19.頼れるお姉さん
【データ再現開始……リソースの再構築開始……完全再現までの残時間は……時間短縮のための複数の条件を再申請……】
アオイの抑揚の少ない声が頭の中に響くが、いつものようにすぐに何かが再現されるようなことはない。それだけ僕が出した条件が難しいということか。となると問題はこちらの準備が整うまでの間、イフリールをどうやって抑え込むかということだが……はっきり言って僕にとっては荷が重すぎる。
【……申し訳ありません、現在のアルト様では大容量データの並列構築は難しいのです……】
(アオイは何も悪くないんだから、謝る必要はないよ)
【アルト様……】
アオイが謝るけど、それはお門違いもいいところだ。僕がもっともっと力があれば、アオイだって難なく対処できたはずだ。それができないのはただただ僕の力不足が原因だ。むしろ謝るのはこっちなくらいだ。
それはいいとして、とりあえずはイフリールが大人しくしていてくれればいいんだが、どうやらその望みは早々に打ち砕かれそうだ。さっきまでは苦悶の表情だったイフリールだが、今は再び憤怒の形相になって僕を睨みつける。間違いなく僕を敵として認識している目だ。
『うあぁぁ!』
「うわ! 危ない!」
イフリールが無造作に手を振ると、指先から炎が迸る。かろうじて横っ飛びで避けたが、炎が着弾した場所は焦げるどころか大きく抉られ、そして中心部は真っ赤に溶けていた。もしこれをまともに喰らえば、あの男や騎士たちのように爆ぜてしまうのだろうか。
そんなことを考えている間もイフリールは炎を幾筋も迸らせ、僕はただただ無様に逃げ惑うだけだった。だがそれでもいい、どんなに無様でもアオイの準備が整うまで躱し続ければいい。ただそれだけ、そう自分に言い聞かせながら、恐怖に震える両足に喝を入れる。
『あああぁぁ!』
「うそ……」
イフリールの単調だった攻撃が一変し、僕の周囲を取り囲むように炎を放った。いつの間にか背中に闘技場の壁の感触があり、僕はようやく誘い込まれたことを理解した。まだ混乱しているはずなのに、易々と敵を追い詰める技術は、生まれ持った本能に近いのかもしれない。
炎の熱気が僕に近づき、状況が最悪になりつつあるのを感じた。右も左も上も炎、下は闘技場の土床、後ろは闘技場の壁。もうどこにも逃げ場がない。このままいけば僕もあの男たちのように……
『あ?』
「え?」
突如僕に迫る炎が砕け散った。何が起きたのかわからずに間の抜けた声を出す僕とイフリールの間に、二つの人影が降り立った。
「私の学園でこれ以上の狼藉は許しません」
「これでもAランク冒険者なんだし、低ランク冒険者はもっとお姉さんに頼って良いワケ。理解?」
僕の前で立ちふさがるエマ学園長は油断なくイフリールに視線を送り、クレアさんは振り返ると清々しい笑顔で親指を立てるのだった。
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突如起こった事態を何とか収拾しようとするも、いい案が思いつかなかったエマ。マクマード家程度の貴族の嫡子がどうなろうと、いくらでももみ消せるが、今回は背後に教会がいる。その教会の手引きで喚びだされたのは、博識なエマでも書物で読んだ程度しか知識のない炎魔族という魔族だった。
非常に高い戦闘力と火属性への親和性を持つ稀有な魔族、そのくらいの知識しかない。だがこうして目にすると、書物の知識など実物の前には何の意味も持たないことを思い知る。見た目は年端も行かない少女だが、内包している力は人間の枠を遥かに超えている。しかも、あの炎魔族は呪紋という呪式によって自我を消失しかけている。
あの炎魔族の少女ですら厄介極まりないのに、それを自在に操るような存在までいる。いったい教会はそんな連中と組んでまで何をしようというのか、そしてエフィにここまで執着する理由は何なのか。明晰な頭脳を持つエマですら、突如降って湧いた事象の数々に思考を放棄しかけていた。
しかしそんな中、たった一人動いたのはアルトだった。仲間の猫獣人に頼まれて、あの炎魔族の少女を何とかするつもりらしい。倒すだけならば、ルチアーノの誇る対教会用の精鋭を結集させれば可能かもしれない。さらにギルドから高ランク冒険者の派遣があればもっと確率は上がる。しかしアルトはおそらく無力化を選んでいる。あのお人よしの少年が、少女の姿をした相手を殺せるとは思えない。無謀という表現しか思いうかばないエマ、その頬がいきなり強い力で叩かれた。
