1.始まり
本日二話目です。ご注意ください。
門の前に立ち、じっと屋敷を見つめる。おそらくこれで見納めになるであろう僕の家、いや、僕の家だった建物を。
地元ではそれなりに名の知れた名家だったが、もう僕とは何の関係もなくなった。
「もういいや、行こう」
誰に向けることなく独り呟き、鞄を持って歩き出す。今の僕の全財産、決して大きくない使い古した革の鞄、薄汚れたシャツとズボンによれよれの靴、平民でももう少しマシな格好をすると思うけど、これしか無いのだからどうしようもない。
「王都まで行く馬車はこれですか?」
「……さっさと乗れ」
心許ない路銀の大半を差し出すと、御者は鬱陶しそうな顔をしながらひったくっていった。目線で促されたのは荷物が大量に積んである荷台、それも荷物の隙間だった。気休め程度に敷かれている藁と、もう何日洗っていないのかを疑いたくなるような色の毛布が僕の寝場所だった。
程なくして動き出す馬車は決して心地よいものではなく、振動で体中が軋む。だが地獄のようなあの日々から解放されるというほんのわずかな喜びが折れそうな心を支えてくれていた。緊張が解けたのか、ゆっくりとやってくる睡魔にまどろみながら、これまでのことを思い返していた。
*************
「いいか、ゆっくりと手をかざすんだ、アルフレッド」
「はい、おとうさま」
僕がうっすらと覚えているのは三歳になると行われる【器の儀】と呼ばれる儀式だ。この国をはじめとしたほとんどの国がこの儀式を行っている。僕の父親だった男、フリッツ=メイビア子爵が連れてきた神官が用意した水晶玉にゆっくりと手をかざす。
この儀式は個人の保有魔力の容量を計測するもので、魔力の容量は産まれたときから大きな変動がないとされている。つまりは生れながらにして魔力をどれだけ有しているかの優劣がここで決まってしまう。大きければ重要な役職に就くことも十分可能だが、小さければ慎ましやかに貧しく暮らすか、命を天秤にかけるような冒険者暮らしくらいしか望めない残酷極まりない儀式だ。
はっきり言えば誰も期待などしてはいなかった。メイビア家は曾祖父が戦役で武勲を挙げ、その褒美として爵位を賜った家柄だが、魔法の素質に光るものがなかった家系でもある。あってもようやく騎士になれるかどうか程度のものでしかないと諦念していた。
「ひびでも入ればいいんですがねぇ」
「六百年前の勇者の伝説か? 水晶にひびが入って使い物にならなかったというが、いくらなんでも我が家系にそれほどの能力がある者など……」
ばちぃぃん!
フリッツの言葉は最後まで続けられることはなかった。僕が手をかざした瞬間、水晶が砕け散ったからだ。それを見た僕以外の全員が凍りつくが、それも当然だった。六百年前の勇者でさえひび程度だったのが、完全に砕け散っている。それが意味するのは……
「ま、まさか……勇者以上……?」
「ア、アルフレッド……お前……」
その時から、僕の至福の時間は始まった。
まだどんな魔法が使えるのかが判明したわけじゃないが、両親が僕にかける期待はすさまじいものだった。それもそうだろう、過去の勇者よりも多い魔力量となれば、宮廷魔道士はおろか王宮近衛守護隊だって実力で手が届くかもしれない。
王宮近衛守護隊は任命されると伯爵位以上の爵位を賜るのが常であり、先の見えている貧乏子爵にとっては成り上がりのチャンスなのだ。さらに武勲を挙げれば五王家の末席に入り込むことすら可能だ。両親はおろか一族全員、それどころか領民たちまで僕に期待していた。
僕には専属のメイドが何人もつき、身の回りのことは全部やってくれるようになった。僕はただひたすら、その時が来るまで様々な魔法書を読んで暮らしていた。魔力はあるが、魔法を使えるようになるのは大概は十三歳の誕生日を迎えてから。なので魔力の保有量が大きい者はそれまでに各属性の魔法の基礎知識を覚えるのだ。
一概に魔力量の多い者は複数の属性を使えることが多いとされている。過去の勇者も闇と聖の属性以外は全て使えたらしいので、それを上回るとなれば未だかつて存在していない全属性適合者かもしれない。それを期待した両親がたくさんの魔法書を買ってきていた。
「あれ? こんな本あったかな? 綺麗な装丁の本」
渡された魔法書を読み終えて机の上に目をやると、そこには見慣れない装丁の分厚い本があった。透き通ったブルーの美しい装丁の本には何か文字が書いてあるが、そこに書いてある文字はどんな文字体系にもあてはまらないものだった。しかも……
「え? 白紙?」
その本は全てのページに一切の記述のない、白紙の本だった。
ストックがあるうちは毎日更新しようと思います。