7.マウガ男爵
領主様の屋敷に到着すると、僕はそのまま応接室に通された。建物や調度品は華美すぎるものはなく、実用性を重視しているということが一目で理解できる。今座っている椅子も派手さはないが座り心地はかつてメイビア家で使っていたものよりも上のように感じる。
と、遠くから荒々しく近づいて来る足音と、声を荒げて話す男性の声が聞こえてきた。
「本当か? 本当にアルフレッドなのか?」
「私が見間違えるはずがありません。あの方はアルフレッド様です」
重厚な雰囲気の扉が勢いよく開かれて姿を見せたのはバーゼル先生と、もう一人の男性。年齢はフリッツと同じくらいのようで、若干粗暴な雰囲気と知性的な光を垣間見せる瞳を持つ、風格を伴った人物だった。そう、この人が領主様だ。
「アルフレッド……よく生きていてくれた! あの馬鹿野郎がとんでもないことをしやがって……だがこうして再び会えるとは!」
「はい、ご無沙汰しております。マウガ男爵」
「そんな堅苦しい挨拶はやめろ、昔のように呼べ」
「……はい、ニックおじさん」
この豪胆な男性こそ、この街を含めたマウガ男爵領を統治する領主、ニック=マウガ男爵だ。マウガ男爵領はメイビア子爵領と同じく、この地方をまとめるマディソン辺境伯を寄り親とする寄子で、両家には若干ながら親交がある。といってもフリッツはニックおじさんのことを大変嫌っていたが。
「これまでの経緯はバーゼルから聞いた。本当にフリッツはどこまでも馬鹿なやつだ。魔法の才の有無で決まるほど領地経営は単純じゃないってことは辺境伯から言われ続けていたことだろうに。魔法の才がもてはやされたのは戦争が多発していた百年以上昔のことだ。……すまん、話が逸れたな、お前が出会った冒険者のことを教えてくれるか」
「はい」
僕は促されるまま席につくと、Bランクパーティ『青の刃』について話し始めた。
「……そういうことを考えるヤツがいるのは話に聞いていたが、まさかこの街にまで入り込んでいるとはな。バーゼル、そいつらが街に入ってきたという記録はあるのか?」
「はい、十日ほど前に記録がございます。以前滞在していたのは……二月ほど前に王都となっておりますな。その間の経路は不明です」
「怪しいな、Bランクともなれば王都でもそれなりに依頼が多いだろう、わざわざこんな辺境まで来る理由がわからん」
「ギルドに確認しなければなりませんな」
ニックさんの横でバーゼル先生がぶ厚い資料を捲りながら話す。あれは通行証をもとにした入国証明のようなもので、特にギルドカードを使って入る冒険者は皆ここに記載されるらしい。
「ではギルドのほうはお前に任せる。まさかお前が行けば無碍に扱われることはないだろう」
「かしこまりました」
「ギルドは高ランクの冒険者が優遇されるんでしょう? 僕の話なんて……」
「アルフレッド、知らなかったのか? バーゼルは元Sランクの冒険者だったんだぞ?」
「やめてください、もう二十年以上も前のことです」
「だがそれでもBランク程度軽くあしらえるだろう?」
バーゼル先生が冒険者だったのは知っていたが、まさかSランクとは思わなかった。確かに僕に色々と教えてくれていた時、特に森での狩りの時は足場の悪い森の中でも平然としていたから、それなりに熟練者だったんだろうくらいには思ってはいたんだが。
その後小一時間ほど、僕が旅立った後の話を聞いた。フリッツは僕がお忍びの旅の途中で盗賊に襲われ、その後ブラッディウルフに襲われて死んだと公表、同時にキースに家督を継がせると発表した。そしてキースは火の騎士団への入隊が決まったそうだ。
「あのときのフリッツのにやけ顔は思い出すたびに胸糞が悪くなる。これで自分の領地も安泰だと思っているんだろうが、そううまくいくわけないだろう」
「そうなんですか?」
「いいか、ちょっと見てろ」
突然ニックさんが話を中断して僕の目の前に右手の人差し指を差し出した。目を閉じて何かを念じているようにも見えるが、僕には何をしているのか皆目見当がつかない。
するといきなりニックさんの指先に小さな光が灯った。それはあたかも蝋燭の火のように小さな光、いや、小さな火そのものだった。
「俺はどれだけ頑張ってもこんな小さな火しか起こせない。いいか、この程度しかできなくても領地経営はできる。いや、むしろこのくらいのほうがいいんじゃないかと俺は思っている」
衝撃の事実を知って僕は言葉を失う。ニックさんのことは小さな頃から知っているが、魔法に関しては詳しいことは知らなかった。これじゃ平民と大差ないんじゃないかと思える。
「領民ってのは大多数が平民だ、平民のことを考えなければ領地経営なんてできやしない。どうすれば平民が苦しまずに生活できるか、それを率先して考えるのが我々貴族なんだよ。そうやって上げた税収の一部を国へと納めることで国への義務も果たす。そこに魔法の才能が介在することは重要じゃない。もう戦争の武勲を競う時代ではなくなったんだよ」
