12.毒魔法
鋼鉄熊たちが赤い果実から逃げるように街から出ていく様子が建物の屋上から確認できた。それを合図にするかのように、荷馬車から掃除道具を持った男たちが何人も下りてきて潰れた果実を片付け始めた。皆モップと桶しか持っていないのだが、片付ける手際の良さが尋常ではない。モップが通った後は綺麗さっぱりと果実が消えている。いったいどこに行ってしまったのだろうか。
結局、ものの数分で街は元通りになっていた。だが染みついた果実の匂いはしばらくの間は消えないだろう。その間は鋼鉄熊の襲撃はないはずだ。ギルドの建物から出た僕たちは気絶している黒装束の男たちのそばにやってきた。
「こいつらが残党か。ふざけた真似しやがって。まあいい、こいつらにも魔法尋問する。裏でつながってる連中を炙り出してやる」
息まくサリタさんが襲撃者の一人を引きずっていく。支部長として管轄している街をここまでされたのだから、その怒りは計り知れない。果実まみれにしたのは僕だが。
「それから……後で説明してもらうからな」
「……はい」
じろりと一瞥して静かな声で言うサリタさん。ギルドの支部長として、Aランクの冒険者としての迫力を感じさせる。説明というのはもちろんあの召喚のことだろう。
果たしてどう説明したらいいものか。僕としてはあまりこの力を知られたくはないが、先生の師匠であれば信用してもいいか?
「先生、サリタさんは信頼できる方なんですか?」
「多少人間性に難はありますが、信用するに値する方です。でなければギルドの支部長に就くことはできません。それに師はこういうものを証にしているのですよ」
おもむろに右腕の袖口をまくって見せる先生。そこには複雑な紋様が描かれている。
「これは師が免許皆伝の証としてくれたものです。これは呪紋、もし師が私を裏切るようなことがあれば、即座に自らの心臓を破壊するという戒めの術です。自分はお前を絶対に裏切らないという意志表示です」
闇属性魔法にそういう戒めの魔法があるということは本で読んだことがある。だが実物を見るのは初めてだ。サリタさんは先生に対して、自分の信頼の証として自分の心臓を差し出したということになる。極めて苛烈だが、これ以上の証は無いだろう。
「なんだと! そんなことさせてたまるか!」
突然大きな声を上げて建物を飛び出してくるサリタさん。その表情は怒りを通り越して青ざめているようにも見える。
「どうなさいましたか?」
「まだ連中のリーダーが逃げおおせている! 奴は毒魔法を使うらしい。ラザード山に向かっている!」
「そこに何があるのですか?」
「ラザード山の中腹には水源がある! この街すべての生活用水はそこから流れ出ている川の水を使っている! そこに毒を流し込むつもりだ!」
話を聞いて背筋が凍った。毒魔法というのは稀少な部類の魔法で、文字通り毒を生成する魔法だ。様々な効果の毒を自在に作り出すことができ、毒の強さも自由に決められる。まさに暗殺を生業にするにはうってつけの人材だ。
さらに特筆すべきは、毒魔法で生成された毒は生成した本人しか解毒できないということだろう。聖属性魔法の一種である解毒魔法も通用しないと言われているので、水脈に毒を流されればこの街は人の住めない街になってしまう。
「早く奴を追わなければ!」
「どのルートで向かっているか分かっているのですか?」
「知らん! だがここでじっとしていることはできん!」
「ならば万が一のことを考えて住民に周知しておくべきでしょう。知らずに飲んでしまえば大変なことになります」
確かにその通りだ。もし追いついたとして、既に毒を投入されてしまっていては万事休すだ。ならば今のうちに住民に危険性を伝えておくほうがいい。当然ながら街はパニックになるかもしれないが、無差別に毒殺されるよりはるかにマシだ。
【アルト様、問題ありません。既に捕捉しております。準備も出来ています】
自信に満ちたアオイの声が頭に響く。と同時にアオイが現れて静かに開かれてゆく。開かれたページにはキーワードがある。
「あの、何とかできると思います」
「本当だろうな? 冗談では済まされないんだぞ?」
「ここはもう一度アルト殿に任せてみましょう」
「わかったよ。そのかわり確実に仕留めろよ」
視線だけで人が殺せそうなくらいの威圧のこもった目で僕を見るサリタさん。先生が賛同してくれなければどうなっていたことか。
「いきます。『せかいのまつり ちーず』」
【キーワードを確認。対象の目的を未遂にするために再現率と構成値を大幅に変更。周辺環境の構成値を再現率と同一に設定。リリース時間は対象の完全無力化までに設定】
アオイの言葉が淡々と召喚を進めていく。だが今度の召喚は今ここで行われるものではない。ラザード山の中腹にて行われるものだ。ここまで距離が離れた召喚は僕も初めてなので緊張している。
『いいニオイがするー』
山頂付近から吹き降ろしてくる風に鼻をひくつかせているオルディア。その風に何かの匂いを感じたらしく、尻尾をぶんぶんと振って喜んでいる。
「な、なんだアレは?」
ラザード山をじっと見つめていたサリタさんが何とか声を絞り出す。だがそれは僕も同じだ。
僕たちの目に映っているのは、山頂に雪化粧を施したラザード山。そこで起こっている事がここからでもはっきりとわかる。それは誰もが想像すらしていなかった光景だった。
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