6.窮地
本日二話目です!
「うわぁ……」
乗合馬車に乗り込んだ僕は先ほどまでの鬱屈した感情が嘘のように消え失せていた。実の家族に殺されるかもしれないという理不尽も、目の前の光景には些細なことのように思えた。
「どうした坊主、こんなどこにでもあるような景色がそんなに珍しいのか?」
「はい、だって僕ずっと屋敷から出たことなかったから」
「……訳アリみたいだが、深いことは詮索しねぇよ。お前さんはただの乗客、ただそれだけだからな」
僕に声をかけてきたのはこの馬車専属の護衛のおじさん。元Cランクの冒険者で、怪我で現役を引退してからずっとこの馬車の護衛をしているそうだ。僕の返答に何か思うところがあるのか、それ以上の詮索をしてくることはなかった。きっと僕の身の上が決して笑い話にしていいものじゃないと察してくれたんだろう。
そんなことより目の前の光景だ。僕の目には鮮烈な光景として映りつづけている。
広大な草原を真っすぐに伸びる街道、旅したことがある人たちには何の変哲もない光景だろうが、ずっと屋敷にいた僕には目に映るすべてが初めてのものだ。
雲ひとつない青い空、燦々と輝くお日様、渡る風に揺れる青々とした草原、はるか遠くには頂に純白の残雪を纏った山々がうっすらと見えている。強烈だが決して攻撃的ではない、鮮やかな極彩色の奔流が僕の目に飛び込んでくる。
ほんのちょっと街から離れただけでこんな光景があるなんて、今までずっと知らなかった。街へ出ることすら年に数回、街の外に出たことなんて一度もなかった。
(僕はどれだけ狭い世界で生きてきたんだろう)
もしあのまま屋敷で暮らして命を落とすようなことがあれば、狭い世界の中で一生を終えることになっていた。こんな素晴らしい世界を知らずに死ぬことがどれだけ残酷なことか。そう考えると家族への恨みが出てきそうなものだけれど、とにかく今はもっとたくさんのものを見てみたい。ただそれだけが僕の思考を独占していた。
大空を自由に飛ぶ鳥たち、草原で草を食むバッファロー、草の影から時折顔を見せる野ウサギ、ごくありふれた光景なんだろうが、僕にとっては全てが真新しい刺激だった。こうして馬車は街道を進み、僕は新しい発見の連続に興奮が冷めることはなかった。
異変が起こったのは、草原が終わり街道が鬱蒼とした森に入った頃だった。まだ陽も高いはずなのに森の中はとても暗かった。時折思い出したかのように木漏れ日が差し込んではいるが、ほとんどが日没間近のような暗さだ。
「何か出てきそうな雰囲気だな」
「馬鹿、そんなこというと本当に出てくるだろ」
乗り合わせた乗客たちがそんなことを話している。乗客は僕を除いて二名、王都の小さな商店主さんとその従者さん。それに御者の人と護衛のおじさんを合わせて合計五名だ。護衛のおじさんがどれほどの手練れかはわからないが、彼一人で僕たち四名を護りきることが本当にできるのだろうか?
がさがさがさ……
森の中ほどまで入った頃、街道の両脇の茂みが音をたてはじめた。商人さんたちは獣だと思っていたようだけど、屋敷の林で野ネズミを狩っていた僕にはわかっていた。これは獣じゃない。獣はこんなに大きな音を出さない。音を出すということは捕食する側は獲物に気づかれてしまうから、捕食される側は敵に自分の存在を知られてしまうから極力音を出さない。ならこの音の発生源は一体?
「野郎ども、やっちまえ!」
「「「「「おおおおおおお!」」」」」
茂みから出てきたのは髭面の薄汚い男。汚れた革鎧を身に纏い、抜き身の剣を高々と上げて号令をかけると茂みから仲間らしき男たちが次々と現れた。声を上げる男たちの数は十人程度。
彼らは盗賊だった。その存在は話に聞く程度だった。旅の馬車を襲ったり、小さな村を襲撃して略奪と殺しを生業とする非合法な集団。襲われれば男は殺され、女は慰み者になったあげく奴隷として売られてしまうという。
けれども今の状況はとても違和感があった。襲撃されているのに御者の人はおろか商人さんたちも平然としている。それどころか護衛のおじさんまでが平然としている。その様子に僕が不審の目を向けると、護衛のおじさんは小さく舌打ちすると僕のほうへとゆっくり近づいてきた。
危険だ。直感的にそう感じた僕が一目散に逃げようとした瞬間、背中に熱い衝撃が走った。次いで何か熱い液体が流れ出す感覚。背中を斬られたと理解できたのは数秒後のことだった。斬ったのは護衛のおじさんで、盗賊の首領らしき男や商人さん、御者さんたちと一緒に僕を見ていた。その顔に嫌な笑みを浮かべて。
「悪いな、坊主。お前のお親父さんから依頼されていてな、適当な場所でお前を始末してくれってな。ま、これも運が悪かったと思って死んでくれや」
「父さんが?」
僕はここで初めてこれが仕組まれた罠だったことに気づいた。考えてみればキースが突然僕の前に現れたことと落としていった金貨と通行証、偶然にしては出来すぎているかもしれない。僕が逃げ出すことを前提に、盗賊が化けた乗合馬車に僕をのせるために仕組んだ罠。今思い返してみれば、御者のひとから僕に声をかけてきたような……。世間知らずの僕をだますことなんて赤子の手をひねるよりも簡単だろう。
「全員俺の仲間でな、この街道での仕事の一部を上納することで討伐を見逃してもらってるってわけだ。当然こういう汚れ仕事も請け負うわけだが」
「そんな大事なことを僕にしゃべっていいんですか?」
「ああ、お前はここで死ぬんだからな」
護衛のおじさんはそう言うと一瞬だけ僕に憐憫のこもった視線を向けた。きっと父から僕のことも説明を受けているはず、だからこそ世の中のことを全く知らずに死んでいく僕を本気で憐れんでいるのかもしれない。
嫌だ、死にたくない! でも抜き身の剣のぎらついた光が僕に恐怖を植え付け、そのせいで声すら出すことができない。
「せめて一撃で楽にしてやるよ。じゃあな……ぐああぁぁ!」
僕は咄嗟に目を閉じたが、想像していたような衝撃は一向に来なかった。それどころか、護衛のおじさんのお悲痛な叫び声が僕の耳に飛び込んできた。どうなっているのか理解できなかった僕がゆっくりと目を開けると……
護衛のおじさんは黒い大きな何かをたくさん纏わりつかせて倒れていた。自らが流したものと思われる血溜まりの中に。
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