12.単眼の魔将
ちょっと遅れました……
突然発生した重圧に皆が一斉に膝をつく。まるで頭を鷲掴みにされ、無理やり押さえつけられているような感覚。周囲を見れば僕たちの行動を見物していた野次馬たちも同じように膝をつき、中にはすでに失神している者もいる。おそらくランクの低い冒険者たちだろうが、そうすると駆け出しの僕はどうして平気なんだろうか。
【アルト様の周囲には外的要因を軽減するフィールドを形成しています】
『ご主人様と一緒だとらくちんー』
バーゼル先生ですら片膝をついて耐えているが、僕だけ平気なのはかなり不自然だ。だがあの紙を使った三人も動けなくなっている。一体何のために使ったんだ?
ぴしり……ぴしり……
「これは……空間が軋んでいるのか? どれだけの奴と契約したんだ、あいつらは」
「魔王ほどではありませんが、魔将クラスの地位にいるかもしれませんな」
ダウニングさんはやや苦し気な表情、先生は眉を顰める程度だが、戦闘不能になってはいないようだ。シェリーさんは既に失神しており、先生の手で物陰に隠されていた。
次第に軋みはそこかしこで起こり始め、やがてあの三人の背後に黒い光の柱が聳え立った。その数は六本。そしてその中心部分は漆黒の闇が揺蕩っていた。
それは腕だった。闇から突然姿を現したのはまさしく腕、それも緑色の皮膚ではちきれんばかりの筋肉を包み込んだ腕だった。だが問題なのはその大きさだ。腕だけでギルドの建物の半分くらいの大きさだ。
次第にその姿が露わになっていく。次に現れたのは頭部、頭髪のまったくない禿頭、その顔には普通の人間であれば必ずあるものの数が足りなかった。
「おいおい、一つ目巨人かよ」
「しかも上位種のようですな」
そう、二つあるはずの目は一つしかなく、額のあたりに巨大な一つ目があるだけだった。そいつは闇の中から完全に姿を現すと、僕たちを睥睨する。
『ずいぶんしけた面さらしてやがるな、魔将ヘドン様が来てやったんだ、せいぜい楽しませろよ』
「ま、魔将……」
野次馬の誰かがそうつぶやく。魔将とは『闇の者』の頂点である魔王の腹心のことだ。単身で国を滅ぼせるほどの戦闘力を持つ彼らは、歴史上何度か現れては思う存分暴れまわっている。だが決して支配などしない。僕たち人間は彼らの嗜虐心と食欲を満たすためだけの存在、家畜同然としてしか見ていないといわれている。
「まさか魔将とはな」
「さて、どこまでできますかな」
「おい、動ける奴は全員俺に続け! バーゼルは好きにやれ! そのほうがやりやすいだろう!」
「感謝いたします。アルト殿はオルディアから離れないように」
ようやく動けるようになった冒険者たちが各々武器を構えて集まってくる。先生はいつもの柔和な雰囲気が嘘のように思える、剃刀のような冷たい雰囲気を纏っている。
先生の言葉は、弱い僕は足手まといだから隠れていろという意味だ。確かにその通りなのがとても悔しい。
『お、なかなか歯応えのありそうな奴がいるな』
「あいつらを殲滅しろ!」
『うるせえな、俺様に指図するんじゃねえよ』
未だ動くことができない青の刃の三人は、自分たちが召喚した魔将に向けて叫ぶが、その声に振り向いたヘドンが三人を片手で握り持ち上げる。三人を持ち上げているが、まるで重さを感じていないようだ。
「どうして言うことを聞かない!」
『いつもお前らにつけていた奴は雑魚だ。だがこれだけの人間を味わえるなんてそうそう無いからな、こういう美味しいところは俺様がいただくんだよ』
「うるさい! 離せ!」
『それにな、俺はお前たちと契約なんてしてねぇから関係ねぇ。そうだ、まずはお前たちをいただくとするか』
「な、なにを……」
三人が疑問の声を上げる間もなく、その大きく裂けた口の中へと放り込まれた。そして骨を砕く咀嚼音。彼らは悲鳴をあげることもできずに魔将の腹の中に消えていった。
「アルト殿、あれが他人の命を利用しようとする者の末路です。いずれその行いは自らに還ってくるものです。心しておいてください」
「先生、いったい何を言って……」
「おそらくこれが私の最後の教えになるかもしれませんので……」
そう言い残して先生はヘドンに向かって走り出す。僕はその後ろ姿をただ眺めていることしかできなかった。
**********
「おい、生きてるか」
「ええ、何とかというところですが」
『おいおい、もう終わりかよ。おまえらが負ければここいらの人間は俺様の腹の中だぞ』
ヘドンの前にはたくさんの冒険者が膝をついている。ダウニングさんと先生はかろうじて立ってはいるが満身創痍だ。
ヘドンは手加減している。その理由は簡単だ、あいつは人間を生きたまま喰うことを好む。そうすれば人間の恐怖心を極限まで引き出すことができるからだ。
戦況は悪い。それも決定的に。こちらの最大戦力であるバーゼル先生とダウニングさんでも互角に持ち込むことができていない。
「俺にはちょっとばかし荷が重い相手だったか」
「私も現役のころならあるいは……」
『そろそろ観念したか?』
このままでは皆こいつに喰われてしまう。それは絶対に嫌だ。と、先生がこちらを見て何かを言っている。いや、声に出せば僕がここにいることがばれてしまうから声を出せずに口の動きで理解させようとしている。僕でも理解できるように同じ内容の言葉を繰り返している。
「に……げ……ろ……逃げろ?」
自分がヘドンに敵わないことを理解したのか、せめて僕だけでも逃がそうということだろうか。僕が逃げようとすれば先生は全力で僕への攻撃を止めるだろうが、きっとそれで先生は命を散らすことになる。
だがそれで僕は本当に納得できるのか? 大事な人を失って、それで前に進めるのか? 先生を見殺しにして、僕は胸を張って生きていけるのか?
「オルディア、『もーどオルトロス』全解放」
『うぉん!』
巨大化したオルディアが突進して体当たりする。だがその一撃を喰らったヘドンは数歩後ずさった程度だった。
『オルトロスを使役するとは、お前、なかなかやるじゃねえか』
ヘドンの巨大な単眼が僕を見据える。そこに見えるのは面白い玩具を見つけた子供のような純粋な喜びだった。だがこれでもう僕は逃げられなくなった。でも……これでいい。
(アオイ、僕に力を貸してほしい)
【なんなりとお申し付けください】
心の中で念じれば、すぐに返事が返ってきた。どことなく嬉しそうに感じるのは気のせいだろうか。だが今はそんなことを深く考えている余裕なんてない。
(あいつを、魔将ヘドンを倒せるだけの力がほしい)
もし本当にあいつを倒したら、僕は悪い意味で目立ってしまうだろう。だがそれがなんだと言うのか。大事な人を犠牲にすることと比べれば、そんなものは些細なことでしかない。
だから僕は決意する。もっともっと強くなるために、胸を張って前に進むために。
読んでいただいてありがとうございます。