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召喚士は今日も喚ぶ ―僕だけが読める謎の本―  作者: 黒六
5章 追跡者編
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13.ちーず?

遅刻しました……

「一体あれは何なんだ! どうしてこんなことになっている!」


 ラザード山は鉱物を多く含んだ岩石が多く、樹木も少なく岩肌が剥き出しになっている。だがそれでもいくばくかの植物は生えている。中には草原のようになっている場所もあるが、ラザード山の勾配がとてもきついので、傍から見れば緑色の壁のように思えるだろう。


 そんな急斜面の草原を、満身創痍の男がふらつきながら上っていた。元はかなりの上質な黒色の装備だったのだろうが、赤く熟した果実が潰れた残滓が至るところにこびりついている。男の顔は無残にも腫れあがり、まともに前が見えているかさえも怪しい。そんな状態の身体に鞭打ちながら、ひたすら山を登ってゆく。


「何故だ! 何故なんだ!」


 男は何度も何度も疑問を投げかけるが、答えを返す者はいない。ただ乾いた風がその身を撫でてゆくだけだ。それはすなわち、男がたった一人であるという証左でもあった。


 この男は黒の旅団のリーダー、アルト抹殺を企てた者だ。それにより自分たちの失った誇りを取り戻し、なおかつ自分たちの実力を見せつけることで新天地でも新たな顧客をつかもうとしていた。もはやこの国に居続けることは許されないが、他国であれば裏社会の人間を欲する者はまだいるだろうとの僅かな希望に縋っていた。


 最初の襲撃は相手を見くびっていた部分があったのは確かだ。まさかFランク冒険者相手に総力戦など、プライドが許さなかった。だがその結果は惨憺たるものだった。またしても生け捕りにされるという醜態をさらす仲間たち。もしこれが新たなパトロンの耳に入ろうものなら、もう裏社会では生きてゆけないだろう。


 なので次は本気で仕掛けた。子熊を攫う際に匂いのついた仲間には、親熊たちを誘導する役目をさせた。文字通りその命を賭けての博打ではあったが、男たちは賭けに勝った。熊たちを街に誘導、侵入させることに成功したのだ。あとはあの子供を見つけて始末するだけ、ただそれだけ。そのはずだった。


「くそ……俺だけか」


 混乱に乗じようとしたとき、男たちはあまりにも異様な光景を目にした。巨大な荷車は馬が引かずとも動き、荷台に乗った男たちが赤く熟した果実を投げつける。果実は仲間たちに当たり、砕け潰れると纏わりついた。それは次第に体温を奪ってゆく。体温が奪われれば当然身体の反応速度にも陰りが見え始め、強張る身体は鈍重な亀のようにも感じた。そして動きが鈍ればさらに果実に当たることとなり、さらに身体の自由が奪われるという負の連鎖だ。


 さらに状況は悪くなっていった。投げつけられる果実に、まだ熟していない青いものが混ざり始めたのだ。熟していない果実など、石をぶつけられているのとほぼ同義である。たかが投石と侮るなかれ、投石はれっきとした攻撃手段である。当たり所が悪ければ大きな確率で死に至る。そうでなくても負傷は免れない。


 男はやはりリーダーの資質があるのか、あの混乱した状況でも無事に街の外まで逃げ延びることができた。だが仲間たちは違う。攻撃を受けて失神しており、もはや戦力としてまったくあてになっていないのだ。それどころか魔法尋問により、新たな情報を与えてしまうことだろう。

 なので早々に仲間を切り捨てた。足手まといの仲間など、彼にとっては不用品である。仲間がいなくても何かしらの実績さえ残せばいいだけなのだ。その為の切り札というのが彼の持つ毒魔法であった。


 事実、毒魔法を持つ彼が入ってから組織は大きくなった。如何なる魔法にも解毒されず、確実に相手を仕留める猛毒。目障りな人物を殺そうとするのであれば喉から手が出るほど欲しがる者はいる。そして彼は、これから見つけるパトロン探しのために毒魔法を使おうとしていた。場所はラザードの街を潤している川の源流だ。


「街の連中には恨みはないが、俺たちの評価を上げるために死んでくれ」


 街を全滅させるほどに強力な毒魔法を持っているとわかれば、様々な方面から勧誘がかかるだろう。いずれ再び黒い旅団を再構成することもそう遠くはないはずだった。



 突然目の前に現れたそれを正確に言い表す言葉を男は持ち合わせていなかった。いや、それ自体を表現する言葉は確かに存在する。ごくありふれた言葉である。知らない者を探すほうが難しい。


「チーズか……」


 風に乗って漂うその香りは間違いなくチーズである。だがどうしてこんな人気のない山でチーズの香りがしているのか、それを思案する間もなく、非常識な存在が顕現した。


「でかすぎるだろ!」


 山頂付近から転がり落ちてくるのは誰がどう見てもチーズである。それも切り分ける前の状態であり、男も幼少期に母親が切り分けている姿を見たことがある。子供心にあれを転がして遊んでみたいという馬鹿な考えを持っていたが、結局それを実現することはなかった。

