3.領主
「やった! また釣れた!」
【その調子です。飲み込みが早くて何よりです】
『おさかなー』
漁師が使っているであろう小舟が並んで係留してある小さな桟橋で釣りを開始した僕は、開始早々魚を釣り上げた。糸を投げ込むたびに魚がかかる。それはひとえにアオイの知識から出した道具のおかげだった。
『ようせいのゆうわく』
言葉はとても魅力的なものだったが、出てきたものは釣り竿らしき一本の細い棒とその先に結び付けられた糸、その糸の先端に結びつけられた小さな釣り針で、その釣り針には極彩色の髪の毛ほどの細さの糸が巻かれていた。『ようせい』と言うがどう見ても虫にしか見えないんだが。
だが釣り竿はとてもよくしなり、そのうえ軽かった。竿に結んである糸も細く、釣り針に至っては鍛冶職人でも作るのが難しいと思われるほどに小さく頑強で、その先端は触れるだけで刺さるほどに鋭かった。
【それはフライと言います。魚の主食である虫を象ったものです。こういう簡易な道具を具現化することはアルト様の訓練に非常に役立ちます】
「こういう楽しい訓練なら大歓迎だよ」
『ご主人様ー、おさかな美味しー』
次々と釣り上げられる魚は借りてきた桶に収まりきらず、こぼれた魚をオルディアがつまみ食いしている。口の周りが血で汚れて少々怖い。
「これはこれは……すさまじい勢いですな。この辺りの漁師ですら一日かけてもここまでは行きません」
「この道具のおかげですよ」
「それが召喚した道具ですか。さすがは召喚士とでも言いましょうか」
そう、この街に入る前から僕は召喚士という職業を名乗るようにしていた。バーゼル先生は近くの漁師から追加の桶を借りてきては、その釣果を見て驚いている。
召喚士を名乗るように勧めたのは先生だった。先生の話によると、異界より力ある存在を喚びだすという方法ははるか昔に存在したと記した文献が発見されており、まったく存在しないものではなかったそうだ。なのでその力を受け継いだ召喚士という存在を名乗ることにより、僕が周囲から奇異な目で見られることを軽減できるのではとの提案だった。
確かに今の僕は魔法属性もなく戦闘技術も稚拙、だが不思議な存在を顕現させて強敵を圧倒する正体不明の存在。正体不明な者がいるという不安は他者の猜疑心を容易に際立たせる。際立ち、増幅された猜疑心は次第に畏怖へと変わり、やがてその畏怖を排除しようと考える者がいてもおかしくはない。やや極論かもしれないが、自分の正体をある程度明確ににしておくことは重要だと思う。もし僕が正体不明の奴にそばにいられたらとても不安になる。
「ほー、これが召喚士ってやつかー。俺の今日の上がりより多いじゃねぇか。しかも皆活きがいいときた。これなら買い取り値も高くなる。なぁ、その道具売ってくれねぇか?」
「すみません、これは僕にしか使えないので。手放すとこうなってしまうんです」
先生と一緒に桶を持ってきた地元の漁師が僕の手にある釣り竿を物欲しそうに見ているので、僕は大きな動作で釣り竿を地に置いて離れた。すると釣り竿一式はまるで煙が晴れるように透けていき、ついには消えてしまった。
「き、消えた……」
「はい、ですからお譲りできないんです」
明らかな落胆の表情を浮かべる漁師に若干の心苦しさが生じるが、これも必要なことだ。というのも、本当は消えることはない。アオイに頼めば道具類は具現化した瞬間に魔力が固定されるので、僕がアオイとの契約を解消しない限り消えない。だがこういう道具は他者の手に渡れば争いの種になるのは必至であり、それは僕が望んでいることではない。なので先生と相談の上でこういう形での召喚を使えるようにしたのだ。
「この桶をお借りしたお礼にこちらの桶の魚をどうぞ」
「お、こんなにいいのか? それならそっちの桶はあんたらにやるよ。この魚の買い取り額だけでこの桶が十は買える」
そう言ってほくほく顔で魚の入った桶を持って帰って行く漁師の後ろ姿を見送りながら、僕は若干の不安に襲われた。道具が僕から離れると消えてしまうのであれば、僕ごと攫ってしまえばいいと考える輩がいてもおかしくはない。
