14.支える者
ちょっと悩みました……
「で、状況はどうだった?」
「はい、確かに逃亡したリーダーだったのでしょう、装備が報告にあったものと一緒でした」
「装備? 顔は見なかったのか?」
「どこが顔かすら判別できない状態だったとしてもですか? 装備もかろうじて判断できるくらいにまで破壊されていました」
「獣に喰われた……ということではないな。あの状況で判別できるものが残っていたことが奇跡だ」
ラザードの冒険者ギルド、支部長専用の執務室には珍しく執務机に座るサリタと報告しているバーゼルの姿があった。サリタ用に設えられた、やけに足の長い椅子に座り足をぶらぶらさせている姿はまさしく可愛らしい幼女そのものだが、会話の内容は酷く生臭いものだ。
「街にも残党の気配はありませんでした。これで終いでしょうか」
「ああ、敵の襲撃はな。だがこちらに一名、影響を受けている者がいるだろう。少年はまだあの状態のままか?」
「ええ、かなりショックを受けていたようでしたから」
二人が今話しているのはアルトのことだ。黒の旅団のリーダーを倒した後、アルトは宿に籠ってしまったのだ。そしてその原因について、バーゼルには心当たりがあった。その様子を見てサリタも察した。
「まさか……童貞か?」
「ええ」
サリタが言っているのは性交渉の有無ではない。彼女が確認していたのは冒険者になった者であればいずれ確実に通るはずの道をアルトは通ってきたのかということだ。
「あいつはマウガで魔将を仕留めているのだろう?」
「あれはサイクロプスでしたから純粋な人間と考えていないのでしょう」
彼らが問題視しているのは、アルトが未だ人を殺めたことが無いことだった。もちろん関係ない人物を殺すということではない。盗賊の討伐や、襲われたときの正当防衛としての殺人のことを言っているのだ。バーゼルの見立てでは彼と再会するまでの間にもそのような気配は無かった。
「成程、あいつが強すぎるせいか」
「はい、生かしたまま完全無力化できるというのは相当な実力差がなければできません。ただ本人がその自覚がまったく無いことはいささか問題ですが」
「それであいつのことは秘匿されていたという訳か」
「マウガ支部のダウニングに尽力してもらいました」
「確かにそれが公になればすぐにあいつの争奪戦になる。手段を選ばない連中が動けばあいつの精神に悪影響しか与えないのは明らかだ。ダウニングめ、たまにはいい仕事するじゃないか」
アルトは何度も命の危機に遭遇しているとはいえ、まだ成人していない子供だ。むしろその年齢で人を殺めているほうが異常である。しかもアルトは数年前まで滅多に屋敷の外に出してもらえない籠の鳥だったのだ。良く言えば無垢、悪く言えば疑うことを知らない馬鹿だ。
「ですがこのままにしておくこともできません。ただ私にはどうしたら良いものかと……」
バーゼルは自身の過去の経験からアドバイスしようと考えていたが、バーゼル自身、人を殺めたのは二十歳を過ぎてから、それも妻子を殺されたという負の感情を抱えた状態だったので苦しんだ経験が無かったのである。なので苦しむアルトにどう声をかけて良いのかわからなかったのだ。
「なら私に任せろ」
「まさか……色仕掛けですか?」
「あいつが望むならそれでもいいさ。だがそうはなるまいよ。あいつが今欲しいものは溜まった負の感情のはけ口じゃない、負の感情に流されないような強い心だ。だが成人していない子供にそれを自分の力で手に入れろというのは無理な話だ」
「ではどうするおつもりですか?」
サリタは椅子から降りると、壁にかけてあった子供用のローブを纏い、外出の身支度を始めた。
「自分の手で手に入れられないのなら、周りが与えてやればいいのさ、その力の意義を」
そう言いながら執務室を出てゆくサリタの後ろ姿は幼女のものではなく、この街を護るギルド支部長のものへと変わっていた。
**********
『ご主人さまー、美味しー』
僕が出した食事を美味しそうに食べるオルディア。その頭を考えが纏まらないまま、ただずっと撫でていた。今は何も考えたくなかった。宿から出れば色々と考えてしまうので、一歩も外に出たくなかった。
僕はあの時、初めて自分の意思で人を殺めた。斜面にあった赤い染み、あれは僕を襲撃してきた男たちのリーダーのものであることは間違いなかった。
人間の死は何度も見てきたが、それは僕がやったことではなかった。だが今回は違う。明確な殺意を持ってやったことだ。
【アルト様は悪くありません。私の選択が間違いだったのです】
「アオイ、それは違う。君は僕の心の中の確かな殺意を汲み取ったからあの召喚を選択したんだ。僕にはもっとほかの方法もあったはずなのに、安易に殺すことを選んだんだよ。僕は最低だ……」
あのままでは街の人たちが大勢死ぬ、そう思って焦った僕の心の奥底には殺意があった。理不尽に襲われたことに対する憎しみ、無関係な人を巻き込もうとしたことに対する憎しみ、そういったものが溜まって殺意になっていた。それが許せなかった。
「……少年、ちょっと顔を貸せ」
「サリタさん、僕はちょっと……」
「いいから出てこい、ギルド支部長命令だ。逆らえば罰があるぞ」
ドアの外からサリタさんの声がする。理不尽な命令だが、罰があると言われれば行かなければならない。食事を終えたオルディアを連れて部屋を出ると、サリタさんが高価そうなローブを着て待っていた。
