3.狂犬
「どうかしましたか? おや、どうしてあなたがこんな場所に?」
「バーゼルさん! 支部長が! 支部長が!」
「まずは落ち着きましょう」
いきなり騒がしくなったせいか、先生が荷台から出てきたのだが、既に武装を整えている。受付嬢さんが来てからものの数分しか経っていないのに臨戦態勢を整えているのは、踏んだ場数の多さからくるものだろう。こういう一面もこれから学んで身に着けていかなければならないだろう。いずれ僕も独り立ちしなければならないのだから。
受付嬢さんは大きく肩で息をしていたが、先生に促されて数回深呼吸するとようやく落ち着きを取り戻した。だがそれでもその顔には明らかな焦りの色が見える。いったいサリタさんに何があったのだろうか。
「こんな時間にこんなところまで来るということは余程のことがあったのでしょう。一体なにがあったのですか?」
「は、はい、お二方が発った後、ルーインという冒険者が訪ねてきました。そしてお二方の行き先とこの街での経緯を教えろと言ってきたんです」
「その名は私も知っています。かなり強引な手段を取る冒険者と聞いていますが」
「は、はい。支部長のほうでも素行の悪さをつかんでいました。さらに彼が今回動いていたのはギルドの依頼ではなく、ある貴族から直接依頼を受けたためです。その場合にはギルドは情報を提供しないことになっています」
ギルドは冒険者のための組織ではあるが、必ず一線を画している。特に情報の提示には厳しく制限を設けている。如何なる高ランク冒険者の要請でも、受けた依頼に関係ない情報は提示しない。特に冒険者の個人情報に分類されるものは厳密に管理されている。
冒険者によっては依頼を横取りされたと勘違いして逆恨みする者もいる。そんな人間に個人情報など渡すことはできない。報復に利用されることが明白だからだ。さらにギルドが最も恐れているのは別勢力からの引き抜き工作だ。ギルドは如何なる勢力とも距離を置くことを信条としているが故に他の勢力は手出しができない。
だが個人情報が洩れて親しい関係にある者が人質にされでもすれば、仕方なくギルドを離れる者も出てくるだろう。手段を選ばずに行動してくる勢力も確かに存在するからだ。
「ですがサリタ師は拒否したのでしょう?」
「はい、すると拒否されたルーインは実力行使に出ました。ギルド内で戦闘になったのです」
「支部長クラスに戦いを挑む……通常なら絶対に選ばない選択です。まさしく狂犬ですな、それほど自分の力を過信しているのでしょうか」
狂犬とはそのルーインという冒険者の二つ名らしいが、まさにその通りだ。ギルドの支部長は万が一の場合の最終戦力となり得る実力を持っている。もちろんそれでも手に負えない魔物や、それこそ魔将クラスには歯が立たないが、それでも住民が避難できる時間稼ぎくらいはできる。そんな相手に自ら戦いを挑むなど常人の考えではない。
「その両方だと思います。結果、支部長は敗れました」
「あの師がですか?」
「はい、相性が非常に悪かったことが原因です。ルーインは光属性魔法の使い手でした。魔法主体で戦う支部長にとっては最悪の相手ですが、立場上引くことができなかった支部長は半ば一方的に……」
「光属性……《反射》ですね……」
先生が表情を歪ませる。サリタさんの実力は弟子でもある先生がよく知っている。当然その戦い方も。
光属性は聖属性に次いで稀少とされているが、聖属性よりも重宝されることが多い。主に戦力として。それは光属性魔法が集団での戦闘時に真価を発揮するからだ。
実は光属性に純粋な攻撃魔法は数えるほどしか存在していない。僕が知っている限りでは《光の槍》と《光の剣》くらいか。だがそれを上回る防御魔法や補助魔法がある。例えば仲間全員の防御力を上げたり、攻撃力を上げたりと集団の力の底上げをしたりする。そして《反射》だ。これは属性魔法のほとんどを弾き返す魔法で、特に攻撃魔法に関しては確実に効く。魔法主体で戦う者にとっては天敵とも言えるのが光属性魔法だ。
「それならば合点がいきます。サリタ師も近接格闘はできますが、あの小柄な身体ではかなり不利です。光属性の使い手で《反射》を使いこなすのであれば、どのような戦い方をすれば良いのかを理解しているはずです」
