17.その後
ちょっと遅刻しました。
第二章のエピローグ的なものです。
「そうか、よくわかった。まずは街に被害が及ばなかったことを喜ぶべきだろうな」
執務室にて各所から上がってくる報告を聞きながら、マウガ男爵は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。彼が困惑しているのはそれだけではない。冒険者や警備隊、それに加えて一部貴族からの問い合わせが激しかったせいもある。その問い合わせの内容はすべて同じだということも彼を悩ませる一因だった。
「まさかアルトがあんな力を持っていたとはな」
皆一様に知りたがったのはアルトという冒険者についてのことだった。冒険者ギルド自体は支部長のダウニングに話を通してあるのでアルトの情報が洩れることはない。今問い合わせが来ているのはアルトを引き入れようとする者たちからだ。冒険者であれば戦力として、警備隊は警備要員として、一部貴族からはお抱えの戦力として、もしくは物珍しい能力を持つ者を手に入れたいという理由だ。
彼があの騒動のことを知ったのは、執務室で事務仕事を片付けながらバーゼルが件の冒険者パーティを捕まえてくるのを待っていたときだった。連絡員が血相を変えて飛び込んでくると同時にもたらしたのは、ようやくここまで大きくしたマウガの街の存亡に関わる事態になりつつあるということ。今すぐにでも飛び出したいところではあったが、彼も戦闘力はほとんど持ち合わせていない。なので彼は徹底的に裏方に徹することにしたのだ。
現役を退いたとはいえ、かつてのSランク冒険者バーゼル、それに元Aランクのダウニングがいれば何とか持ちこたえることができるだろうと考えていたのだが、蓋を開けてみれば魔将という災厄にも等しいバケモノの出現。国家レベルで応戦しても甚大な被害を覚悟しなければならないような存在に対して、高ランクとはいえそれも過去の栄光の二名では荷が重すぎる相手だった。
彼は悩んだ。その場にはアルトもいるはずだった。Fランク冒険者などただの足手まといにしかならないだろう。幼いころから見知っている相手とはいえ、領地と領民の命に比べればどちらを優先するかなど一般的な領主であれば一目瞭然であり、彼もそれに倣うように冷徹な判断を下した。
「警備隊は冒険者ギルドを囲むようにバリケードを築け、絶対に居住地域には入れるなよ! それから手の空いた者は街の者の避難を急がせろ!」
その指示が物語っているのは、ギルド周辺にいる者たちを見捨てるということ。領民を避難させるだけの時間稼ぎとしてアルトたちを餌に差し出そうという苦渋の決断だった。
だが結果は彼の予想を大きく裏切った。あの冒険者パーティは自業自得なので問題外として、重傷者は数人いたが命に別状なし、そして敵を倒したのがアルトの喚び出した巨人だという。領主としての彼はほっと胸をなでおろしたが、ニックおじさんとしての彼は不安になった。これだけの快挙を成し遂げた者を周りが放っておくはずがない。特にアルトのように穏やかな性格の持ち主であれば罠にはめて飼い殺しにしようとする者すら出てくるだろう。
「手痛い出費になるが、仕方ないか」
言葉とは裏腹に、彼の顔はどこか晴れやかなものになっていた。
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「なぁ、アルトって冒険者と連絡を取りたいんだが」
「ギルドでは冒険者の個人情報はお話しできない規定になっていますが」
もうこれで何人目になるのか、あまりにも同じようなことを訊いてくる冒険者たちに辟易していたシェリーは十人を超えたあたりから数えるのをやめた。訊いてくる冒険者は皆あの場でアルトが召喚した巨人の活躍を見ていた者たちだ。
「あいつを引き入れれば自分たちもお零れに預かれる」
そんな邪な考えがその顔にはっきりと浮かび上がっていることを自覚せずに訊いてくる連中にシェリーは心の中で大きくため息をついていた。
