2.陸運の要
馬車が進みやすいように整地された街道を進めば、両側に広がるのは一面の麦畑。既に穂も膨らみ、頭を垂れる麦は黄金色に色づき、風に揺れる様はまるで黄金の海を見ているようだ。王都から伸びる陸運の主要経路の一つだけあって、行き交う馬車の数も多い。護衛を伴った商人たちの隊商の列や、麦の収穫のための農夫を乗せた豪農の馬車の一団、それだけでもこれから向かう街の特色がうかがえる。
「イートンには夕刻までには到着できるでしょう」
御者席のヘルミーナさんの言葉に、改めて僕の気持ちが引き締まる。これから向かうのはイートン、五王家の中でも経済の主要を担うという特殊な存在であるパイロン家が管轄する街の中の一つだ。特にイートンは王都に向かう陸路のうちの一つの最終経由地になっている。
最終経由地ということは、当然様々な品物が集まる場所でもある。そして書物によればイートンは王都の糧食を担う農業の街でもあるという。ここで収穫された作物は、鮮度が落ちないうちに王都に運ばれるらしい。
「ここ数年は豊作続きで、パイロン家の懐もかなり温かいと聞きます」
「そうですね、この光景だけでも豊かに実っているのはわかります」
ガルシアーノの令嬢だった頃の知識から、五王家の実情も教えてくれるエフィさん。養子ではあったが、五王家独自の交流にも頻繁に参加していたらしく、僕の知り得ない知識をたくさん持っていた。例えば五王家の役割分担の裏側とかも。
「パイロン家の所持武力は決して大きくないんです。もちろん独自に受け継いできた技術による精鋭はいますけど、少数精鋭を主義としているので、兵数そのものは少ないです。ですから独自に得た収益から他の家々に支払って兵力を補充しているんですよ。傭兵を雇い入れているようなものですね。もちろんガルシアーノからも人員を派遣していました」
他にもルチアーノ家は他の家々から選び抜かれた素質ある若者を優先的に学院に受け入れているそうで、特に魔法を主体とした基礎知識を教え込まれているらしい。近衛のウィルヘルム家や警護のデッカー家は独自の任務のために深くかかわることはないそうだが、かといって全く交流が無い訳ではないらしい。
「パイロン家の特色として、商才に長けた者を多く輩出する傾向にあるんです。お父様……リカルド様のところにもパイロン家所縁の者が数名いました」
食糧と専門的な知識、そして何よりお金。パイロン家は彼ら独自のやり方で力をつけてきた。前線に出て戦うことは不得手かもしれないが、後方支援として正統王家や他の五王家を支えるのは並大抵のことではないだろう。だがそれだけの武器を持っているとなれば、国内の反五王家の貴族たちが黙っていないんじゃないか?
「政敵もずいぶん多そうですね?」
「ところがそういうことでもないんです。パイロン家は正統王家が誕生する前からこの地を治めてきた古い家柄ですが、主要な実力者は皆古参のものばかりです。他から入り込んできた新しい貴族はいないんです。パイロン一族を中心とした一族政治によって、外的な因子を排除しているんですよ」
ただそれでも最近は新しい血を入れようとしているそうで、基本的には他の五王家から推薦された相手を婿入れ、嫁入りさせているらしい。そもそもが少数精鋭を主義としているせいで、後継ぎが不足しはじめているとの噂もあるそうだ。「噂は噂ですけど……」と付け加えてくれたが、最近まで五王家の内部にいたエフィさんからの情報だ、きっと信憑性の高い噂だろう。
だが王都にいる間、パイロン家の関係者に会うことはなかった。ウィルヘルム家は正統王家の近衛のため、市井に出てくることはまずありえないので理解できるが、何故パイロン家の姿がなかったのか。
「王都にはパイロン家の関係者はいるんですか? 僕の知る限りいませんでしたけど」
「パイロン家は少々特殊なところがありまして……そもそも王のような人々の上に立つことを嫌うんです。古くは暗殺者に源流を持つ一族とのことで、表に出るよりも陰からのサポートに専念しているんです。彼らの持つ商才は、間諜としての情報収集能力によるところが大きいんですよ」
確かに相場の情報をいかに正確につかむかは商売をする上でとても重要だ。需要と供給の情報を迅速につかみ、最も利幅の大きなタイミングで売る。かといって買い占めや不当な価格のつり上げをすれば、それは五王家に余計な敵を作ることになる。今は反五王家派の貴族が主体だが、生活に必要な食糧の類の価格を間違えれば、市井の平民たちが反五王家側につく。戦乱から脱却するために尽力することで平民からの支持を得ている五王家にとっての、ある種の生命線ともいえる一面を担っているのがパイロン家ということだ。その働きは決して他の五王家に引けを取らない。
そんなパイロン家が管理する、王都に最も近い陸運の要となる街、イートン。どれほど重要視されているかは、ここまでくる道すがらの様子からも明らかだ。街道だということもあるが、とにかく行き交う馬車が多い。それは即ち街道沿いの治安が確保されているということに他ならない。僕たちもここまで来る途中に魔物が現れたことはあったが、盗賊の類は一切遭遇していない。それをエフィさんに伝えると……
「パイロン家にとって商流は最大の武器です。商人たちが安心して物資を流通できる環境を整備することで、商人たちの経済力を集めているんです」
とのことだった。考えてみると、僕自身は商人とは関わり合いが無かった。薬草の採取はギルドの依頼だし、武具や道具の類を揃えるのは、行く先々の小さな店や工房ばかり。王都では立派な店は入りづらくて、食事は基本露店だった。
「もしかすると王都にはない逸品があるかもしれませんよ。着いたら一緒に見て回りませんか?」
そう言って笑顔を見せるエフィさん。王都での一件から時折塞ぎ込むこともあったので心配していたが、こうして笑ってもらえるのなら一緒に見て回るくらいはいいかもしれない。今の彼女はもうしがらみに囚われることはない。今までの分を取り戻すべく自由を満喫できるのだから。
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