「そこは私とオルディアがアルト殿を護ります。それにそこまで害そうとする相手に対して何もしないということはないのでしょう?」
「そうですね、アオイもいますし」
不安を打ち明けた時、先生はそう言ってくれた。こういった不安な気持ちになることはマウガを出てからしばしば経験した。今までずっとそういうことを感じなかったんだが、それが母親の手で仕組まれていたことだと知ったときには自分を見失いそうになった。先生やオルディア、アオイがいなかったらどうなっていたかを考えると震えがくるほど恐ろしい。
だが自分の身は自分で護るというのは冒険者としては当然のことだし、僕だっていつまでも護られていていいはずがない。そのためにも召喚という僕だけの手段を自在に使いこなせるようにしておかなければならない。この釣りはそのための修行の一環だ、決して遊びではない。
「アルト殿、そろそろ宿に戻りませんか? この魚を新鮮なうちに宿で料理してもらいましょう」
「それは楽しみですね、早速戻りましょう」
『お魚ー』
まだまだ食べたりないのか、しきりに頭を擦りつけて魚をねだるオルディアをなだめつつ桶を持って宿に戻ろうとすると、桟橋に一艘の小舟が戻ってきた。その船には大人くらいの大きさの魚が横たわっている。櫓をこいでいるのは浅黒く日焼けした肌に赤銅色の髪の筋骨隆々とした男性だ。舟は静かに桟橋に横付けされ、男性が降り立つと若い女性が一人近寄ってきた。男性と同様に日焼けした肌に赤銅色の髪をうなじあたりで束ねた、とても綺麗な女性だった。
「これはまた大物ですね」
「ああ、だがもっとデカいのがいたんだが仕留めそこなった」
「またそんなのを相手にしていたんですか?」
そんな会話を聞いていると、不意に先生が耳打ちしてきた。
「あの女性、手練れですな。我々のことも常に視界から外しておりません」
「そうなんですか? そういう風には見えないんですけど」
その女性の恰好はこの街の女性によく見られるやや露出の大きい服を着ている。膝上あたりまで短く切られたズボンに上はへそのあたりまでしかないシャツという恰好で、大振りの曲刀を腰に提げている。
「お? 大漁じゃないか。もしかしてこの桟橋で釣ったのか? ここいらの魚はもう擦れていて釣りでは難しいんだがな」
「はい、運が良かったです」
「きっと先ほどの細い釣り竿によるものでしょう? こちらに来る途中で拝見しました」
女性が僕を見てそう言う。どうやらさっきのは見られていたらしい。それに釣りをした場所も悪かったようだ。まさかここがそんなに魚の釣れない場所だなんて思わなかった。
「それにそちらの御仁、元Sランクの『宵闇』殿でしょう? 一度マウガの街で拝見しておりますが、領主の下で働いていたと聞いております。 ああ、こちらに敵意はありません、ただ少々不思議に思ったもので」
一瞬だが先生の目が険しくなったのを見て、女性が慌てて敵意がないことを証明するかのように腰の曲刀を外して地面に置いた。それを見ていた男性が怪訝な顔で女性に問いかける。
「おい、『宵闇』ってあの伝説のか?」
「ええ、間違いありません」
先生は有名人らしいが、こんな僻地で先生の正体を見破る者がいるなんているとは思わなかった。この女性、先生が言うにはかなりの手練れっぽいが、一体何者なんだろうか? 僕の疑問に満ちた視線に気づいたのか、男性が頭を乱暴に掻きながら笑顔で言った。
「おお、自己紹介が遅れたな、俺はアントニオ、アントニオ=ロッカだ。一応この街の領主をしている。こいつは俺の補佐役のレジーナだ」
思わぬところで領主と遭遇してしまい、戸惑いを隠せない僕たち。そもそも領主様がどうして小舟で魚を獲っているんだろうか? まさかそこまで困窮しているということだろうか。
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