8.街を護れ!
『いっぱいくるよー』
オルディアがしきりに匂いを嗅ぐ先は山、そして斜面を滑るように迫ってくるのは黒い波。いや、波のように見えるのは魔物だ。魔物の集団が一斉に山を下りてきている。
「あれが全て魔物じゃと?」
ワン氏が驚くのも無理はない。山の魔物が全て集まったかのような数だ。だが少々妙な感じがする。その違和感を確信に変えるべく、アオイに問いかける。
(あの魔物たちの中で危険度の高いものは?)
【ほぼ九割が草食の魔物、残る一割が肉食と雑食の魔物です】
僕の感じた違和感は間違いではなかった。魔物の群れは遠目からでもわかるくらい低い位置を動いている。中には大きなものもいるが、ほとんどが小さな魔物だ。魔物には草食と肉食、そして雑食のものがおり、一般的に危険なのは肉食と雑食の魔物と言われている。草食の魔物は危害さえ加えなければ大人しく、そもそも攻撃力も低い。そしてほとんどが小さい。ウサギのような魔物や大きなネズミのような魔物など様々なものがいるが、畑を荒らしたり作物の貯蔵庫を狙ったりする程度だ。
だがそれでも力を持たない者にとっては脅威だろう。小さな魔物とはいえまともにぶつかれば怪我する。それどころかあの群れに飲み込まれたら命すら危ういかもしれない。ある程度のランクの冒険者であれば対処可能だと思うが、商人たちが巻き込まれると厄介だ。
「すぐに冒険者ギルドに連絡して緊急依頼を発動させるんじゃ! 街に放ってある連中も総動員して守護に当たれ!」
「了解しました! ですが数が多すぎます! 何より混ざっている肉食の魔物が厄介です! もし討ち漏らしがあったら……」
護衛のメイドたちに指示を出すワン氏。だが彼女たちの表情は優れない。確かに個々の強さはそれほどでもないだろうし、草食の魔物ならば討伐を経験した冒険者や護衛達でも何とかできるだろう。肉食の魔物もそれなりのランクの冒険者であれば対処可能だが、問題はその数だ。
群れの中に点在する肉食の魔物を全て探し出して討ち取るのはかなり難しい。もしそのうちの何頭かが街に入り込もうものなら、被害は決して小さくない。街の警備兵が到着するまでの間、魔物たちがじっと待っているはずがないのだから。
遠目に見ると以前遭遇したブラッディウルフのような魔物やマッドボアと呼ばれる猪の魔物、そして少数だが鎧を身に纏ったかのような姿のアーマードベアまでいる。特にアーマードベアはまずい。Dランクくらいの冒険者パーティなら何とか対処できる魔物だが、それでも連携がうまくいってようやく一頭倒せる程度。そんなものが街に入り込めば、戦う力を持たない人たちに待つのは蹂躙だけだ。
「アルト様、私はいつでも行けます」
『やっつけるよー』
ヘルミーナさんとオルディアは既に臨戦態勢だが、二人でどうにか出来る数じゃない。街から増援が来たとしても、倒す標的が絞れない。それに……さっきからずっと違和感がある。
【アルト様、あの魔物たちは錯乱状態にあると思われます】
そう、あの魔物たちは獲物を狙って移動しているように見えなかった。まるで我先に逃げ出しているかのように、統率など全くとれていない。
(あれを全部倒すことは出来る?)
【倒しきる必要性は低いと判断します。まずは危険度の高い魔物の注意を惹きつけなければなりません】
アオイはあの魔物たちがパニックに陥っていると判断したようだ。確かに全滅させてしまえば安全かもじれないが、そうすると今回の原因を追究することが難しくなる。何故いきなり魔物たちがパニックに陥ったのか、それも普段は大人しい草食の魔物に至るまでが、だ。
だが注意を惹きつけるといっても決して簡単ではないはずだ。何より大群の中にまばらに混ざっているのがとても厄介だろう。だがアオイは一言も不可能という言葉を出さなかった。ということはきっと今回も……
【対象を迅速に無力化する方法を検索……複数の方法を組み合わせることで可能です。優先度を対象群の殲滅から鎮静化へとシフトします】
どうやら僕の考えはアオイに正確に伝わったらしい。いくら魔物とはいえ、この近辺の環境を形成している存在でもある。全滅させてしまうことがどう影響してくるかわからないのであれば、救える命は出来るだけ救いたい。それが魔物だとしても。
「アルト君、何か方法があるんですか?」
「……あの魔物たちを鎮静化させます。ヘルミーナさん、オルディア、大人しくならなかった魔物の対処をお願い」
「わかりました」
『まかせてー』
アオイが方法を見つけてくれたといっても、それが全てうまくいくかどうかは未知数だ。以前書物で読んだが、獣を生け捕りにするのは殺すより何倍も難しいそうだ。もし何かあってからでは遅すぎる。
「……小僧、あれをどうにか出来ると言うんじゃな?」
「アルト君が出来ると言って、今まで出来なかったことはありません」
僕がエフィさんに言った言葉にワン氏が反応した。エフィさんの時と対応が違うのは仕方ないとしても、僕のことを信じ切れていない様子だ。流石に僕の情報が届いていないということはないと思うが、僕の見た目とやったことのつり合いが取れていないからかもしれないが。
エフィさんが説明してくれるが、それでもまだ僕を見る目には懐疑の色がはっきりと浮かんでいる。だからといってここで動かないという選択肢は存在しない。この場にいなければそれでもいいのかもしれないが、少なくとも今僕はここにいて、この状況を打破するだけの力を持ち合わせているのだから。
【アルト様、最適な方法を抽出いたしました。キーワードの詠唱をお願いします】
アオイの言葉に呼応するかのように、僕の手元に現れるのは透き通った青い光を纏った一冊の本。自然にページが捲られると、白紙のページに浮かび上がるのは今の状況を打破するのに最も適したキーワード。だがいつもと違うのは、そこには僕の知っている文字が浮かび上がったということ。
『けもののおうこくのこくおう』
うん、彼ならこの状況を収拾するのに最適かもしれない。だがそれでも疑問は残る。肉食の魔物たちの注意をどうやって惹きつけるのか。そう考えた時、ページには僕の知らない文字が浮かび上がってきた。意味は全くわからないが、アオイが選んだのならこれもまた必要なのだろう。それならば僕にこの言葉を唱えない理由はない。
『みねらるなむぎのおちゃ』
僕がキーワードを唱えたと同時に現れる漆黒のゲート。そして魔物たちの動きが一瞬止まり、その視線が僕たちに集中するのを感じた。
ライオンとヒョウに好かれたあの人が……
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