9.番人
(どうしてこんなことになったニャ……)
ネコ耳の少女は必死に自分の気配を消しながら、そんなことを考えていた。一体どこで何を間違えてしまったのか、どうすればよかったのかという答えを知りたかった。それを知ったからといって現状を打破する決定打になるはずなどないのだが、それでも知ることで自身の精神状態を保つくらいにはなるだろう。それほどに少女は混乱の極みにいた。
オーガには大して期待をしていなかった。彼女の見立てではあの犬と老人はとても強い。せめて多少なりとも疲弊させれば御の字であり、あとは自分が始末すればいい。もちろん自分の配下に勧誘することも忘れないが。
(これも全部あの子供のせいニャ)
予定が狂ったのは、別室に閉じ込めた子供がランザたちを倒してしまったことだった。元々ランザ程度に期待などしていなかったが、それでもあの人数と武力は圧倒的なはずだった。だが実際は全員が生け捕りにされるという予想外の展開で、ランザの口から自分のことが語られるのもよろしくない上、口封じしようにもこれだけの冒険者の前では秘密裏にというわけにもいかない。あらゆることが想定外の方向に進んでしまう。
(挙句に地竜なんて何かの冗談に決まってるニャ……)
ならばせめてあの子供だけでも、と行動を起こそうとした矢先に床が抜けるとは冗談でもまったく笑えない。とっさに体勢を整えて着地したが、そこにいたのは竜種である地竜。馬鹿げているにも程がある。そんな状況でも気配を隠蔽しつづけたのは奇跡に近いものがあった。地竜に自分の存在を知られていないとわかった時には自分で自分を褒めてやりたいと思ったくらいだ。
だが地竜に気付かれていないのは僥倖だった。あの子供たちが喰われている間に何とか脱出方法を探し出して逃げ出せばいいのだ。そうと決まればまずは脱出経路探しである。気付かれないように様子を探ろうとした瞬間、周囲が闇に包まれた。闇属性に長けた彼女が全く認識できないそれは闇でありながら闇ではなかった。
(あ、あれは何ニャ……)
闇がゆっくりと薄くなるにつれて周囲の様子がわかってきた。そして彼女は地竜と相対するその存在に圧倒されていた。
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周囲を塗りつぶすように拡がった闇が薄くなっていくと、そこはまるで別世界だった。剥き出しの岩肌はどこにも見えず、巨大な部屋のような印象を受けた。窓らしきものにはおそらく木製であろう格子がつけられている。そしてその空間には僕たちと地竜がいる。だが……
『貴様……何者だ?』
『……』
誰もが思わず息を呑む。それは地竜であっても例外ではない。劇変した周囲の光景と相まってか、その異様さは竜種でさえ警戒を露わにさせるものだった。
『巨人族か? だが巨人族如き我が敵ではないぞ? こんな木偶の坊を喚び寄せて何がしたいのだ?』
『……』
地竜はやや語気を荒げるが、ほんの僅かだが動揺の色も見られる。おそらく目の前の存在が自分の知識の範疇にないために戸惑っているのだろう。
それは人だった。だがその大きさが尋常ではない。地竜でさえ見上げるほどの巨躯でありながら、巨人族のように筋骨隆々というわけでもない。色黒の肌を持つその巨人はライトブルーの簡素な服に白いショートパンツという恰好で、裸足で立っていた。しかしよく見れば細身でありながら、体は引き締まっておりしなやかさを感じさせる。特徴的な細かいウェーブのかかった髪に、目を患っている人が好んで使う色付き眼鏡をかけていた。それが無言で立っているのだ、警戒するのはもちろんのこと、動揺するのも不思議ではない。
『ええい、鬱陶しい! 我がブレスで骨も残らずにしてやるぎゃッ!?』
地竜がブレスを出そうとするのと同時に、巨人が動いた。口に巨大な力が収束し始めるよりも早く、巨人の足が地竜の頭を蹴り上げた。無様な声をあげた地竜はのけぞるような姿勢で数歩後退る。その様子を見ていた巨人は踵を返すと、中央付近にいつの間にか出現した揺り椅子に腰かけて地竜を見ていた。
『……貴様、どこまでも我を虚仮にするつもりか』
『……』
地竜の凄みをきかせた脅し文句にもまったく動じることなく、巨人は地竜の出方を伺っている。揺り椅子に揺られながら、腹のあたりで両手を組んでいるその姿は強者の雰囲気を醸し出して地竜の神経を逆撫でし続ける。
『いいだろう、もう貴様らを喰うだけでは気が済まん。我を本気にさせたこと、後悔しながら死んでゆけ』
『……』
これまで以上に殺気を高める地竜。それに呼応するように揺り椅子から立ち上がり、ゆっくりと身構える巨人。地下迷宮の最奥にて、人知を遥かに超えた戦いが始まった。
先手を取ったのは地竜だった。再びブレスを出そうとするも、巨人が素早く接近して蹴りを見舞う。ブレスは行き場を失い、地竜の口内で爆発すると決して軽微ではないダメージを与えた。想定外の攻撃とダメージに怯む地竜、さらに攻め込む巨人はがら空きの地竜の全身に拳打、足打を叩き込んでゆく。
『ぐ……貴様……馬鹿にするのもいい加減にしろ……』
『……』
地竜にとって、剣や魔法ではなく、単純な拳打、蹴打でダメージを負うなど考えたこともなかっただろう。そのために生まれた心の空白、その隙を見逃す巨人ではなく、さらに攻撃を加える。善戦しているどころの話ではない。ほぼ一方的である。
【力の差というものをきっちりと教えましょう。そしてアルト様を屑呼ばわりした罪は裁かれなくてはなりません】
アオイの言葉はどことなく楽しそうにも聞こえる。戦いの優劣は誰の目から見ても明らかであり、このまま勝負が決まってしまうと思っていた。その証拠にバーゼル先生は安堵の表情を浮かべ、オルディアはちぎれんばかりに尻尾を振りながら周囲を跳ね回り、嬉しさを爆発させている。このまま終わってくれれば……僕たちの誰もがそう思っていた。約一名? を除いては……
今回は連戦です。
読んでいただいてありがとうございます。