 転がるチーズの大きさはおそらく小さな家屋と同等くらいであろうと思われた。それが加速しながら男めがけて転がり落ちてくるのである。常識の枠すら粉微塵に粉砕するその存在は男の精神を猛烈な勢いで削り取っていった。


 暗殺者は常に現実を冷静に把握していなければならない。男も然りであり、目前に迫る巨大なチーズの存在は男から正常な判断能力を容易に奪い取る。男の脳裏に浮かぶのは幼い頃母親が作ってくれた手料理。決して裕福ではない家庭においてはご馳走の、ただ茹でただけの野菜に炙って溶けたチーズをかけただけの素朴な料理。ただの現実逃避にしか考えられないそれは、男の心が完全に折れてしまった証でもあった。


「おかあさん……」


 その言葉が男の最期の言葉だった。




**********



「なあ、あれはチーズなのか? どうなんだ?」

「見えるんですか、あれが?」

「エルフは視力に優れているんだよ……ってそんなことはどうでもいい! あんなばかでかいチーズがあるはずないだろう!」

「まぁアルト殿のすることです。常識に囚われていたら危険です」

「そこまでなのか……」


 先生とサリタさんがラザード山の中腹、草原のような斜面を見てそんなことを話している。確かに僕の力が常識では測れないということは自分でも理解しているが、改めて他人に言われると少々複雑な気持ちだ。だがエルフが視力に優れているとは初耳だ。本当にどうでもいい話だが。


「あ、ぶつかった」

「ぶつかったな」

「ぶつかりましたな」


 黒装束の男がまったく避ける様子もなく、転がるチーズにぶつかった。男はチーズと共に転がり落ちていくが、意識が飛んでいるようだ。そんな様子をただ見ている僕たち三人。だがこの程度のダメージではまた逃げられるかもしれない。


【問題ありません】


 やや不満げなアオイの声が響く。と同時に山頂付近に現れる複数の巨大な人影。その数は次第に増えている。と、いきなりその人影が一斉に山を駆け下り始めた。それは大勢の屈強な男たち、ただその大きさが尋常ではない。先ほどの巨大なチーズがごく普通の大きさに感じられるほど巨大だった。それらが転がるチーズめがけて駆け下りている。中には転倒して自分も転がっている者さえいる。


「お、おい!あれは何だ? 何がどうなっているんだ?」

「見たまま……でしょうな。チーズを追いかけていますな」

「そんなことはわかっている! なぜこんな場所に巨人族がいるんだ! いや、あれはもしや精霊、それも大精霊の類か? だがそれではエルフの私が感じ取れないはずがない」


 サリタさんの考えが明後日の方向に進んでいる。まさか僕の魔力で具現化していますなんて知られたらどうなってしまうんだろうか。そんなことを考えながら眺めていると、動きに変化があった。


「チーズに追いついたぞ……すさまじいな」

「まったくですな、巻き込まれたら命はないでしょう」


 先頭の男がチーズに向かって飛び掛かる。だが完全にチーズを確保できていない。そこへ後続の男たちが殺到する。もはや斜面は巨人たちの密集地帯となっており、その中心にチーズがあるようだ。黒装束の男もそれに巻き込まれているようだが、まだはっきりと確認できていない。


『ご主人様ー、我もチーズほしいー』


 チーズを奪い合う光景を見ながら、尻尾を振りつつ物欲しげな表情を見せるオルディア。あれは食べてはいけないチーズだと思うので、食べようとするのは何としても止めないといけない。


「決着したな」

「そのようですな」


 先生たちの半ば疲れ切ったようなやり取りに斜面を見ると、一人の巨人がチーズを高く掲げて勝ち誇っている。周囲の巨人たちも勝敗が決したことを理解しているのか、その巨人に賞賛を送っているようだ。そして巨人たちは次第に存在が薄くなっていき、やがて完全に消えてしまった。後には何も残っていないようだが……


【対象の生命反応ありません】


 アオイの言葉に斜面を見ると、小さな赤い染みのようなものが見えた。あれってもしかして……


「まあそうなるだろうな」

「というか、アレに耐えられる人間など存在しませんでしょうな」


 至極あっさりと、男が死んだことを受け入れる先生たち。だが僕は未だに思考が定まっていなかった。今ここに僕がいること自体が夢ではないかとさえ思ってしまう。


『チーズ……消えちゃった……』


 寂しげなオルディアの声だけが妙に温かく感じた。


読んでいただいてありがとうございます。

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新作始めました。現代日本を舞台にしたローファンタジーです。片田舎で細々と農業を営む三十路男の前に現れたのは異界からの女冒険者、でもその姿は……。 よろしければ以下のリンクからどうぞ。 巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者
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