3.地獄の始まり
毎日更新とは言ったが一日一話とは言っていない!
気づけば朝になっていた。泣き疲れて眠ってしまったようだが、正直なところ起き上がる気力がなかった。もうすべてが嫌になってしまったというのが最大の理由だったが。
魔法に適性がないということは、どんな初歩的な属性魔法も使えないということだ。それはすなわち無能の烙印を押されたも同義だった。前代未聞の魔力量ということであれほど大騒ぎした結末がまさかの無能なんて笑い話にもならない。僕を使って成り上がろうとした父の面目は丸つぶれだ。
父が僕をここに隔離したのもなんとなくだが理解している。実は魔法適性の無い人間というのはごくごく稀だが産まれてくる。そして僕のように、親に過度の期待をされた結果、適性なしということも過去にはあったと魔法書には書かれていた。そして期待を裏切られたことに激昂した親が子供を殺してしまったこともあったと。
あれほどお偉方を招いた父がもし僕を殺せば、恥をかかせたことが理由で殺したと誰もが判断する。でも今回のことは僕に非はない。だって儀式の前に適性を調べる機会がなかったのだから。なのに殺したとなれば、親としての狭量さを指摘される。たとえ魔法に適性がなくとも血の繋がった子供だろう、と。
子供殺しの悪評は、成り上がることを夢見る父にとっては絶対に避けねばならないことだ。だからここに隔離して成人まで生かしておいて、成人したと同時に放り出すつもりなのだろう。自由に旅をさせるとか適当な理由をつけて。
コンコン
小さく扉をノックする音に思考が現実に引き戻される。木窓の隙間から差し込む陽光はまだ柔らかく、夜が明けてからまだそれほど経っていないことが理解できた。もしかしたら父か母が鬱憤を晴らすためにやってきたのかと身構えたが、子爵という爵位にふんぞり返っている彼らが使用人のような早起きをするはずもないと緊張を解いた。
「アルフレッド様、メルです」
「ああ、今開ける」
声を聞いて慌てて扉を開ける。そこに立っていたのは僕と同年代の女の子、所々に継ぎ接ぎのあるメイド服を着た少女だった。その手には質素というよりも粗末と表現したほうがしっくりする朝食らしき木皿を持っていた。
彼女はメル、屋敷の隣に住む農民の娘で、僕が十歳の頃から住み込みで働いている。それからすぐに僕の身の回りの世話をしてくれるようになったけど、今の僕にはそんなことする必要もなくなったはず。
「あの……こんなものしかありませんが……」
「ううん、助かるよ。でも僕に構っていたらメルも色々と面倒なことになるよ?」
「そんなことありません! アルフレッド様はアルフレッド様です!」
「そうか……ありがとう。でも無理はしないで、メルが酷い目に遭うのは僕にも辛いから」
「アルフレッド様……」
若干目を潤ませながら、メルは踵を返して小屋を出てゆく。彼女は僕にとても尽くしてくれたし、そんな彼女が僕に巻き込まれて辛い目に遭うなんて絶対に嫌だ。
「これ……食べられるの?」
メルが置いていった木皿に乗っていたのは十数個のパンらしきもの。らしきものというのは、それがほぼ黒焦げで、僕の知る黒パンの色よりはるかに黒く、月の出ない闇夜のような色をしていた。これって確か……厨房のパン焼き窯の試し焼きのパンだったよね。使用人の賄いにもできないような代物で、いつも屋敷の畑の肥やしにしてたはず。
一口齧ってみれば、ひたすら苦い。とにかく苦い。吐き出そうにも欠片が口の中に残ってしまってどうにもならない。慌てて水がめの水で口の中を洗い流す。
この小屋には屋敷の近くの泉の水が流れ込むようになっているので、水だけは不自由しないのが不幸中の幸いだった。
「あれ? メルが持ってきたのかな?」
黒パンもどきのせいではっきりと覚醒した僕が小屋の中央にある小さなテーブルに目を向けると、そこには青い本があった。僕の部屋にあったから持ってきてくれたんだろうか。とすればこれは少々まずいことになったかもしれない。
この本の装丁は今まで見たこともないほど美しい。きっと、いや間違いなく高価な本のはずだ。そんな本をあの両親が僕なんかに渡すはずがない。こんな無能の僕に。
幼い頃からいつも僕の部屋にあった本、愛着がわかないはずがない。でもこのままではメルが処罰されてしまう。それだけは絶対に避けないと。
と、誰かの気配が小屋の外に現れた。下草を踏み潰す音から考えてメルではないのは確かだ。彼女はこんな重い足音なんて出さない。この音から推測できるのは大柄な男、それはつまり……
「何か御用ですか? 父さん」
「貴様のような無能が私を父と呼ぶな!」
扉を開けると、そこには父フリッツが立っていた。傍らにはメイドが鞄を持っていた。それは使い古された大きな鞄だった。
「貴様の部屋にあった私物はここに入っている。今後一切母屋に入ることは許さん」
どうしてこの人はここまで僕を嫌うんだろうか。一族の未来を僕に託していたとすればこの仕打ちも理解できなくはないが、それはあまりにも他力本願すぎないか?
確かに父は子爵位にいるにしては功績を挙げていない。武勲もなければ領地を栄えさせたという実績もない。祖父から受け継いだ爵位にしがみついているだけのところに降って湧いた希望、それがなくなった今、希望の反動としてこうなってしまったんだろう。
「来年にはキースの魔力が判明する。家督はキースが継ぐから貴様は安心してここで成人まで篭っているがいい」
そうか、キースが。キースの魔力の量は常人の倍ほどで、騎士団での中堅クラスに匹敵する量だった。属性によっては将来も明るいらしい。なるほど、今度はキースに期待しているってことか。そうだ、例の本のことを断っておかないといけない。そのことでメルに迷惑がかかるのはまずい。
「父さん、あの本がずっとここにあったんですが?」
「本だと? そんなものがどこにある」
「あのテーブルの上にある青い装丁の本です」
「そんなものがどこにあると言っているんだ。貴様の目は節穴なのか?」
「そんな! ここにあるでしょう? 見えないんですか?」
「ふざけたことをいうな! こんなところに押しやった私をだまして鬱憤を晴らそうというのではないだろうな!」
おかしい、どうにも話がかみ合わない。あんな目立つ装丁の本が見えないのか? もし本当にそうなら、何故僕だけにしか見えないのか? しかもあの本は全部のページが白紙という、全くもって意味不明な本だ。
「不愉快だ! いいか、貴様はここでじっとしていろ! 成人したらどこにでも行くがいい!」
フリッツは吐き捨てるように声を荒げると小屋を後にした。付き添っていたメイドもそれに伴うが、ちらりとこちらを一瞥するだけで以前のような愛想のよさはどこにも見当たらなかった。
これがこれからの僕の存在価値なんだと実感した瞬間だった。殺してやりたいけど殺すことができない存在。どこまでも疎ましい、だけど放り出すわけにもいかない。成人するまでの二年間だけとはいえ、そんなお荷物を抱え込まなければいけない。先ほどのメイドの視線にはそんな感情が垣間見えた。
こうして僕の地獄のような生活が始まった。
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