15.禍根
「どうする? 戻ってきたところを仕掛けるんじゃなかったのか?」
アルト達の舟が巨大魚を引きながら桟橋に戻ってくる様子をやや離れたところから見ている数人の男たちがいた。アルト達の獲物に歓声を送る群衆と、それに応えるように笑顔で手を振るエフィを恨めしそうな目で見ている。
「ここは強引にいくか?」
「馬鹿言うな。手駒のほとんどを捕縛されているんだぞ? それに姿は見えないが相手は王宮近衛守護隊のレジーナだ、この戦力ではまともにやりあうこともできん」
「ならどうする? このまま尻尾を巻いて逃げることも出来ないだろう」
「ああ、依頼の失敗は組織の恥だ」
彼らは湖畔でエフィを狙った襲撃者の残党だった。手駒のほとんどを襲撃に向かわせ、自分たちは始末した後の連絡役として潜んでいたために捕縛を免れていた。だが彼らは逃げ帰るということができない。依頼に失敗して組織の信用を失墜させた者には相応の制裁が待っているからだ。
「ではどうする? 何か手段でもあるのか?」
『皆さん、お困りのようですね』
「……誰だ、お前……」
背後から突然声をかけられて動きを止める男たち。彼らは即座に反応することが出来なかった。というのも、それなりに手練れの彼らがこんなすぐ傍にまで全く気付かずに接近を許すことなどあり得なかったからだ。リーダー格の男が振り返るとそこには漆黒のフード付きのローブを纏ったモノがいた。目深に被ったフードの下の表情をうかがい知ることができなかったが、少なくともそれが人間という範疇に含まれていないことは明らかだった。
かろうじてフードから覗く顔の一部は通常ならばあるはずのものが無かった。口が、鼻がなく、ただのっぺりとした何かがあるだけだ。そして怪しく光る二つの目のよなもの。
「……貴様、魔族か」
『そのようなことはどうでもいいでしょう。あなた方は戻れば制裁という名の処刑が待っている。ここはどうしても対象を始末しておきたいところでしょう?』
「何が言いたい?」
『手を貸す、と言っているのですよ。とはいっても私の狙いはあの少女ではなく少年のほうなんですがね』
「……いいだろう、話を聞かせてもらおうか」
『聡いですね、こちらも話が省けて助かります。では申し訳ありませんがこちらに来てもらえますか』
男たちは黒ローブの魔族に誘われて未だ興奮冷めやらぬ桟橋から離れて人気のない湖岸へと向かった。そして躊躇うことなく水の中に進む魔族に若干の違和感を覚えながらも同じように水中へと足を踏み入れた。
「お、おい、こんなところで一体何を」
『いえ、大したことではありません。私もあなた方と同じですから』
「は?」
『無能な上司の身勝手な行動での自滅、それはいいんですよ。ですがその責任を振り回された部下がとらされるなんて理不尽じゃないですか。ですがもうどうしようもありません。すでに私は認識されていますから』
「お、おい、一体なにを……」
『あの少年だけは許せません。おとなしく殺されていればいいものを……この際街ごと消してしまいましょう。その為には贄が必要です。しっかりとその味を覚えてもらわないといけませんからね』
突然魔族が振り返りローブを脱ぐ。ローブの下は一切衣服を身に着けていなかったが、それよりも異様なのは身体中に描かれた魔法陣だった。それらはすべて怪しげな光を放っている。そして口も鼻もなく、光る眼だけの顔も同様だった。
『さあ、お互いに後の無い身、その命を以ってすべてを滅ぼしましょう!』
魔族の叫びとともに大きく水面が割れ、そこから深淵が顔を見せる。底の見えない闇は魔族と男たちを吸い込むと、その全貌を現した。
それはいびつな生き物だった。巨大な口に尾が生えたようなそれは口を閉じると、体にそぐわない小さな目で周囲を見回した。そして人のあふれる桟橋を見るや否や、そちらのほうへと音もなく進んでいった。
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【アルト様、危険です! 巨大かつ強力な何かがこちらに向かっています!】
アオイの警告が突然頭の中に響いた。アオイとの魔力リンクを通して索敵情報が流れ込んでくる。
「湖から? それになんて大きい! あれは生き物なの?」
【生命反応は確認しています。この桟橋にいる人間を捕食しようとしているようです】
「捕食だって? ああ、もうあんなに近くまで!」
遠くの湖面に黒い大きな影が見える。それはゆっくりと、だが確実に桟橋に向かって接近してくる。大きさはエフィさんの屋敷が小さく見えるほどに巨大だ。あれほどの巨体の食欲を考えれば、桟橋にいる人たち皆を喰らっても満足することはないだろう。だが相手は水中、陸地に逃げれば……
【周辺の湖底に異常を確認、水深が深くなっています。水底が削り取られているようです】
「いきなりどうしたんですか、アルト君?」
僕の焦った様子を見て不思議そうな顔をするエフィさん。彼女には当然ながら僕とアオイのやり取りは聞こえていないので、何が起こっているのか全くわからない。
「向こうから巨大な生き物が来ます! ここにいる人たちを食べるつもりです!」
「……あれは何なんですか?」
謎の巨大生物を指さすと、エフィさんはそれを見て言葉を失う。だがそれは巨大生物の存在だけに驚いているわけではなかった。
「……まさかそんな、あの生物は地属性魔法を使っています。レジーナ! どこにいますか!」
「ここにおります! 如何なされましたか!」
「あの生き物は地属性魔法を使っています! ですが私にはどのような効果を齎すものかまではわかりません! あなたの見立てを聞かせてください!」
「……あの生物はいったい……いけない、あれは危険です! 広範囲に地盤沈下させるつもりです!」
レジーナさんが群衆をかき分けるようにしてやってくると、エフィさんの言葉に従い巨大生物を見る。そして一瞬固まったのちに叫んだ。広範囲に地盤沈下ということは……陸上にいても何の意味も持たない。すべてが水没してしまえば大勢の人が溺れて死ぬ。もし泳げても水面に浮いている人間なんてまさに食べ放題、あの巨大生物が水中の生き物だとすれば人間が水中で敵うはずがない。そしてレジーナさんが絶望的な言葉を発する。
「あの生物は巨大なナマズの魔物です! そしてすでに魔法は発動寸前です! あの魔物を倒さなければ発動は止められません!」
「なんですって?」
魔物は次第に速度を上げてこちらへ泳いでくる。おそらく住民が避難するよりも早くここへ到達するだろう。そして食欲を満たすことができないと知った魔物は躊躇いなく魔法を発動させる。そうなればロッカの住民はすべて魔物の腹の中だ。
だがどうして今このタイミングなのだろうか。まさかエフィさんを狙っている連中はこんな魔物すら呼び起せる力を持っているのだろうか。わからないことが多すぎて思考が纏まらない中、不安そうに僕の手を握るエフィさんの手の震えが僕の決意を呼び起こした。
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