9.仕掛け
すみません、遅れました。
「で、何しに来たんだ、こんな夜更けに……って痛い痛い! 耳から手を離せ!」
「これがわが師とは思いたくありませんな。その見た目でもうボケましたか?」
「ちょっとした冗談だろ? わかったから離せ! 痛い痛い!」
「すみませんな、アルト殿。この方はいつもこんな感じなのですよ。ですが魔法の実力だけは折り紙付きです。それ以外、特に性格等は評価にすら値しませんが」
「はぁ……そうなんですか」
先生がサリタさんの耳を抓りあげながら、申し訳なさそうに謝罪する。一瞬サリタさんが気の毒に思えたが、受付のお姉さんは大きく頷いている。
「もしかしていつもこんな感じなんですか?」
「はい! ですが今日はいいものを見ることが出来てすっきりしました。今日夜勤担当で良かったです。明日同僚に自慢します!」
「おい待て! それだけはやめろ! そんなことされたら私の威厳というものがだな……痛い痛い!」
「まだそんなことを言いますか。やはりこの耳はただの飾りのようですね」
「わかってるって! 魔法尋問だろ? 魔道具の準備くらいさせろ!」
サリタさんが涙目で訴えてようやく先生がその手を放した。背中まで伸びている銀髪の隙間から出ている特徴的な長い耳を押さえながら蹲るサリタさん。ちょっとやりすぎたかもと思っていたら、いきなり立ち上がって襲撃者たちの傍へと向かう。
「で、こいつらを尋問すればいいんだな?」
「はい、どうも【黒の旅団】の構成員のようですので」
「ほう? 最近王都で急成長してきた組織だな? だが主要メンバーは捕縛されて処刑されたはずだろう? 確かガルシアーノ家がそう公表していたはずだ」
「ええ、ここにいるアルト殿がロッカでガルシアーノ家の令嬢が襲われているところを救出しまして、その際に捕縛したのですよ」
「なるほど、それでか。王都のアジトが急襲されてほぼ壊滅状態だと聞く。なるほど、少年がその立役者であることを知って復讐に来たというわけだな」
サリタさんが今までの醜態とはうって変わって理知的な表情で話を進める。レジーナさんが連れて行ったあの連中からしっかり情報を聞き出していたということか。
「ですが、二名ほど取り逃がしました。おそらく再び狙ってくるだろうと思いまして」
「ああ、そうだな。こいつらはメンツというものを重視する。このまま逃げれば助かるだろうが、それでは二度と裏の仕事など出来やしない。何としてでも少年のことを亡き者にしようとするはずだ」
「足を洗って真面目に暮らすことは無いんですか?」
「無いな。バーゼルのように深い事情があって裏の世界に入った者ならともかく、大概はまともに働くことを拒絶して入り込んだ連中だ。でなければ貴族の仕事の請負いなどしない」
先生がその道の人間ということは知っている。だが貴族の仕事を請けることと先生のようにギルドに属することとどう違うのだろうか。
「いまいち理解していない顔だな。いいか、ギルドに出される依頼というのは、その内容は必ず精査されている。たとえそれが他人を害するものであってもな。そういう依頼は表には出さず、秘密裏に依頼して秘密裏に終わらせる。バーゼルにはそういう役割を頼んでいたんだよ。
だが貴族の仕事の大半は私利私欲だ。私兵を出せば国に謀反を疑われて不必要な監査を受け入れざるを得なくなる。私服を肥やすような連中がそれを望むと思うか? だから後腐れのない連中に依頼するんだよ。
まあこいつらの想定外だったのは少年が殺さずに捕縛してしまったことだな、大概の場合、こういう襲撃者は殺してしまうが、それは反撃するほうも必死だからだ。……少年はもしかして強いのか?」
「ええ、少なくとも私が現役復帰してまで共にいたいと思うくらいには」
先生がさらりとそんなことを言うので、サリタさんが目を丸くして驚いている。こっちはいきなりそんなことを言われて照れ臭いばかりだが。
「まあいい、さっきは悪ふざけが過ぎてすまん。こういう辺鄙な街ではそうそう大きな依頼も無くてな。逃がした奴は仲間と合流していることだろう。となれば様子を伺うよりも準備が整い次第仕掛けてくるはずだ」
「そんなに急に来ますかな?」
「バーゼル、ここに生きている仲間がいるんだぞ? 単身でどこぞの街に逃げても組織の再興など出来るか? そもそもがまともに働くことが苦痛で堕ちた連中が」
「そう……ですな。再興の人手は多いほうがいいとなれば仲間の奪還とアルト殿への報復、だが同時に出来るのでしょうか?」
「それをこれから探る。おい、アレを持ってこい」
サリタさんの声に受付のお姉さんは再び奥へと消えていった。ちなみに今ギルドは僕たちしかいない。辺鄙な街というだけのことはある。マウガのギルドでさえこの時間帯でも冒険者の姿はあったからな。と、戻ってきたお姉さんの手には一枚の板状の水晶があった。
「こいつらが失神しているのは都合がいい。起きた状態だと万が一に読み取れない場合がある。眠っている時ほど無防備なものはないからな」
そう言ってオルディアが押さえつけている男たちの一人の頭に手を翳すと、水晶に何か映し出された。どうやら仲間との打ち合わせの記憶を映し出しているようだ。
「ふむ、どうやらこいつらが倒されるのは想定内のようだな。逃げた奴らが仲間と合流、その後にこの街にあるものを仕掛けるらしいが……」
『くーん』
「オルディア、どうしたの?」
『我は何もしてないよー』
サリタさんと先生が水晶を覗き込んでいると、近くで動物の鳴き声がした。最初はオルディアかと思ったのだが、彼女は否定した。それにやけに幼い鳴き声だったような。
「あら、可愛い。何かしら」
『くーん』
受付のお姉さんが声を上げる。その視線の先には動物の赤ちゃんがいた。全身黒の獣毛で覆われ、よちよちとこちらに歩いてくる姿はとても微笑ましいものを感じるが、それと同時に嫌な予感も感じている。
「なんだと! そんなことをすればこの街は!」
突然サリタさんが大きな声をあげる。魔法尋問で重大なことでもわかったのだろうか。
「こいつらとんでもないものを仕掛けたぞ! おい、すぐに緊急招集をかけろ! 一刻の猶予……も……」
「ま、まさかそれは……」
受付のお姉さんが抱き上げている動物の赤ちゃんを見てサリタさんと先生が固まっている。お姉さんはそれが何か?というような顔をしているが、正直なところ僕も何がどうなっているのか理解できない。
「いいか、よく聞け。こいつらは街に【鋼鉄熊】の子供を放り込んだんだ」
「まあ! 大変です! すぐに緊急招集を!」
「それから、落ち着いて聞け? 今お前が抱いているのがその子供だ」
「へ?」
『くーん』
何がどうなっているのか理解できないという様子のお姉さん。それは僕も同じだ。しばしの静寂がギルド内を包み込む中、子熊だけが状況も考えずに鳴いていた。
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