4.祭り
ちょっとだけ遅刻しました。
「そうか、マウガから来たのか。まぁ見どころは湖くらいしかない辺鄙なところだが、食べ物の美味さは保証するぞ。ゆっくりしていくといい」
「はい、ありがとうございます」
「街の者はまだここいらが漁村だった頃の慣習が抜けなくてな。それにここに来る者も商人の定期キャラバン以外にはそう多くない。どうしても閉鎖的になってしまうところは変えていきたいと思っているんだがな」
僕たちは領主アントニオさんの勧めで領主の屋敷に来ていた。とは言ってもほかの住民の家を二回りほど大きくしただけのもので、領主が住む家とは思えない。
「お前は正直な奴だな、顔に出てるぞ。だが確かに領主の館って胸を張れるようなもんじゃねえな。ま、俺はお飾りみたいなものだから当然か」
「お飾り……ですか?」
アントニオさんの言葉の真意を測りかねる僕。仮にも爵位を与えられて領地まで与えられているというのに、それのどこがお飾りなのだろうか。
「元々ここいら一帯は小さな漁村が点在しててな、この街の前身の村が一番大きかったからまとめ役をしていたんだよ。だが十年前を境に大きく変わることとなった」
「十年前と言いますと、爵位を授かった頃でしょうか」
「ああ、それにもちょっとばかり理由があってな」
彼は自分たちの街の成り立ちを話してくれた。そもそもの始まりは一人の王族の使いが避暑地を探してこの湖に来たことが始まりだった。当時は王族や高位の貴族の間で、いかに風光明媚で食べ物も美味しく、かつ王族としての立場を考えずに生活できる長閑な別荘を持つことが流行していた。そしてこの周辺が見事選ばれたというわけだ。
「で、だ。いきなり別荘を建てても使うのは年に一度あるかないか、それに使うのなら事前に準備も必要だ。少なくとも数人は管理する奴を置いておかなきゃならん」
ここまで来れば僕にだっておおよその筋道はわかる。ここを別荘地にするのはいいが、建てられた別荘には管理人が必要となる。だがこんな辺鄙な場所まで王都から来るような物好きはいないだろう。いくら命令とはいえ、こんな僻地に送り出されるなんて誰がどう見ても栄転とは考えない。
「それで論議の結果行き着いたのが、ここいら一帯を新たな貴族の領地として管理を一任、というか丸投げだな。早い話が別荘の管理人をさせるためだけに貴族の末端に組み込んでしまえという荒っぽいやり方だ。だがその反面いいこともあってな、王族の別荘地ということで大々的な開拓ができないってんで徴税が免除されてる。漁業がメインのこの街は一定の収入を確約することが難しいからな」
「漁業は湖の状態により大きく変動します。現に五年前の干ばつの際は水量の減少により例年の半分以下でしたから」
レジーナさんが話を補う。彼女はたぶんこの地の出身じゃないんじゃないかと思う。というのも立ち居振る舞いに粗暴なところは見受けられず、しかも手練れということは高度な訓練を受けた人物であるということだ。しかも言葉にはこの街の住人特有の訛りのようなものはない。服装こそ住人と同様のものを着ているが、その中身はまったく異質のものだ。
「レジーナは王族が寄越したお目付け役だ。俺はもともとこの周辺の漁村を束ねる漁師頭でしかなかったんだよ。そんな男がいきなり領主になってうまくいくわけがないだろう」
「そう思うのでしたら自ら漁に出るのは控えてください」
「止めろと言わず控えろというあたりが嬉しいねぇ。俺から漁を取ったら何も残らないからな」
笑顔のアントニオさんが視線を向けると、顔を赤らめながら必死に平静を装うレジーナさんがそっぽを向いた。ああ、なるほど、二人はそういう関係になりつつあるのか。確かにアントニオさんはやや粗暴な感じはあれど、頼りがいのある兄貴分のような雰囲気だし、見た目だって悪くない。性格も貴族というよりは平民寄りの人懐こい性格とあれば惹かれてもおかしくはない。
「それに貴族の役割だのなんだのが多くて元々の村の催事がおざなりになってな、だがようやく今年は祭りができそうなんだよ」
「祭りですか?」
「ああ、湖岸の漁師が総出で漁に出て一番大きな魚を競うんだ。さっきはそのために事前調査をしていたんだよ」
確かに先ほど小舟には大人くらいの大きさの魚が載っていた。あんな大きさの魚を皆が競うとなれば、見応えのある祭りになるだろう。
「あんなのはまだまだ雑魚だ、過去には大人十人がかりでようやく引き上げるほどのでかい獲物が上がったこともあるらしいしな」
「あれよりも大きな魚が!」
さっきの大きさの魚というだけでも気分が盛り上がるのに、あれよりも大きな魚となれば当然盛り上がりも相当なものになるだろう。小舟に乗らないくらいに大きな魚を皆の前で披露する興奮、漁師にとってはまさに一世一代の晴れ舞台だ。
「それに今回はお忍びで遊びにくる王族の方がどうしても祭りを見たいと強く所望されていてな、場合によってはこの街を発展させるきっかけにもなるかもしれんからこっちも気合が入っているんだよ」
「そのぶん警護の手が足りないので、王都から警護要員を派遣してもらわなければなりませんが」
破顔のアントニオさんとは対照的に、眉間に皺を寄せて表情を曇らせるレジーナさん。もし王族に対して何かあれば責任問題になる。最悪の場合領主の処刑、領地の没収なんてことにもなる。発展どころじゃなくなるのでその危惧も当然か。もちろんレジーナさんにとっては個人的にそうなってほしくない部分も大きいんだろうが。と、不意にレジーナさんが先生のほうを向いた。
「そうだ、『宵闇』殿」
「その名は過去に捨てた名です。今はバーゼルとお呼びいただきたい」
「す、すみません。改めてバーゼル殿、後程手合わせしていただけますか? 祭りの際は警護を纏めなければならない立場故、腕が鈍っていないか確認したいのです。あなたほどの相手であれば問題ありません。あなたにとっては児戯にも等しいかもしれませんが」
「どうなさいますか、アルト殿」
「僕は構わないですよ。ならその間に僕は湖岸を散策しています。オルディアもいるので安心してください。それにそんな楽しそうな祭り、僕だって安心して見ていたいですから」
「すまんな、レジーナはこんな性格だから勘弁してやってほしい。だが俺が最も信頼しているのは確かだぞ」
「もう! 人前でそんな冗談はやめてください!」
「何言ってる? 俺はいつでも本気だぞ?」
「本気……」
一体なんだろうか、この空間は。いつの間にか二人きりの空間を作り上げたアントニオさんとレジーナさん。僕たちはこの場に存在しているのにもかかわらず、その気配をまったくといっていいほど感じ取ってくれなかった。まるで砂糖漬けにでもされそうなほどに甘ったるい空気はこの後どのくらい続くのかを考えると少々うんざりした。
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