8.宵闇
第三者視点です。主人公は……
アルトが寝入ってからどれほど経っただろうか、とうに日は暮れ、夜の帳が下りて久しい。よほど今日の疲れがたまっていたと見えて、寝台に横になるとすぐに眠ってしまった。
【やはり肉体的、精神的疲労を取り除くには睡眠・休養が最適ですね】
アオイは思考を巡らせる。彼女は本を制御するために作り出された疑似人格であり、睡眠をとる必要はない。常にアルトからの魔力供給路が構築されているため、常時起動している。
彼女もアルトに施された精神操作については気づいていた。だがそれを解除する方法を探し当てることができずにいた。彼女自身もこの世界のことは詳細まではわかっていない。今彼女のこの世界の情報の源はアルトが読んだ本の情報とアルトが見聞きした知識によるものだ。彼女の知識にも洗脳の類を解除する方法が無いわけではないが、それがアルトにどのような影響を与えるのかがわからない以上、迂闊なことをして大事な契約者を壊してしまうことだけは避けなければならなかった。
【オルディアさん、起きていますか?】
『起きてるよー』
アオイはオルディアへと思念を飛ばす。オルディアへはアルトからの魔力供給経路としてリンクがあるので、こうして思念を伝えることができる。
【あなたはアルト様をどう思っていますか?】
『御主人様大好きー』
眠っているアルトにぴったりと寄り添い、目を閉じてはいるが尻尾がぱたぱたと振られている。
【ではアルト様の命を狙う者がいたらどうしますか?】
『ころすー』
簡潔だがはっきりと敵対する者を許さないという意志のこもった答えにアオイは安心する。オルディアははしゃぎすぎるところはあってもアルトを慕う気持ちは強い。それ故にアルトを護る最終防衛手段の一つとなってもらわなければならないが、今の状態では若干動きに制約ができてしまう可能性が捨てきれない。
【あなたの力を貸していただきたいのですが、よろしいですか?】
『……敵ー?』
【わかりません。ですがここまで気配を消して近づく者を警戒しないなどありえません。アルト様をお護りするために力を貸してください】
『いいよー』
【身体制御プログラムの受け入れ承認を確認、プログラム起動魔力を主要経路から予備魔力へと切り替えます。個体名オルディアへの魔力供給とプログラム注入を開始いたします。今回の起動は契約特記事項に基づき、疑似人格アオイの危険度が判断基準値を超えたための非常措置といたします】
アオイの無機質な声がオルディアの頭の中に響くと同時に、オルディアの体内にアルトの魔力がみなぎってくる。と同時に全身が作り替えられていくような違和感。だがそれはオルディアにとってもアルトを護るために必要なことと理解しているようで、それに抵抗することなく受け入れていく。そしてオルディアの身体は光に包まれ、その形態を変えていった。
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『宵闇』
今現在の冒険者ギルドにおいては知られていないが、かつて二十年ほど前はその名前を知らぬ者は誰一人としていなかった。通常はパーティ単位で認定されるはずのSランクにソロで昇格した初めての冒険者。その名の通り、強力な闇属性の魔法を駆使して戦うそのスタイルは他の追随を許さなかった。
「呼ばれたくない呼び名でしたな。ですがアルトを護るためならば敢えてその名で呼ばれることも厭いません」
闇に溶け込み、完全に気配を消しながらアルトの眠る客室へと向かうのはバーゼル。彼はアルトに仕掛けられた精神操作の魔法を解除するために来た。彼にかかれば初級の精神操作魔法をどれほど重ねがけしようとも解除をすることは難しくない。むしろ彼が心配しているのは解除した後の反動である。
「まさか自分の息子に施すなど、前代未聞ですな」
バーゼルは知らずのうちに自身から殺気が洩れ出ていることに気づいた。この魔法が使われることは少なくない。だがそれは戦時において捕虜が暗殺を企てることの予防や、情報を聞き出すために使うもので、家族に使う魔法ではない。そんな魔法をアルトに使われたことに知らずのうちに心を乱していたようだ。
「もしもの時は……私のこの手で。私もすぐに後を……」
バーゼルは冒険者となってから気分が高揚したことなど無かった。淡々と鍛錬を重ね、依頼をこなし、気づけばS級となりもてはやされる毎日。だがそれは彼にとっては鬱陶しいだけの邪魔者でしかなかった。
彼は冒険者になる前はとある山村で狩りをして暮らしていた。なんの変哲もない狩人だった。よくある話である。その山村が盗賊に襲われることなど。自分が不在のときに全てが無くなっていることなど。妻と子供が犠牲になったことなど。復讐という妄執に憑りつかれた男が誕生したことなど。
もともと適性のあった闇属性の魔法を研ぎ澄まし、体術剣術、その他の戦闘技術を鍛え上げ、ギルドの討伐依頼を片っ端から片付けていった。そして目的の盗賊を殲滅して復讐を終えたとき、自分には何も残っていなかった。
冒険者としてのやりがいなど最初から持ち合わせていない彼は第一線を離れ放浪していた。そんなときにメイビア子爵家からの家庭教師の依頼を受けた。
本当に気の迷いとしか言いようがなかったくらい後悔した。今更こんな自分が何を教えるというのか、何を学んでもらうというのか。
だが幼いアルフレッドの姿を見たとき、一瞬だが自分の息子と重なったように見えた。髪の色も瞳の色も、輪郭も顔のパーツも、合っているのはその数くらいで、全く似てもいないアルフレッドの姿は、かつて自分の帰りを待ちわび、自分の話を瞳を輝かせて聞き入る息子の姿に見えた。
「思えばあのとき、私はアルフレッド様、いえ、アルトに救われていたのでしょう。何も残っていない、屍のような人生という地獄から」
だからこそ、アルトに染まってほしいとは思わない。そのために手を血で汚すのは自分だけでいい、アルトの知らぬところで自分が音もなく片付けてしまえばいい。ただそれだけのことだ。
精神操作系の魔法の恐ろしさはよく知っているバーゼルだからこそ、一刻も早くアルトを解放してやりたかった。今はまだ軽度だが、いずれそれは進行して心そのものを枯死させる。何の感動も持たないただの人形へと。その状態で生きることなど生命を謳歌していると誰が言えるだろうか。
バーゼルは客室の扉をゆっくりと開ける。窓からは眩く輝く満月がその光を降り注いでいた。そして……
「貴女……誰ですか?」
背中に隠し持っていた五指剣を静かに構えるとその存在に静かに問かける。そこには月明かりに輝く白銀の髪の少女がアルトの傍らに立っていた。
主人公……寝てるだけですね。
読んでいただいてありがとうございます。