アルトがこのギルドで呼ばれている『薬草屋』という呼び名は彼らが薬草採取しか受けないアルトを卑下して呼ぶようになったことで広まった。アルトはあまり気にしていないようだったが、周囲としては決して見ていて楽しいものではなかった。
そもそも薬草採取はギルドが必要としているからこそ常に依頼を出している。その恩恵を受けていることを理解せずに他者を嘲り、いざアルトに大きな力があると知れば手のひら返しのこの態度。支部長が即座にアルトの情報を一切出さないように指示したのは当然だとシェリーは思う。
(もうこの街にいないと知ったらどうなるのかしら)
アルトは既にこの街を出ていた。領主との話し合いの結果らしいが、シェリーとしてもこの街に留まってほしいと思う反面、もしあの力が自分たちに向けられることがあったらと考えると背筋が凍る思いがする。自分たちはそのようなことを起こすつもりはないが、心無い者たちの悪意によってアルトが自分を見失ってしまうことはあり得る。
だがそんなことを全く気にかけない冒険者たちのアルトへの取次ぎの相談は途切れることはない。この面倒な状況がしばらくは続くであろうことを覚悟したシェリーは、ひたすら同じ言葉を繰り返す作業に没頭していった。
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『ご主人様ー、楽しー』
「そーれ、行くよー」
アルトは街を出て三日ほど進んだ草原に馬車を止め、アオイの知識から喚び出した道具『わんちゃんだいすきおもちゃそのいち』を使ってオルディアと遊んでいた。とても軽い、丸い皿のような形のものをアルトが投げれば、オルディアがそれを走ってキャッチするだけの道具だが、オルディアはとても楽しそうだ。
アルトはここに来るまで、何度も簡単な召喚を試していた。この道具しかり、見たこともない食べ物なども出していた。召喚を繰り返すことで、いざという時に円滑に召喚ができるようにという教えによるものだ。
(これがアルト殿の力……ですがこれはほんの一端にすぎません。誰かが利用しようと考えるのは明白。ならばできるだけそれを未然に防ぐのが私の役目でしょう)
バーゼルは馬車の御者席から無邪気に遊ぶアルトの姿を眺めていた。彼はアルトの喚び出した巨人を目の当たりにしていたからこそ、その力がどれほど危ういものかを即座に理解した。
あの巨人はアルトが敵と認識した者を攻撃する。もしその矛先が自分たちに向かったらと考えると、バーゼルといえども勝てる要素がどこにもない。それほどの力を持つ冒険者、狙われない道理がない。
出立前に男爵から聞かされたのは寄り親のマディソン辺境伯の動向だ。マウガに放たれている辺境伯の間諜が数名街を出たという報告も上がっており、何らかの動きを見せてくることは明白だ。領主とはいえ、貴族社会に名を連ねる以上、辺境伯からアルトの身柄引き渡しを要求されたら断ることは難しい。
「あの辺境伯は一筋縄ではいかん。俺がごまかしているうちにできるだけ遠くにいけ。襲撃されてもお前がいれば何とかできるだろう」
そう忠告を受けての出立だったが、無邪気なアルトの姿を見ていると不謹慎にも笑みが浮かんでくる。
(まさか再びあなたに教えることができるとは思いませんでしたよ。年甲斐もなく心が高揚してきますな)
楽しそうにオルディアと駆け回るアルト。しばらくして戻ってくると、バーゼルは御者台から声をかけた。
「アルト殿、これからどこへ向かいましょうか」
「どこにと言われても……僕は地理に詳しくないので」
「それなら西に向かいましょうか。十日ほど進んだところに綺麗な湖があります」
「湖! いいですね、行きましょう!」
目を輝かせながら馬車に乗り込むアルト。アルトが籠の鳥状態であったことを考えればそれも当然かとバーゼルは思う。ならばもっともっと籠の外の世界を見せてやりたいと思うのはなんら不自然ではないだろう。これから始まる旅路が平穏であることを願いながら、バーゼルは静かに手綱を握りしめた。
次回から第三章ですが、もしかしたら数日あくかもしれません。ちょっとばかし仕事が忙しいもので……
読んでいただいてありがとうございます。