5.うし
「そうか、ドワーフの実物を見るのは初めてか! 世間知らずも程ほどにしておかないと、拗らせて厄介な大人になっちまうぞ!」
「はぁ……気を付けます……」
おそらく大槌を握ったことで出来たであろうタコまみれの岩のような手で僕の背中を叩く隣の席のドワーフ。彼らにとってはほんの軽く叩いているだけなのだろうが、その威力は圧倒的な筋肉量から容易に想像できるだろう。
一時は騒然となった酒場だったが、僕たちが皆に一杯ずつ奢ることで収まった。僕の不注意な一言が招いた結果だ、これも授業料と割り切っておこう。
「その装備、かなりの腕の職人のものだな。修理なら俺に任せておけ」
「剣の研ぎ直しなら俺にまかせろ」
装備の修理の話をした途端、周囲のドワーフたちが装備の状態を一目見ただけで判断してくれた。皆酔っているようだが、こんな状態で大丈夫なのだろうか。
「俺たちにとってはこの程度の酒は水同然だ。問題ない」
ということのようだ。カップを持つ手が僅かに震えているのは僕の目の錯覚ということにしておいたほうが良さそうだ。つい先ほど、余計な出費とともに学んだことだ。
ちなみに僕が今飲んでいるのは柑橘の果汁水。ほんの一口、と皆が飲んでいるエールを頼んでみたはいいものの、一口飲んでその味が受け入れられないものだと理解した。大人になればこの味が心地よいものに変わっていくのだろうが、まだまだ僕はお子様ということだろう。
『美味しー』
「ミルクで良かったの?」
『平気ー、でもあのカリカリしたやつのほうが美味しー』
「あれはここじゃダメなんだよ。宿に戻ったらね」
大人しくミルクを舐めているオルディアの頭を撫でてやる。アオイによると、あの猫魔族に渡した『きゃっとふーど』なるものはオルディアには若干不向きだということで、別なものを召喚してあげている。
『いぎりすさんのさいこうきゅうひん』
これを召喚した時のオルディアの喜び方はすさまじいものがあった。あまりの嬉しさに一口食べては走り回り、また一口食べては走り回り、と落ち着きが無くなって困ってしまった。
だがそれから毎日、一日一回食べさせているせいか、オルディアの毛艶が段違いに良くなった。柔らかな獣毛はしなやかかつ張り、コシがあって極上の手触り。いままで感じていた獣特有の体臭も全く気にならなくなっている。彼女の体調も良いようで、魔物の肉ばかり食べていた時とは比べ物にならないほど動きにキレが出てきた。さすがにこの場であげる訳にもいかないので、申し訳ないが宿まで我慢してもらおう。
【アルト様……】
(……うん、わかった)
アオイが小声で伝えてくる内容に、極力動揺を抑えながら心の中で返事をする。あいつらには関係者かそうでないかなんてどうでもいいことだ。ならば巻き込まないようにするのは当然だ。
「先生、ちょっと外の空気を吸ってきてもいいですか?」
「……くれぐれも気を付けてください」
どうやら先生は僕が何をしにいくのかを理解しているようだ。椅子に座りながら酒を飲んではいるが、いつでも動けるように浅く腰かけている。もし僕に何か起これば即座に行動を起こすつもりなのだろう。でもきっと先生が危惧しているようなことにはならないはず。そのための準備はできているのだから。
酒場を出ると、外は既に日が暮れて月明りが街を照らしていた。色街を淡く照らす街灯には魔法の明かりが灯されており、これから夜の街に繰り出そうとしている男たちは炎に群がる蛾のように、その灯りに向かって歩いてゆく。
男たちの人波に逆らうようにオルディアを連れて進み、ずっと尾いてきていることを視界の隅で確認しながら目的の場所に向かうべく細い路地へと入る。いくつかの横道を素通りし、一人進んだ先にあったのは壁。つまり……行き止まり。
「うまく撒いたつもりだろうが、土地勘の無い街ですることではないな」
「……本当にそう思っているの?」
背後からかけられた声にゆっくり振り返ると、闇に溶け込むような黒い装備の男たちが近づいてきた。その数は五、いや、少し離れた場所に逃げ道を塞ぐように立っている二人を含めれば七。この二人は誰かが救援に入るのを防ぐ役目も担っているのだろう、確実に仕留めにきている証拠だ。
「どうして僕を?」
「貴様のせいで我らは生きる道を失った。もうこの世界で生きていくことは不可能だ。ならば貴様だけでも道連れにしなくては冥府の仲間たちに顔向けできん」
なんて酷い理由だろう。言いがかりも甚だしい。そもそも他の誰かを害して報酬を得ている連中ならば、それを失敗した場合のリスクすら考慮していないなんて。
確かにあの時僕は彼らの仲間を倒した。だがそれは無関係な僕も口封じしようとしたからだ。そんな非道な連中に配慮など考える必要が何処にある?
「貴様は楽には殺さん。思う存分嬲ってやる」
そう言いつつ小剣を抜く男たち。小回りの利く武器を選ぶあたりはさすが本職というところか。
(アオイ、首尾は?)
【上々です。いつでも行けます】
既に僕の手にはアオイが現れ、ページを開いてその時を待っている。この場で命を奪うのは容易いだろうが、それでは彼らの背後にあるものを知ることができない。それを知ることで初めて完全な対処ができるのだから。
「せいぜいいい声で泣くんだな!」
「そうはいかない。『せかいのきさい、うし』」
いつものように僕の目の前に現れる漆黒のゲート。月明りが遮られて夜の闇が勝りつつある路地においてもはっきり異質とわかるその漆黒の奥から、速度をあげて近づきつつある何かの音。地響きすら聞こえてくるその音に男たちは一瞬だが訝し気な表情を浮かべた。
「貴様、一体何をした?」
「この場所は僕にも都合がよかったんだよ」
さらに接近してくる足音の正体を男たちの誰かが気付いた。
「これは……蹄の音?」
こんな細い路地では聞くことのない音が彼らの動揺を誘う。即座に冷静さを取り戻したことは賞賛に値するだろうが、その隙は決定的なものになる。
【さあ、祭りの始まりです】
アオイの楽しそうな声が僕の頭の中に響く。目の前の襲撃者の皆さん、あなた達の行動が彼女を怒らせてしまったということをその体で確かめてください。
読んでいただいてありがとうございます。




