11.とまと
襲撃者→サリタ→主人公、と視点が変わります。ご注意ください。
夜も更けて歩く人の姿もほとんど見られなくなったラザードの街に危険を知らせる早鐘が響き渡る。数種類ある鳴らし方のうち、今鳴っているのは「絶対外出禁止」を報せるものだ。鋼鉄熊は敵と認識したもの以外は攻撃しない。家に閉じこもっていれば子熊の匂いもつかず、襲われるようなことはない。
ラザードは辺境に位置する街のため、魔物の襲撃も時折起こる。そのため街の住人はギルドの早鐘を信用している。領主は存在するが、こんな鉱山に囲まれた街に私兵など出すはずもなく、そのかわりにギルドが治安維持を担っている。なので住人たちはギルドの指示は素直に従うことにしている。従わずに巻き込まれて命を落とすような馬鹿な真似をするような住人はいない。
「こんな手段を使う羽目になるとは思わなかった」
「だが確実に街は混乱する。この隙に乗じて仕留めればいい」
「我らに影響は?」
「問題ない」
街中を何頭もの鋼鉄熊が闊歩するという異様な光景を横目で見ながら、黒づくめの男たちはギルドからそう遠くない建物の陰から様子を見ていた。今も彼らのすぐそばを鋼鉄熊が通り過ぎていくが、彼らのことを一瞥することもなく通り過ぎてゆく。
「ギルドに子熊を置いてきた。親熊たちはギルドの連中が犯人だと思うだろうよ」
「緊急招集も間に合うまい。数人は腕の立つ者もいるだろうが、この数を相手にすれば対応もおろそかになるはずだ」
「では行こうか……待て、なんだアレは?」
リーダー格の男が行動に移ろうと建物の陰から出た途端、その視界に異様なモノが映った。
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一体あのアルトという冒険者は何者なんだ?
バーゼルが十数年ぶりに顔を見せたと思ったら、あの少年を連れてきた。決して強そうに見えないその佇まいだが、引退したはずのバーゼルが復帰してまで行動を共にするくらいだからきっと何かあるのだろう。
確かにオルトロスの亜種らしい従魔を連れていることから、それなりの実力は持っているとは思うが、今この状況を無事に切り抜けられるとは思えなかった。なのに鋼鉄熊の資料が見たいという。今更何を言い出すのかと半ば呆れてしまうが、バーゼルの奴は何かを期待しているらしい。多少の犠牲もやむを得ないこの状況、どうにかできるものならしてみせてほしいものだ。
状況は酷いものだった。早鐘のおかげで住人は家にこもっているが、鋼鉄熊は街中まで入り込んでおり、しきりに子熊を探しているようだった。咄嗟に建物の外に出したので、早々に見つけて立ち去ってほしいものだが、そう上手くいかないのは分かり切ったことだ。それほどまでに子供を攫われた鋼鉄熊は危険だ。子熊の匂いが染みついている我々をどこまでも追いかけてくるだろう。追い払うことが出来ても、何度も何度も襲撃してくるだろう。
我々にできることは、どこか一か所に集まったところで上級以上の魔法を撃ち込んで殲滅するくらいだろう。多少の犠牲は出るだろうが、この街を守るためには仕方がない。魔物の襲撃などよくあること、それで被害者が出ることもよくあることだ。
魔法の準備を始めようとしたとき、突然巨大なプレッシャーがのしかかってきた。おそらく魔力であることはわかるが、それにしては詳細を把握することができない。バーゼルも感じているようだが、特に動揺している素振りはない。受付の娘は何も感じていないようだ。
この状況は明らかに異常だ。こんな巨大なプレッシャーだというのに全容を捉えることができない。魔力に敏感なエルフである私ですら、この魔力に宿る力を感じ取ることができない。ただ漠然と大きな力に翻弄されているようにすら感じる。唯一理解できるのは、この魔力が少年を中心に展開されているということだけだ。
『せかいのまつり とまと』
少年が何事かを呟くと、建物の周辺に漆黒の何かが生まれる。夜の闇よりも黒い漆黒の何かは濃密な魔力を放っているが、やがてそこから何かが現れた。現れたものは、私の長い長い人生においても、まったく見たことのないものだった。
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キーワードの詠唱とともに現れる漆黒のゲート。それも複数。ギルドの建物の周辺に現れたゲートから出現したのは、巨大な荷馬車のようなもの。だがただの荷馬車ではないのは明らかだ、荷馬車なのに馬が引いていないのだから。その上荷車の大きさも桁違いだ。
全部で十台の巨大荷車には数人の男が乗り込んでおり、荷台は赤い果実のようなもので埋め尽くされている。鋼鉄熊たちは突如として現れたその荷馬車に驚いていたが、どうやら子供を攫った犯人と思ったらしく、荷馬車に向かって突進しはじめた。この状況はかなり危険じゃないのか?
【心配無用です】
アオイの声にはまだ余裕が感じられる。すると荷馬車の荷台に乗った男たちが赤い果実を鋼鉄熊めがけて投げつけはじめた。だが果実は果実、熊に当たると潰れてしまっている。一体何がしたいのだろうか。
ふと見下ろせば、先ほどの子熊が親熊らしき熊に寄り添っている。だが親熊の様子がおかしい。子熊を咥えて右往左往しているようだ。まるでこの場所から逃げ出したいように見える。先ほどまでの獰猛な様子はどこにもない。
周囲の熊たちも唸り声をあげているが、それも威嚇というより悲鳴のようにも聞こえる。そんな熊たちの様子に構うことなく、果実をぶつけていく男たち。熊たちはしきりに身体についた果実を取ろうとしているが、ぶつけられる果実が多すぎて全身が赤く染まっていく。
【この果実はトマトと言います。含まれる成分が鋼鉄熊の忌避する成分です】
なるほど、おおよそのところは理解できた。熊を撃退するだけならば直接果実を食べさせるなりすればいいだけだ。こんなに果実まみれにする必要はない。
アオイはこの果実に忌避する成分が含まれていると言っていた。そして先ほどの熊たちの挙動不審な様子から想定するに匂いにも忌避する成分があるのだろう。これだけ果実まみれにすれば、街そのものに匂いが染みついているのは間違いない。
【子熊を連れて逃げていきます】
アオイに促されて見てみれば、子熊を咥えた親熊が一目散に街の外に逃げていく姿が見えた。それに追随するように他の熊たちも逃げてゆく。子供を見つけることが最優先である以上、嫌な匂いの染みついた街に長居などしたくないのだろう。
ちょっと待て、襲撃者はどこにいった? 根本的な問題がまったく解決されていないじゃないか。
【既に解決しています】
冷静に指摘されてしまった。改めて見下ろしてみるが、そんな怪しい連中は……
いた。確かにいた。積み重なった潰れた果実にまみれているのは、明らかに失神しているだろう黒装束の男たち。だがいつの間に攻撃したんだろうか。熊に襲われた形跡は見られない。
だがよく目を凝らしてみれば、男たちの周囲に点在している緑色の何かがある。潰れた果実に混じって、はっきりと形を保っている緑色のそれは、どう見ても熟していない果実。
ああ、なるほど。あの果実の中にまだ熟していないものが混ざっていたのか。それをぶつけられてしまうとは……まさかそんなもので無力化されるなんて考えもしなかっただろうに。
熟してない緑のトマトはとても硬いです。
読んでいただいてありがとうございます。