11.動き出すネコ
まだ戦いは続く?
(一体アレは何なんニャ!)
ネコ耳少女は自分の眼前で繰り広げられている光景をそのまま信じることができなかった。あまりにも現実離れした、というよりもあり得ないと表現すべき想定外の事態である。
竜種というものの存在がどれほど理不尽なものであるか、力を重視する傾向が強くみられる魔族にとっては幼い頃から教え込まれている。
『竜種と事を構えてはならない。もし戦うのであれば、己の墓穴を掘っておけ』と。
魔族ですら恐れる竜種、もちろん種族によっては魔族でも圧倒できるものもいるが、少なくとも属性の力を駆使する目の前の竜種は上位に分類される。今の自分が全力で立ち向かってもその鱗に浅く傷をつける程度が関の山ではないかと彼女は判断し、必死に己の気配を隠蔽しつづけていたのだ。勇敢にもあの犬が立ち向かおうとしているが、力の差は歴然、大人と子供どころではない。地竜にとっては塵芥程度の脅威でしかない。おそらく時間を稼げてもほんの数秒、全員が喰われるまで一分もかからないはずだ。それまでにこの場から脱出する方法を見つけ出さなければならないのだ。
そんな時、あの子供が地竜に立ち向かう。その無謀さは最早呆れを通り越して賞賛してやりたいほどだ。ランザ程度を捕縛したことで自信をつけたのだろうが、相手はランザが百人いても絶対に勝てない強者だ。かわいそうに、もしかするとあまりの恐怖に頭がおかしくなってしまったのかもしれない。哀れみの感情が芽生え始めたとき、世界が一変した。
(それにここはどこニャ? 地下迷宮にいたはずニャ)
周囲が闇に包まれたと思った次の瞬間、地下迷宮だったはずの場所は暗い室内に変わっていた。そして部屋の中央に立つのは異様な姿の巨人。地竜が見上げるほどの巨体でありながら、巨人族のような筋骨隆々な体ではない。少なくとも少女の知識の中にはあのような巨躯を持つ種族はいない。
さらに驚愕したのは、巨人の圧倒的な強さだ。地竜は空を飛ばない。強固な鱗の下に隠されたはちきれんばかりの強靭な筋肉が体重を重くしているために飛べなくなり、やがて翼が退化してしまったと言われている。だが空を捨てた分、耐久力や物理的攻撃力は竜種の中でもトップクラスであり、さらにブレスまで使うとなれば、地下迷宮のような閉ざされた場所ではほぼ無敵である。
そんな存在を圧倒しているのである。それも魔法の類をまったく使わず、己の拳打と足打のみでである。地竜の攻撃の機微を完全に捉え、その悉くをつぶす。堅固な竜鱗という防御を無意味なものとする攻撃は、着実に地竜にダメージを与え、さらにその精神をごりごりと削っていた。
おそらくだが、あの巨人は一撃で地竜を屠ることが出来るだろう。だがそれをしないのは……
(あいつ……嬲るつもりニャ……)
力の差を見せつけ、なおかつ自分の攻撃など意味を為さないと思い知らせる。ほんの僅かな希望さえ粉々に打ち砕き、二度と歯向かうことができないように心と体に恐怖心を染み込ませる。そして心を折る。この世界において尊大な態度を取ることが許されるだけの実力を持つ者の心が折られたとき、その存在はどうなってしまうのかなど想像できない。否、想像すらしたくない。何と恐ろしいことを考えているのかと声をあげたくなる。
(あいつは危険ニャ……危険すぎるニャ……)
地竜が泣きながら許しを乞う姿は戦慄を覚えた。あの子供が関わると、この世界のありとあらゆる定義が崩れ去っていく。こんな危険極まりない存在を一時は仲間に引き入れようとしていた自分の考えの浅はかさには情けなくなってしまう。もし反旗を翻されれば、あの地竜のように尊厳を踏みにじられて、泣きながら命乞いをするのは自分だ。
ここで放置して関わらないという手もあるが、ほかの魔将に引き入れられる可能性も無くはない。ならば今、後顧の憂いを断っておくことは間違いではないはず。
(今なら……イケるニャ!)
おそらくは地竜に勝ったことで気が緩んでいるだろう。地竜ですら欺いた隠蔽を駆使して接近し、爪で首を一撫ですれば終わる。いつも通りにすれば何の問題もない簡単な仕事だ。彼女はその琥珀色の瞳にしっかりとアルトを捉えつつ、音をたてずに近づいていった。
**********
ネコが歩いてくる。いや、ネコ耳の女の子が歩いてくる。おそらく闇属性魔法の隠蔽を使っているのだろう、先生やオルディアが反応できないということはかなりの手練れだ。だが僕の目にははっきりとこちらに歩いてくる姿が映っている。
【こちらに認識されているとは気づいていないようです】
(あの様子だとそうらしいね。きっと地竜がいなくなったからかな)
地竜は既に土の中に帰っていた。もちろんもう僕たちに攻撃しないという約束をしてだ。口約束だが、相手は誇り高い竜種だ。まさか一方的に約束を破るようなことはしないはず。その証拠に、約束を交わして潜っていく時の顔はどこかほっとしたような顔だった。
ネコ耳の少女は地竜が潜っていった穴の横を慎重に、というよりもビクビクと怯えながら歩いていた。時折穴の奥を確認したりしている。地竜が戻ってこないかどうかを確認しているのかもしれない。その動きは見ていてどこか和んでしまいそうになる。さすがにこの状況で彼女が味方だなんてことはあるはずもない。だからここで黙って接近を許すつもりもない。
「こんにちは」
「ニャッ?」
声をかけられるなどまったく想定していなかったのだろう、ネコ耳少女は可愛らしい声をあげて立ち止まった。そして不用意に歩調を乱したため、その気配隠蔽が切れて先生たちも彼女の存在に気付いた。
「何者か!」
『お前誰だ!』
だが先生たちが僕のところに来るまでには数秒かかると思われる。それを瞬時に判断した少女は驚きの表情を冷たい笑みに変えて僕へと素早く接近した。吐息がかかりそうなほどに接近した彼女の琥珀色の瞳が怪しげな輝きを見せる。
「悪いけど、お前は危険ニャ。だから今のうちに潰しておくニャ」
「どうして僕が?」
「これ以上のお喋りは無用ニャ。せめてもの情けで痛みを感じないうちに殺してやるニャ」
少女が振りかぶったその右手の指先には、まるでレイピアのような鋭い爪が伸びていた。その手を振り下ろす、ただそれだけの動作で僕の命は終わってしまうだろう。先生たちが助けに来ようとする姿が視界の隅に映るが、このタイミングでは到底間に合いそうもない。だが僕もこのまま指を咥えて待っている訳ではない。
【アルト様、今です】
アオイは先ほどネコ耳少女を発見した時から準備を進めていた。当然ながら僕もそれを知っている。少女がこういう行動に出る可能性も僅かだが頭の片隅で考えていた。アオイが再び出現し、開いたページには簡潔な言葉が記されている。僕はそれを詠唱するだけだ。ここで素直に殺されてなどやるものか。
『ねこがまっしぐら』
少女の背後に軽い何かが落ちる小さな音がした。そして時が止まった……
もうバレバレですねw
読んでいただいてありがとうございます。