25.新たな仲間
陽射しは柔らかく降り注ぎ、通り過ぎる風が緩やかに髪を揺らす。ゆっくりと道を進む馬車のまわりに長閑な時間が流れる。のんびり進む旅の楽しさを改めて知る。
エフィさんの一件が終わり、僕たちは早々に王都を出ることになった。というのも、マクマードに連なる貴族たちがエフィさんを狙う可能性があることと、僕が臨時講師の任を解かれたからだ。当然僕には王都に留まる理由はなく、エフィさんも学園を除籍になったので王都には居場所がない。ヘルミーナさんはエフィさんから離れるつもりが無いらしく、一緒に行動している。そして何より……
「どこに行くの、アルトお兄ちゃん?」
「そうだなぁ、どこに行こうか?」
「うーん……わかんないや!」
荷台に幌をつけただけの簡素な馬車から嬉しそうに外を眺めるイフリール。彼女の存在があるからこそ、王都を出る必要があった。僕が眠っている間にエフィさんがリタから頼まれたらしく、イフリールを僕たちの旅に連れて行ってほしいとのこと。彼女が攫われたのはリタの故郷の隠れ里、となれば当然そこは敵に場所を知られている。戻ったところで同じことが繰り返される可能性は決して低くない。それならば旅に同行させることで敵に足取りを掴ませないというリタの考え方はよくわかる。
「イフリールは何をしたいですか?」
「お腹いっぱい食べたい! エフィお姉ちゃんとアルトお兄ちゃんと一緒に!」
「まあ……」
エフィさんがイフリールに「お姉ちゃん」と呼ばれる度に相好を崩す。エフィさんはずっと弟か妹が欲しかったらしく、常にイフリールの面倒を見ている。もしかすると僕のことも弟として見ているのかもしれないが、それを本人に聞いてもきっと教えてくれないだろう。
一見するとただの無邪気な赤毛の女の子にしか見えないイフリールは、エフィさんの膝の上で髪を解かしてもらっている。まさに仲良し姉妹といった光景で、先日見せたあの姿が信じられないくらいだが、あの時見せた力も彼女が内に秘めている力であることは事実。王都のような権力を欲しがる連中が彼女を知れば、どんな手段を使ってでも手に入れようとするだろう。そんな薄汚い計略にもう彼女を巻き込ませたくない、それが僕とエフィさんの共通の思いだったからこそ、僕は勝手に了承したことを謝るエフィさんを快く認めた。
「アルト様、お嬢様、この先で道が分かれますが、如何いたしましょうか?」
「そうですね……王都の近くで食べ物が美味しいとなるとイートンでしょうか。何より山の幸が豊富と聞いています」
「お菓子あるのかな?」
「ええ、甘い果実がたくさんありますよ」
「私そこ行きたい! いいでしょ、アルトお兄ちゃん?」
「うん、いいよ。ヘルミーナさん、イートンに向かってください」
「承りました」
御者席からのヘルミーナさんの問いかけに、今決めた行き先を告げる。行き当たりばったりだが、それでもいいじゃないか。何かを急いでしなければいけない旅じゃない。身分を隠しての逃避行でもない。路銀が尽きれば冒険者として依頼をこなして、ある程度溜まればまた旅に出る。身を固める年齢でもないし、まだ根無し草のような暮らしを続けていてもいいはずだ。これが爵位を持つ貴族なら後継ぎや領地のことを考える必要があるが、幸いにも今の僕たちにはそんなしがらみはないのだから。
「イートンへはここからおよそ十日くらいでしょうか。途中に小さな宿場もありますし、魔物も強力なものが出没したという情報はありませんし、事実大した魔物は出てきておりません」
「そ、その割には服が汚れてるような……」
「これは返り血ですのでご安心ください。私は無傷です」
そう言うヘルミーナさんのメイド服は所々赤い染みが出来ている。進行方向に出没する魔物を退治しているようだが、ほぼ一方的な、戦闘とも呼べない作業が続いているらしい。ほとんど物音を立てていないので、彼女の近接戦闘の実力の高さを伺える。ここは冒険者である僕が何とかしたいところだが、ヘルミーナさんにきっぱりと断られてしまった。
「ご主人様を戦わせるメイドなど存在しません」
だそうだ。エフィさん曰く、あの時自分が何も出来なかったことに対する罪滅ぼしらしいが、僕はそこまで重要に考えていない。だからもう少し僕を頼ってほしいんだが、本人がそうしたいからさせてくれと頼まれれば断ることができない。おかげで道中楽が出来ているからいいが、ヘルミーナさんの体力が持つのかがとても心配だ。
「そろそろ最初の宿場が見えてきます」
ヘルミーナさんの言葉の通り、空が赤みを帯び始めた頃、小さな宿場町が見えてきた。王都に比べればとても小さな町だが、行き交う人の姿もそれなりにあって、なかなか活気のある場所だ。王都の宿はどこか馴染めなかったが、このくらいが僕にはちょうどいいかもしれない。次の行き先も決まったし、今夜は王都での疲れをゆっくりと癒させてもらおう。
