6.バーゼル
ちょっと遅刻してしまいました。
バーゼル先生は僕が五歳のときにフリッツが雇い入れた家庭教師だった。まだ幼い僕に様々なことを教えてくれた。基本的な勉強はもとより乗馬や狩りの方法、通常の貴族の子息には教えないようなことまで。
「色々と制約はございますが、このようなことも知っておいて損はありませんからな」
そんなことを言いながら、いつも僕が怪我をしないように気遣いながら教えてくれた。でもそのおかげで今僕はここで先生と再会できた。損はないどころか、命を救われたんだ。どれだけ感謝しても足りないほどだ。だが五年前、突然フリッツから解雇を言い渡されて出て行ってしまい、その後の消息を知る手段を持たなかった僕は諦めることしかできなかった。
「積もる話もありますが、まずはその魔獣をどうにかしていただけませんと。このままでは住民も怯えてしまいますので」
「あ、はい。『もーどオルトロス解除』戻っていいよ、オルディア」
『うぉん!』
僕の言葉にオルディアが一吠えすると、オルディアの巨体が瞬時に小さくなり、いつものウルフほどの大きさになった。先ほどまで僕が怒っていたことを気にしてか、尻尾をぺたんと地面につけて項垂れているので頭を撫でてやると嬉しそうに勢いよく振り始めた。
「バーゼル様、この者はいったい?」
「私のかつての教え子です。危険はありませんから武器を収めてください。責任は私がとりますので」
「は、はい、ですがこの後は……」
「領主様のところへご案内いたします。彼は領主様ともある意味関わりがありますので。あなたたちは通常任務に戻ってください」
「はッ!」
バーゼル先生がそう言うと、警備兵たちは敬礼して元の場所へと戻っていく。その動きはとてもキビキビしていて、普段から厳しい訓練を積み重ねていることがわずかな動きからも垣間見ることができた。だが先生、気になることを言っていたような……
「先生、領主様って……」
「もちろんマウガ男爵様のところです。アルフレッド様も御存知でしょう」
「ええ……」
マウガ男爵のことは僕も知っている。僕の属性判別の儀式に招待されていたこともあるが、フリッツが目の敵にしていたのでよく覚えている。何故そんなに嫌っていたのかまでは知ることができなかったが。
「ですが先生、僕は冒険者ギルドに行かなければ……」
「訳ありのようですね、この街のギルド支部には私も多少は顔がききますので、よろしければ領主様のところに向かう馬車の中でお話を聞かせてもらえませんか?」
「……はい」
先生が指し示す先にはマウガ男爵家の紋章の入った馬車があった。御者さんが扉を開けてくれたのでオルディアを伴って中に乗り込むと、バーゼル先生は御者さんに合図をして馬車を発進させた。
「なるほど、そのようなことが……」
「はい、信じてもらえないかもしれませんが本当なんです」
「アルフレッド様がそのようなことを仰るはずがないことはよく存じ上げております。確かにそのような狼藉を働く悪質な冒険者がおりますが、この街にまで来ているとなると問題ですな。その件、領主様にもお話していただけますか?」
「構いませんが……そんなに大変な事態なんですか?」
「ええ、事と次第によってはこの街全体を揺るがすかもしれません」
そんなに大変なことになるとは思っていなかった。となれば僕一人でどうこうできることでもないかもしれない。先生も言ってるように領主様に説明して任せてしまったほうがいいだろう。
「……はい、わかりました。僕から説明します」
「……」
「どうかしましたか、先生?」
「……いえ、なんでもありません。お亡くなりになったとメイビア家が公表していましたので、こうして再会できたことがまだ信じられないのです」
「それは僕も同じですよ。誰も先生の消息を知る者がいなかったんですから」
僕程度がどう頑張っても知ることができなかった先生の消息。なのでもう一生会えないだろうと諦めていた。感謝の言葉も言わないうちにいなくなってしまったから。
「先生、ありがとうございます。先生が教えてくれたことが僕の命を繋いでくれました」
「そうですか、私の教えたことが役立ったのであれば、それはアルフレッド様が真剣に私の授業に取り組んでいた証拠です。もっとご自分を褒めてあげてください」
先生はそう言って僕の頭を撫でてくれた。まだ成人していないとはいえ、僕はもう十四歳だ。だが先生の僕を撫でる手はとても優しくて、とても温かくて、思わずこみあげてくる涙を抑えることができなかった。
「……恥ずかしいですね、もう十四歳なのに」
「いいえ、恥ずかしくなんてありませんよ。嬉しいときに嬉しいと感情を表現することのどこが恥ずかしいのですか?」
かけられる言葉に僕への気遣いが感じられる。一年間の苦しい生活の中で、僕への気遣いなんてものはどこにも無かった。それを思い出すと再び涙がこみあげてきた。そんな僕に気づいたオルディアが流れる涙を舐めとってくれた。
「ありがとう、オルディア」
『御主人様、元気だして』
「ずいぶんと懐かれておりますな」
「はい、僕みたいな無能でも助けてくれる大事な家族です」
「賢い獣は人の心を見抜くと言われています。アルフレッド様の心に惹かれているのでしょうな」
しきりに涙を舐めてくるオルディアを抱きしめながら、先生に照れ隠しの笑顔を見せる。僕自身は自分の心がどうなのかなんてよくわからない。でも僕を慕ってくれるその気持ちにはしっかり応えてあげたいと思っている。
「もうすぐ到着です。私から領主様にお頼みしておきますので、今夜はゆっくりと身体を休めてください」
「でも宿をとっていますので。いつも日暮れ前には戻っているので心配かけてしまいます」
「では使いの者を出しておきましょう。そうすれば不安にさせることもありません」
「そうですね、ありがとうございます」
馬車の窓から見えるのは、メイビア家よりやや小さな屋敷。決して豪華というわけではない。無駄なものを一切省いたような、だが非常にしっかりとした造りの屋敷だ。メイビア領よりも栄えているのに、これはちょっと意外だった。
「領主様は実用的なものを好まれますからな。物事の本質を見抜いているからこそ、この街の現在があるのです。そしてアルフレッド様のことを大変お気にかけておられました。こうして生きておられたと知れば大変お喜びになるでしょう」
マウガ男爵とは直接言葉を交わしたことはない。だが先生がここまで言うのなら信頼できる人なのだろう。もし聞けるのであれば、フリッツがあれほど嫌っていた理由を聞かせてもらいたい。そんなことをお考えているうちに、馬車はマウガ男爵家の屋敷の門をくぐっていった。
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