7.大波
「なるほどのう、もうそんなところまで近づいておったとは……輿入れを契機にして動きを隠すつもりは無くなったということじゃろう。迂闊に教会を排除しようとすれば、正統王家への反逆をでっちあげられる危険性もある。全く害虫のようなしぶとい連中じゃ」
「ワン様も教会と事を構えたことが?」
「この街を教会から護るために少々な。だが常にどこからか湧き出してくる。内通者がいるということまでは掴んでおるがの」
「内通者……ですか?」
「そう怖い顔をするでない、せっかくの可愛さが台無しじゃ。どんな組織にもそういった輩はおるものじゃよ、特に我々のような交流を主とする者は。どれだけ多くの者と交流できるかはそのまま商売の幅へと繋がるんじゃ。要はそういう輩に表立った動きをさせないことなんじゃが……魔族が絡むとなるとのう……」
ワン氏はエフィさんから事の顛末を聞かされて僅かばかり訝しげの顔をする。特に魔族という言葉に反応したように見えるが……魔族と関わりのあるのだろうか?
「魔族といえば魔将が知られておるが……果たして魔族はいつからあのような好戦的な種族になってしまったんじゃろうか。儂らの先祖は魔族とも商流があったという記録があるというのに……」
「魔族と、ですか?」
エフィさんが疑うのも無理はない。魔族は好戦的な種族で、人間にとっての天敵という認識は僕らが幼い頃から言い聞かされていることだ。もちろんリタやイフリールのような友好的な魔族もいるので、僕はすべての魔族が一概に危険だとは考えていない。一部の突出した魔族のせいでそう思われているだけだと考えている。
パイロン家は五王家の中で最も古い歴史を持つとされているので、過去の魔族についての記録があったとしても不思議ではない。ワン氏は魔将を引き合いに出したが、リタだって魔将だ。それに以前彼女は言っていた、魔王は決して戦いを望んでいないと。魔族内部でも我々人間のように派閥の争いがあるのかもしれない。
「ともかくじゃ、この街では教会も表立った動きはとれんはずじゃ。しばしの間は落ち着いていられるじゃろうて。何なら永住しても構わんぞ?」
「そ、それは……遠慮しておきます」
エフィさんが僕のほうをちらりと見て小さな声で答える。僕としてはエフィさんが望むのならここを拠点にするのも吝かではないが、本音を言えばもっと多くの場所を見て回りたいと思う。きっと彼女は僕のそんな気持ちを汲み取ってくれたに違いない。
「それは残念じゃのう。冒険者として活動をするのならレイにも話をつけておこう。あれは武の鍛錬のことしか頭にない男じゃが、真面目で実直じゃ」
「はい、頼りにさせていただきます」
こうしてパイロン家のトップとの邂逅は意外な場所で行われた。だがこれも僕たちの物珍しさから来たこと、これからは気楽な冒険者生活が始まる、そう思っていた。思っていたんだが……
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「……ワン様、もう五日目ですが、お仕事はよろしいのですか?」
「組織の長とはいってもやることはそう多くなくてのう、たまには市井の者と共に暮らすもの良いじゃろ」
薬草採取をしている僕たちの後ろで手持無沙汰にしているワン氏。彼はあれから毎日僕たちと一緒に活動している。といってもずっと一緒ではなく、薬草採取しているといつの間にか現われ、休憩と称してお茶に誘い、陽が傾きかけると別れるといった具合だ。しかも採取場所は毎日変えており、そのことは誰にも言っていないにも関わらずだ。
「門番からの報告には常に目を通しておるからの、行き先なぞすぐにわかる」
ということらしいが、たぶん違うだろう。というのも護衛兼メイドの女性がこっそりと教えてくれたからだ。
「当主様がこんなにも楽しそうなのは初めてですので、申し訳ありませんがしばらくお付き合いいただけますか?」
そう言われてはこちらも断り辛い。地方貴族の当主でもそれなりに忙しいのだから(もちろんそうでない無能な当主もいるが)、五王家の一角の当主となれば忙しいのは当然のこと。本人はやることがないと言っているが、ワン氏くらいになれば地方貴族の当主がこなす仕事量など片手間程度にしか感じないのかもしれない。
ましてや最近は教会の動きも不穏で、王都に最も近い陸路の要となれば常に神経を擦り減らしているはず。その合間の息抜きに付き合うくらいならこちらとしても問題はない。きちんとこちらの採取が一段落ついたところで休憩を進めてくるので冒険者としての仕事に影響は出ていない。むしろ普段は飲めない高級なお茶やお菓子が出てくるのでイフリールやオルディアは喜んでいるし、エフィさんも少しずつ明るさを取り戻してきているように見える。
元貴族家でもずっと隔離されていた僕ではこういった気遣いはできない。エフィさんもいきなり違う環境になって心労が溜まっているはずで、僕は全く気付けていなかった。僕のように単純な人間はすぐに立ち直れるが、エフィさんは違う。もっと細やかな気配りをしなければならない。
「ギルドとしても新鮮な薬草が手に入るので喜ばしいとレイから報告が上がっておる。出来ればもっと薬草採取に専念する冒険者が増えてくれればいいんじゃが」
「仕方ありませんわ、薬草採取は地味ですから」
「確かに討伐依頼は派手じゃが危険が伴う。薬草採取はしっかり基礎知識を身につければ買い取り価格も上がるが、どういうわけか駆け出しの冒険者はそういった勉学が苦手らしくてのう」
それは僕も常に思っていことだが、とにかく薬草採取の依頼が軽視されている。薬草採取を行う者がいなければ、治療する手段はいずれ魔法のみに限定されてしまう。そうなったら困る人たちが大勢出ることくらい考え付きそうなものだが……
【アルト様、多数の危険生命体が北方よりこちらに向かってきます。遭遇するまでの予測時間はおよそ二十分と思われます】
(え? いったいどこから……)
突如聞こえてきたアオイの警告。しかも多数という言葉。北方、ということは森の奥の山のほう……
ふと山のほうを見て一瞬思考が停止した。木々の合間を抜けて斜面を駈け下りるのは無数の何か。アオイは危険生命体と言ったが、それはきっと魔物のことだろう。魔物たちは小川を流れるせせらぎのような流れとなり、他の流れと融合しながら奔流のように駈け下りる。それはまるで……
「波……」
思わず口からこぼれた言葉が表すように、すべてを飲み尽くさんとする魔物たちの大波が、イートンの街めがけて迫っていた。
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