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夜も更け、門の閉められた宿場町は深酒の過ぎた酔客が喚き散らすこともなく、静まり返っている。アルト達が選んだ宿もまた、周囲の静けさに溶け込むように静まり返っている。王都の一件が終わった慰労と、エフィ、ヘルミーナ、そしてイフリールという新たな仲間の歓迎会も兼ねた夕食はとても楽し気なものだった。危機を脱したアルトとエフィが僅かばかりの気の緩みか、生まれて初めて少量ながらも酒を飲んでしまうくらいに。そのおかげかアルト達は床に入るとすぐに眠ってしまった。
アルトが寝入ってからどのくらい経っただろうか、静かに部屋のドアが開けられる。アオイが反応しないことから敵ではないだろうが、それでもこんな深夜に来るのは通常ではありえない。部屋にはアルト一人きり、女性陣は別の部屋で眠っているはずだ。オルディアは馬車が物色されないように荷台に設えられた寝床で眠っている。
「……お兄ちゃん、起きてる?」
「……」
音もなく入ってきた小さな人影は、起こすというよりも眠っているかどうかを確認するかのように声をかけるが、酒が入っているためにアルトの返事はない。それを確認した人影は、木窓の隙間から入ってくる月明りに照らされて、小さな笑みを浮かべる口元が露わになる。腰あたりまで伸びる髪が月明りを受けて艶やかに赤く輝く。部屋に入ってきたのはイフリールだが、その笑みからは夜の独り寝が寂しいというような、年端も行かない女の子が持つような感情とは全く異質のものだ。
「……アルトお兄ちゃんが本当にお兄ちゃんになれるかどうか、確認しておかないとね……」
寝間着の前をはだけさせて床に入り込むイフリールは、その容姿に似つかわしくない娼婦のような仕草でアルトの毛布を取り去る。舌なめずりしながらアルトの下着に手をかけようとする姿は、百戦錬磨の夜の女性のようでもあった。
アルト達はイフリールが見た目相応の年だと思っていたが、実はその通りの年齢ではなかった。魔族は長命であることが多いが、炎魔族もまた長命であり、しかも容姿が幼いまま年を取るという特徴を持つ魔族だった。実年齢で言うとリタより年上だったりするが、リタすらその事実は知らない。
「アルトお兄ちゃん……やっぱり可愛いんだろうな……」
熟睡するアルトの下着をゆっくりと下ろすイフリール。アルトの下着が下ろされて、そこにあるモノが月明りに照らされる。イフリールの望んだものがそこにあったのかどうか、それを見たイフリールが無言を貫いているので正確なところはわからない。だが望んでいたものとは少しばかり違っていたようで、イフリールはゆっくりと下着を戻すと、毛布を元通りにしてゆっくり部屋を出て行った。月明かりに背を向けているので、その表情までは伺い知れなかったが……
「アルト様、後方に一匹魔物が出現しました! お任せしてよろしいですか?」
「はい! 任せてください!」
宿場を出た僕たちは、早々に魔物の群れに囲まれていた。だが個々の強さは大したことはなく、ヘルミーナさんとオルディアが蹴散らしていたが、一匹だけ背後に回り込まれてしまった。一匹くらいなら何とかできると思うし、何よりまだイフリールという戦力が残っている。
「お兄ちゃん、任せ……て……」
「どうしたの?」
自分の出番が来たとばかりに張り切っていたイフリールだが、その魔物の姿を見て途端に静かになった。僕が見てもあまり強そうには見えない魔物なのに、もしかして何か特別な力を秘めた魔物なのか?
「へ……へ……」
「へ?」
「いやーっ! ヘビ! ヘビ怖いよう!」
突如泣き出すイフリール。その様子を見たエフィさんが優しく慰めているが、泣きじゃくっていて戦闘どころではないようだ。ヘビの魔物と言っても大蛇と呼ぶには程遠く長さは僕の背丈くらい、太さも相応で、僕でも何とか対処できる大きさだが、見た目で侮ってはいけないということか?
『へびやっつけるよー』
「そのヘビは食用になりますので、一撃で仕留めてください」
『わかったー』
結局ヘビの魔物は、他の魔物を殲滅し終えたヘルミーナさんとオルディアがさくっと倒してくれた。だがイフリールはしばらくの間泣き止むことはなかった。まさかヘビが怖いなんて思わなかったが、やっぱり年相応の女の子なんだと改めて再認識した。いくら強い力を持っていても、女の子は護ってあげなくてはいけないと再認識した。
だがしばらくの間、イフリールが僕を見る目がヘビを見た時と同じような怯えの色があったのは気のせいだろうか……
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