「はい、支部長も近接格闘に賭けましたがルーインはそれが狙いだったようで……」
幼児のようなサリタさんが近接攻撃を届かせるには相手とほぼ密着する必要がある。それを敵が黙って見過ごすはずがない。そんな攻撃を受け続けたサリタさんは……
「そ、それでサリタさんは無事なんですか?」
「命までは奪っていないと思います。もし支部長クラスの者を殺害となればギルドも本腰を入れて討伐対象にします。たとえ敵勢力が強大でも冒険者ギルドすべてを敵に回すような愚を犯すとは思えません」
「下手をすれば自分の雇い主に刃を向けられることとなります。そうなればどの勢力も積極的に関わろうとはしません。自分の首を絞めるようなものですからな」
冷静に状況を確認している先生だが、その拳は強く握られたままだ。自分の師匠が一方的に痛めつけられたのだから怒るのも当然か。しかもその原因が自分かもしれないとなればその心中はいかほどのものか。
「それで私は闇属性魔法の《隠蔽》を使って脱出してお二方のところへ……」
「なるほど、あなたも師から闇属性魔法を学んでいたのですね」
「どうしますか、先生……あれ?」
「どうかしましたか?」
「受付嬢さんの背中に何かありますね」
「ふむ……どうやらあなたは意図的に見逃されたようです」
受付嬢さんの背中にあったのは小さく折り畳まれた羊皮紙だった。それを用心深く手に取った先生は開いて内容を確認して小さく舌打ちをした。
「これはルーインからの伝言です。サリタ師を、そして街が大事ならばすぐに戻ってくるようにとのことです。間違いなく罠です」
「でも先生、罠であればまだサリタさんは確実に生きていますよね?」
「そうですな、死んでしまっては人質に意味がありません」
「なら……戻りましょう。ここで逃げれば被害は僕たちが関わる人たちすべてに及びます」
「……危険ですぞ、それでもいいのですか?」
僕の提案に先生が真剣な眼差しで問う。危険があるなんて承知の上、それでも僕の意志は変わらない。あの街は僕にとっても大事な街だ。そしてサリタさんは先生にとっても受付嬢さんにとっても大事な人だ。ここで見殺しにしたとして、これから先僕は胸を張って歩くことができないだろう。これは損得勘定で割り切れる問題じゃない。人間として、こんな理不尽を許すことができないから行くんだ。
「それに僕の召喚が《反射》で阻止できるとも思えません。決して無謀な行動じゃありません」
「……私のほうが足手まといになるかもしれないのですよ?」
「でも僕よりも素早く動けることは間違いありません。なので牽制をお願いすることになると思います」
「わかりました、ではすぐに戻るとしましょう。夜道を馬車で行くのは少々不安ですが、ここまでは一本道ですから夜明けまでには着くでしょう」
こうして僕たちは再びラザードに向けて出立した。僕は荷台で揺られながらまだ見ぬルーインという冒険者に対して怒りの感情を溜めていた。
何故サリタさんを攻撃したのか。僕たちが目的なら追いかけてくればいいはずだ。だがそれをせずに人質を取るような卑怯な人間がどうしてAランクなのか、と。
それと同時にどのような罠を張って待っているのかという不安も生まれる。元Sランクの先生を呼びつけるのだから、《反射》だけではなく他の卑劣な手段も用いてくるだろう。そんな奴と僕が戦わなければならないという不安だ。
【安心してください、私がついております】
『我もいるよー』
「うん、ありがとう。二人とも、力を貸してね」
アオイとオルディアの言葉に身体の奥底から力が湧いてくるような気がした。心の奥底から勇気が生まれる。そうだ、僕は一人じゃない。頼れる仲間とともに戦うのだ、卑怯な手段を取るような奴に負けるはずがない。だから……戦う前から敵に呑まれちゃいけない。
そんな僕の決意を感じ取ったのか、馬車は速度を上げ始め、やがて山のふもとのほうにラザードの街の灯が見え始めた。
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