「エマ! 何ぼーっとしてるワケ?」
「クレア……でも相手が……」
「それは理解してるわ、あんな今にも暴発しそうな、制御しきれなくなった禁呪みたいなの、相手したいなんて思う奴がいるワケ?」
「そうよ、もし一歩間違えば王都が焦土になりかねないのよ、だから……」
「でも……彼は何とかしようとしてるわ。理解?」
「……」
エマにはアルトの後ろ姿しか見えないが、その身体から溢れ出る特殊な力のようなものははっきりと感じられた。事前情報では属性の儀式で何の反応も見せなかったという、言わば落ちこぼれに分類されるであろう少年が、強い意志を持って立ち向かおうとしている。
不思議な存在を召喚することができる、との報告も上がっている。今までに存在したいかなる系統にも属さない魔法を使う少年。今も何かを為そうとしているようだが、それには少しばかり時間がかかるらしく、相手の攻撃を何とか避け回っているのが現状だ。
「あちゃー……まずいわね、あの逃げ方じゃいずれ追い込まれる」
「ええ、やはり少年ということですね」
「じゃあどうするワケ? 頼れるお姉さんたちとしては」
「そんなの決まっています」
戦い方を変えたイフリールの炎が四方からアルトに向かう。このままでは逃げ場を失い、あの炎の餌食となってしまうだろう。アルトにたった一人で戦わせて自分は何もしないなど、エマの矜持が、ルチアーノの名を持つ者としての信念がそれを許さなかった。
「魔道においては五王家で比肩する者のないルチアーノの力、見せてあげます」
「そうこなくっちゃ! ここで黙ってみてるなんていつものエマらしくないワケよ!」
エマは五王家の中でも非常に稀有な複数属性持ち、しかも聖属性以外をそつなくこなせる万能型の天才術者だった。その実力を万全に発揮するべく、複数術式を織り交ぜた防御術式を即座に組み上げる。弱点は水、とあの猫獣人も言っていたが、人間が保有する水属性の魔力量であの炎魔族に太刀打ちできるなどとエマは考えていない。ならば複数の属性を並列で作用させることで力を弱めることができる。
さらに隣には信頼のおける高ランク冒険者のクレアがいる。魔道に長けているエマと、百戦錬磨のクレア。クレアはエマの組み上げる術式から、彼女が何をしようとしているか、そして自分が何をすべきかを即座に理解する。
(私はエマが弱めた炎を消し飛ばせばいい、倒す必要なんてない、きっと……その方法はアルト君が見つけてるはず)
クレアは手にしていた剣を投げ捨て、爆散した騎士の一人が持っていた戦斧を手にした。流石は貴族の騎士だけあって、そこそこの業物のようだったが、彼女は無造作に振るうと力任せにアルトに迫りくる炎を薙ぎ払う。エマの術で弱められた炎は、クレアの一撃で火の粉をまき散らしながら消滅する。炎の消えた場所に強力な援軍が降り立つ。
「これでも高ランク冒険者なんだし、低ランク冒険者はもっとお姉さんに頼って良いワケ。理解?」
普段は気遣いの言葉など使ったことがないクレアは、素直に助けるという表現が出てこなかった。本人もそれを理解しているのか、顔を赤く染めながらも背後にいるアルトに向かって親指を立てるのが精いっぱいだった。
「私も手を貸しましょう、エフィ嬢のことはお任せを」
『オルディアもがんばるー』
バーゼル先生とオルディアがエフィさんの護衛につき、エマ学園長とクレアさんが僕の護衛につく。心強い人たちの助力に、改めて僕は独りじゃないことを実感する。そしてリタもまた、僕の頼みを聞いて動いてくれてる。様々な人たちの力添えがあるから、僕はこうして生きている。なら僕は僕の為すべきことを為すだけだ。
エマ学園長とクレアさんがイフリールの放つ炎を消し去り、その余波を先生とオルディアが無力化する。だけどいつまでもこうしてはいられない。僕たちが力尽きてしまえばそれで終わりだ。そして……
【全申請は承認されました。情報再現速度を上昇させます】
待ち望んだアオイからの声とともに、急速に周囲の光景が変化を始めた……
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