程があるので、夜通し作業していることも多い。だがこんなに一斉に作業していないということがあるのだろうか。
【中央の広場に多数の熱源があります】
『血の匂いがするー』
アオイとオルディアが警告してきたのはほぼ同時だった。ちょうど街を南北に貫く大通りに出たところだった。広い通りのせいか、とても風の通りが良いことが幸運だったのかもしれない。
「先生!」
「ええ、間違いなく血の匂いです。それに……もう視認しています」
冷静に聞こえる先生の声はどこか氷のような冷たさを感じるが、それはきっと通りの先にある広場の光景を見たからだろう。一歩一歩歩みを進めるとその先にある光景が僕の目でもはっきりと見えてきた。
広場の噴水の前に集められているのは血だらけの男たち。死んではいないだろうが、皆傷だらけで中には手や足が通常ではあり得ない方向に曲がっている。そして遠巻きに怯えた表情で集まっているのは子供や女性たち。だがそんなことなどどうでもよくなってしまう程に衝撃的な光景があった。
一人の男が何かに腰かけている。その男は吐き気を催すような歪な笑みを浮かべ、ぎらついた目をこちらに向ける。
「ずいぶんと遅い到着だなァ? こっちは退屈で色々と遊んじまったよ!」
大げさな仕草でこちらに声をかける男。こいつがルーインなのだろう。だが今はそんなことはどうでもいい。問題はこいつが腰かけている存在だ。
「ば、ばか……やろう……な……ぜ……きた……」
「わが師の窮地に馳せ参じない弟子がどこにおりますか」
そこにいたのは間違いなくサリタさんだった。だが全身は鎖で巻かれ、跪くように座らされている。衣服はすべてはぎ取られて下着すら身に着けていない。その全身からは血が流れ続けている。
だがそれ以上に酷いのが顔だった。おそらく相当殴られたのであろう、両目はこちらが見えているのかわからないくらいに腫れあがり、口元から見えてくるのはまばらな白い歯。きっと殴られた時に折れてしまったのだろう。さらに美しかった銀髪は無残にも引きちぎられ、剥き出しの頭皮には出血の跡がある。
「テメエが【宵闇】かよ、ジジイじゃねえか。こんなジジイがSランクなんてギルドも大したことねえな」
「サリタさん! しっかりしてください!」
「あぁ? なんだこのガキ、そんなにこのババアが大事かよ。心配すんな、殺しはしねえよ。いくら俺でも殺しちまうと後々面倒だからな。だが殺さなければいくらでももみ消す手段はあるんだよ!」
ルーインは自慢げに話す。細身の身体は引き締まっており、無駄な肉はどこにもない。グレーの髪は油で後ろに撫でつけている。だが一番気になるのはその目だ。常軌を逸したような、それでいて獲物を探す獣のような目はまともな思考を持っていない証のようにも見える。いや、サリタさんをここまで嬲るような奴がまともなはずがない。
「おっと、迂闊に魔法を使うなよ? 俺のことはもう知ってると思うが、光属性の《反射》を得意としてる。このあたりには無数に《反射》を仕込んである。下手に魔法を使えば弾かれて関係の無い奴が怪我するだけだ。もしかすると当たり所が悪くて死ぬかもなァ?」
「や……やめろ……こいつ……の……いうことは……ほんと……だ……」
「うるせえよ、テメエは黙ってろ」
「あああああああ!」
サリタさんの言葉が気に障ったのか、半分ほど残っている銀髪の一部をつかんで引きちぎる。ぶちぶちと嫌な音を立てて髪の毛が引きちぎられ、サリタさんは堪えきれずに絶叫する。
「も、もうやめろ……わたしは……どうなっても……いいから……まちを……」
「なんだぁ? ずいぶん強気じゃねぇか。お願いするなら頼み方があるだろうが!」
「お、おねがい……します……まちを……」
