14.真実
皿に入れられた変異種の血に対して、解毒の魔法の一種をかけてはその変化を羊皮紙に書き記してゆくエフィさん。もう何度繰り返しているのかすらわからない。びっしりと書き込まれた羊皮紙は既に五枚を超えた。
「お嬢様は誰よりも熱心に勉学に取り組んでおられました」
ヘルミーナさんの言葉に僕は頷くしか出来なかった。僕がエフィさんと離れてから、彼女はこれだけの知識を身に着けている。それがどれだけ過酷なものだったか、学の無い僕でも十分理解できる。だがそんな彼女でも、変異種の血に混ざっている何かを特定することは出来ていない。
「何かを投与されているはずなんですが……その正体がわかりません」
どれだけ学んでもわからない未知の何かが使われている……まだ知られていない毒物の類なのだろうか。気になってアオイに内容を調べられないか聞いてみたが……
【対象を調べることができませんでした】
との答えが返ってきた。アオイですらわからないのであれば、エフィさんに頼らざるを得ないのが辛いところだ。
「心配しないでください、こういうことでアルト君の役に立てるのなら、いくらでも頑張れます」
額にかいた珠のような汗を手布で拭いつつ、僕に心配かけさせまいと微笑むエフィさん。魔法によって灯された明かりが暗いせいか、若干の疲労の色は隠せていない。だが僕には見守ることしかできない。いくら強力な存在を召喚できたとしても、身近な人の疲労を癒すことすらできない自分の無力さが少々恨めしい。
「……ヘルミーナさん、この薬草を煮出してもらえますか? 疲労回復は微々たるものですけど、いくぶん気分が安らぐはずですから」
「……かしこまりました」
鞄から一握りの干した薬草を手渡す。薬草としての効果はほとんど無いが、香りが良いので気分が晴れるので自分用に持ち歩いていたものだ。と言っても僕はお茶を入れる技量などないので、そのまま噛んで味わうだけだが、エフィさん付きのメイドだった彼女なら美味しいお茶を煮出してくれるだろう。
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「……とても良い香りのお茶ですね、心が安らぎます。少し苦いですが、気付けにもなりそうです」
ヘルミーナさんが持ってきたお茶を一口含むと、思わず感想を零すエフィさん。香りは清々しい甘い香りだが、味はちょっと苦い。傍らでは香りにつられて飲んだイフリールが苦さに顔を顰めている。
「やはり詳しいことはわかりませんでした。私の知る薬物、毒物以外の何かだということしか……」
「いや、それだけ分かっただけでも十分じゃ。この近辺には嬢ちゃんの知らん薬草や毒草以外のものは見受けられんからの。となれば此奴が自生しているものを食べたという可能性はほぼ無くなったと考えて良い。即ち……何者かが持ち込んだということじゃ」
ワン氏がお茶を啜りながら結論を出す。まだわからないことが多いが、今わかる情報を元に導き出した答えとしてはこの程度としても仕方ない。確かに氏の言う通り、イートン近辺に自生しているものは僕でも知っている類のものばかり。それはあの山でも同じだった。
しかしその結論は、事態をより複雑にさせるものでもある。自生しているものが原因であれば、人力で刈りつくしたり、その場所を立ち入り禁止にすればある程度の被害は防げる。もっと研究すれば対処方法が見つかるかもしれない。だが外部から持ち込まれたのであれば、その原因すら突き止めるのは難しい。誰も知らず、現物すら無いものを研究することなど出来ないのだから。
「!」
【この建物に接近してくる人物がおります】
アオイの警告と、ワン氏と御付きのメイドさんが身構えるのはほぼ同時だった。彼らの視線は唯一の入口に向けられ、扉が無造作に開かれる。
「……ここは人払いをしておいたんじゃが」
「何を仰いますか、私は貴方よりギルド支部長を任されているのですよ? このくらいの権限はありますよ。隠れて何かを調べているようですが、何かわかりましたか?」
「此奴を見るがいい、こんな異形がすぐ近くの山におったんじゃ。原因を調べるのは当然じゃろう。それより貴様、行方をくらませていたそうじゃが、何をしておったんじゃ?」
「いえ、少々予定が狂ったのを調整しておりまして……ですがそちらのほうは解決しましたのでご安心を。いえ、これから解決すると言ったほうが正しいですが」
「……何を言っておるんじゃ? それよりも早く隊商の護衛の増員の手配をせい、こんなモノがまだ潜んでおるかもしれん。隊商が襲われればイートンの、パイロン家の威信にかかわる」
ワン氏の真剣な表情に相対してもなお、レイさんは薄ら笑いを浮かべている。ギルドにとってもこの異形の存在は決して捨て置けるものではないはずだが、異形の巨躯を一瞥しただけでその笑顔を止めることはなかった。
「ご心配なく、もうこんな『粗悪品』が出てくることはありませんよ」
「……貴様、もしや……」
「ええ、この異形は私の実験材料の成れの果てです。私がとある薬を投与したからこうなったんですよ」
ワン氏ですら絶句する告白に僕たちが声を出せるはずもない。身内であるレイさんの信じられない行動に、ワン氏と御付きのメイドさんたちがあからさまな殺気を宿す。
「貴様……何が目的じゃ。こんなことをして何になる?」
「目的? そんなもの決まっているでしょう、貴方を殺してパイロン家の当主が継承する秘伝書をもらう。そうすれば私がパイロン家の当主だ!」
声を荒げて叫ぶレイさんの目には既に正気が宿っていないように見えた。と同時にメイドさんたちが小刀を手に襲い掛かるが、レイさんは卓越した身のこなしで攻撃を躱して距離をとり、懐からどす黒い液体の入った小瓶を取り出す。その色だけでも吐き気を催すような不気味な色合いの液体を、レイさんは躊躇なく飲み込んだ。
「これで私は超越した力を得る! ワン、貴様がどれだけの実力を秘めていようとも、力を得た俺には敵うはずがない!」
気分が高揚しているのか、口調も荒々しいものへと変わってゆく。その身体は口調以上に劇的な変化を見せ、盛り上がった筋肉がレイさんの衣服を内側から引き裂いていく。と同時に猛烈な威圧感を纏いはじめ、肌を焼くような嫌な感覚が僕たちを襲う。
「ワンよ、俺と戦え! 貴様を倒して俺が秘伝書の継承者となる!」
「レイ……儂は……」
ゆっくりと歩みを進め、レイさんの前に出たワン氏。そして口から出た言葉は、彼以外の誰もがすぐに理解できるものではなかった。
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