ニックさんは僕に言い聞かせるように優しく、だが力強く話す。ニックさんも立場としてはフリッツと同じく曾祖父の代に領地を賜った。だが魔法の才が乏しいと知って考え方を変えた。きっと試行錯誤を繰り返して、今のこの街の発展に繋げていったんだろう。
「とまぁもっと話したいところだが、これでも俺は多忙な身でな、それにお前も疲れているだろうから今夜はここに泊まるといい。もし今から宿に戻ったとして、途中で奴らに見つかったら間違いなく殺されるぞ。お前はもう少し危険というものを身近に感じるようにしろ」
「はい。一応これでも注意してはいるんですが……」
その後、僕の為に用意された客室に案内された。いつもの宿の十倍はあろうかという広さの部屋に、頑張れば十人くらいは寝ることが出来るんじゃないかという大きさの寝台。寝台のシーツは眩しいくらいに真っ白で、マットも毛布もふかふかだった。
思わず身体を預けた途端、強烈な睡魔が襲ってきた。きっと知らないうちに疲れを溜め込んでいたんだろう、僕の意識はそこで途切れてしまった。
「バーゼル、どう思う?」
「どう、と申されても……」
応接室から自らの執務室に戻ったマウガ男爵とバーゼルはお互いに苦い表情を浮かべていた。その原因はもちろんアルフレッドのことだ。
死んだと公表されていた彼が生きていたことは心から嬉しいと思っているが、同時に違和感を感じていた。
「決まっているだろう、あいつには怒りの感情が無いのか? あそこまで害されて腹が立たないのか? それともあいつが底抜けにお人好しなのか?」
「最後の部分については否定することはできませんが……少々おかしな部分がありましたな」
「……言ってみろ」
バーゼルの目が一瞬だが剣呑な光を帯びたのをマウガ男爵は見逃さなかった。彼がそういう目をした時は重大な何かを確信した場合がほとんどだったからだ。小さく息を飲むと話の続きを促した。
「ほんの僅かですが、思考誘導の形跡が見られました。闇属性の精神操作系魔法でしょう」
「何故そこまで……いや、お前ならわかって当然か。で、仕掛けた奴の見当はついているのか? フリッツは火属性だぞ?」
「奥方が闇属性です。決して強力ではありませんが、初級の精神操作系は使用できたはずですが……初級でそこまで……いや、これを毎日であれば可能、しかも家族が相手という無防備状態でならば十分考えられますな」
「となれば理由は絞られるな。おそらくアルフレッドが成人した後に反旗を翻されないように、怒りの感情を持たないようになる方向で精神操作したんだろう。どこまでふざけた連中だ」
マウガ男爵の目にはっきりとした怒りの表情が浮かぶ。これまではまともに相手にするにも馬鹿馬鹿しいと適当にあしらってきたが、まさかここまでのことをしているとは思っていなかったのだ。
「ではこの事実をつきつけますか?」
「放っておけ、こんなことをしなければならないほどに家族を信頼できない奴らに何ができる。いずれ勝手に自滅してくれるわ。それよりもアルフレッドにかけられた精神操作が問題だ。このままでは何をされても危険に感じないで間違いなく死ぬぞ」
二人の目から見てもアルフレッドの感情は異常だった。命を絶つために盗賊を差し向けられたというのに家族に対しての怒りの感情があまり見られなかった。冒険者に殺されそうになったというのに、そこにも大きな怒りは見られなかった。自分の命が狙われているというのに怒らないなど、命知らずの馬鹿でもそこまで酷くない。
「このままにしておくわけにはいかん。バーゼル、解除できるか?」
「可能ですが、よろしいのですか? メイビア家に知られると厄介なことになりませんか?」
「なるわけないだろう。アルフレッド=メイビアは既に死亡とメイビア家が公表しているんだ。我が領内で冒険者となったアルトという少年に我々がどう対処しようと口出しできる立場に無い」
「そうですな、では早速解除することにいたしましょう。ですが一つだけ条件をつけさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「皆まで言わずともお前の考えはわかる。精神操作を解除されたあいつは色々な感情に翻弄されていくだろう。もしかしたら悪意に取り込まれてしまうかもしれん。それを支えてやりたいんだろう?」
「はい、アルフレッド様……いえ、アルトは私にとっての光でもあったのです。アルトがいなければ未だにこの手を血に染めることを厭わなかったでしょう。そんな彼が歪み壊れていく様を見たくはないのです」
「わかった、ただし後任はきちんと選定してからにしろよ」
「心得ました」
深々と一礼して執務室を出てゆくバーゼルの背中を黙って見送るマウガ男爵。
「とうとう『宵闇』が現役復帰か……面白くなりそうだ」
ただ一言、そう呟くとその顔に小さな笑みを浮かべていた。
アルト君から怒りが欠落気味なのは理由があるようです。
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