「知るかよ、ばーか。こんな田舎の街がいくら潰れようとも俺には関係ねぇ。俺は自分の目的が果たされればそれでいいんだよ」
慈悲のかけらもないルーインの一言に、ついにサリタさんは腫れあがった両目から涙を流し始めた。これまで気丈に街を護ろうとしていたが、何もできずただ嬲られ、ついには尊厳までむしり取られて惨めな姿を晒して、そして街が潰されていくところを見ているしかないという無念さ。それがどれほどのものかは僕が想像するよりもはるかに大きいはずだ。
「小僧、死にてえらしいな」
「お、どうしたジジイ、そっちが本性か? いいぜ、相手になってやるぜ。ただ気をつけろよ? 下手に魔法を使えばこうなるから……よッ!」
突然ルーインが右手に魔力を集中させる。そしてその先には……娼館のお姉さんたち。皆恐怖でその場から動くことができないようだ。
「面白いもん見せてやるぜぇ!」
先生が殺気を隠すことなくルーインに近づこうとするが、それより早くルーインの魔法が放たれる。光属性の《光の槍》だろうか、殺傷能力は低いが、それでも当たり所が悪ければ致命傷にもなりかねない。それが無防備な人たちに向かって放たれた。
だがその魔法はお姉さんたちに届くことはなかった。突然方向を変えた《光の槍》はル―インへと向かう。いや、ルーインは既にそこにはいない。残されているのは血だらけで動けないサリタさんだけだ。誰もがサリタさんに魔法が直撃すると思っていた。無傷ならともかく、あんな状態で直撃されれば命すら危うい。
だが魔法はサリタさんに当たることは無かった。当たる直前に魔法の前に躍り出た人物が魔法を受けたのだ。今この場でそれだけ早く動ける人物は一人しかいない。
「ば……バーゼル……」
「こんなになるまで……無理しやがって……」
先生がサリタさんを抱きかかえるようにかばい、その背中で魔法を受けたのだ。おそらく先生なら魔法を逸らす、あるいはサリタさんを連れて逃げ出すこともできたのだろう。だがそうすれば残った魔法はきっと街の人たちに向かうはず。ルーインは狂犬のようだが、策を張り巡らす知性もある。きっとこうして受け止めなければ二の矢三の矢があると見越しての行動だろう。だが……
「ぐッ……」
「ちッ、ジジイにしては身のこなしが軽いじゃねえか。おかげで一撃で仕留めそこなったぜ」
先生の右肩には一本のナイフが刺さっていた。そしてその背後には薄ら笑いを浮かべたルーインがいた。先生は肩をかばいつつサリタさんを抱いて距離をとる。しかし予想以上に傷が深いのか、片膝をついたまま動かない。
「だがよぉ、ナイフに仕込んだ麻痺毒が効いてるようだなァ? 俺はよぉ、この仕事が気に入ってるんだよ、何故だかわかるか? それは生かしてさえおけば何をしても許されるからだ。思い切り嬲って、手足斬りおとして、それでも死なないように嬲って、思う存分愉しんで、そのうえ報酬まで貰えるんだからなァ!」
「……狂ってるな、テメエ……」
「それはテメエらが弱いからそう思うだけだろ? 俺は強いから何しても許される。確実に仕事をやり遂げる奴はどこだって欲しいんだよ。特に汚れ仕事を依頼したいお偉方とかはなァ! そいつらに任せりゃ殺しちまっても身代わりまで用意してくれる! こんな嬉しい仕事はどこにも無ぇ!」
勝ち誇ったように語るルーイン。だけどもういい、もうたくさんだ。もうこいつの口からははらわたが煮えくり返るような言葉しか出てこないだろう。そして事前に予想していた以上に先生には不利な状況だ。となれば僕がやるしかない。先生に抱きかかえられてぐったりとしているサリタさんの姿に改めて思う。たとえAランクが相手だとしても、こんな奴には絶対に負けない、と。
読んでいただいてありがとうございます。