「私がこの街を案内してやる。喜べ」
「はぁ……」
気が進まない僕の手を取り、サリタさんは強引に宿を出ようとする。何も考えたくない僕はただ流されるままに街へと繰り出していた。
「どうだこの街は? いい街だろう」
「はい……」
サリタさんが自慢げに言うが、僕の心にまで届いてこない。そもそもこんな僕が街を堂々と歩いていいのだろうか。人殺しと呼ばれることはないのだろうか。街中の人から白い目で見られたりしないだろうか。
「来い、こっちだ」
サリタさんが進む後についていくと、街でも一番の繁華街に入っていった。鋼鉄熊の襲来で閉まっていた店が軒並み営業を再開しており、街は活気を見せていた。だが今の僕には最も近寄りたくない場所だった。もしかして皆が白い目で見ているんじゃないか、そんな思いが頭の中を巡っている。そしてサリタさんに手を引かれるままに足を踏み入れた。
「お、坊主、お前さんがこの街を救ってくれたんだってな? これからうちで飲むときはいつでも金はいらないぞ!」
酒場の主人が声をかけてくる。
「おいおい、まだ成人してないのにタダ酒なんて意味ないだろう! 装備で困ったことがあればすぐにうちに来い! ほかの仕事放り出して最優先でやってやる!」
武器屋の主人が髭だらけの顔をくしゃくしゃにして声をかけてくる。
「坊や、どうせまだ女を知らないんだろ? うちの娘たちの誰でもいいから抱いていきな! いっそのこと全員でもいいよ!」
娼館の女主人が露出の激しい服から太ももを見せつけながら声をかけてくる。その背後では若い娼婦のお姉さんたちが黄色い声をあげている。
「まぁ娼婦に関しては必要なら私たちに内緒で行けよ? 一応未成年は禁止になっているからな」
「行きませんよ!」
「ほう、ここに来る前より表情が明るくなってきたじゃないか」
思わず顔を真っ赤にして言う僕を見て、サリタさんが意味ありげな笑みを浮かべる。
ふと気づいた。街の人たちの声には僕への感謝の気持ちが溢れている。誰一人として僕に白い目を向けてくる者はいない。その声の暖かさに僕の荒んだ心が癒されていくようだ。だがどうして僕がやったとばれているのだろうか。
「何故知っているのかと言いたそうな顔だな? この街に来る冒険者というのはそう多くない。ここは職人たちの街だからな。なので流れてくる冒険者そのものが珍しいうえに、居着く冒険者は既に皆顔見知りだ。その実力も把握している。今回の件が街の冒険者では一人の犠牲者も出さずに済ませるなんてことができないことは皆知っている。そんなときにやってきた冒険者がいれば必然的にそいつがやったと分かるだろう?」
「でも先生が……」
「バーゼルの名は知られすぎている。あいつがどういう分野の仕事が得手であるかくらい皆が知っている。なので消去法であれをやったのはお前だと皆知っているんだよ」
サリタさんが振り返り、両手を腰にあてて見上げるようにしながっら胸を張る。だが僕はそんな皆に褒められるような人間じゃ……
「お前は無関係な者を殺したか? 私利私欲のために殺したか? お前は自分の命を守るために反撃しただけだ。街を護ろうと必死になっただけだ。死んだのはその結果だ。そしてあの男が死んだのは自業自得だ。お前が気に病む価値すらないゴミだ」
「サリタさん……」
「だがそれでも気に病むのであればいつでもこの街へ来い。他の街の者がどう考えるかなど私の関与するところではないが、私はお前を受け入れる。いや、この街の住人すべてが、だな。少なくともこの街を救った英雄に白い目を向けるような輩はここにはいない。王都のような場所ではわからんが、この街にお前に恩義を感じないような礼儀知らずはいないはずだ」
いつのまにかサリタさんの背後に集まった人たちが笑顔で頷く。自然と涙がこみあげてきた。どうしてこんなに胸が温かくなるのだろうか。こんな僕なのに。
そうか、僕は護ったんだ、この街を、この笑顔を。僕の力で誰一人として失うことなく。それを恥じることなんてない。もっと胸を張るべきだ。僕が卑屈になれば、僕に感謝の笑顔を見せてくれる人たちの心も暗く沈んでしまう。そんなことは誰も望んでいない。
「お前は強い、私の生涯でもお前のような者に出会ったことはない。だからこそ敢えて言おう、私は、いや我々はお前を支えよう。いつでも辛くなったらこの街へと戻ってくるがいい。旅路の果てに戻る街としてここを選んでくれることを皆が願っている」
「……じゃあ僕のことは他の支部には……」
「言うはずないだろう? こんな逸材、ほかの支部に差し出すような真似できるか! 特に王都の本部は最悪だ! いいか、王都に行くことがあっても本部には絶対に顔を出すなよ?」
「はい、心しておきます!」
サリタさんが僕を見る目がとても優しいものへと変わっていた。その笑顔がとても眩しいものに見えた。
「で、今晩あたりどうだ? お前の童貞を味あわせてもらえるか?」
「……謹んでご遠慮いたします」
『お腹すいたー』
どうしてこの人はこうなんだろう。無邪気に蝶を追いかけて遊んでいたオルディアの一言がとても心に沁みる……
これでこの章は終わりの予定です。もしかしたらあと一話入れるかもです。
読んでいただいてありがとうございます。