18.リタの涙
「イフリール? リタはあの女の子を知ってるの?」
「……小さなころから一緒に暮らしてたニャ。でもこんなところにいるはずがないニャ。争いごとが嫌で隠れ住んでいたはずなのに、こんなところで呪紋を刻まれてるはずがないニャ……」
「呪紋?」
「呪紋は刻まれた者の精神を崩壊させて駒にする呪法ニャ」
『リ……リタ姉……たすけ……うああぁぁぁ!』
「イフリール!」
おそらく中の状況がわからなくなったので、様子を見に来たんだろうが、そこでリタは自分の見知った顔を見つけたようだ。しかも呪紋などという邪法を使われた状態の。イフリールはリタの顔を見て一瞬自我を取り戻したかのように見えたが、顔にまで拡がった呪紋が脈打ち、壮絶な責め苦を与えているようだ。こうして精神を崩壊させて思うままに操るとは……
「イフリールはあの貴族の男が手に入れたと言ってたニャ? ならまだ近くに企んだ奴がいるはずニャ。アタシはそいつを探すニャ、だからアルト……イフリールを止めて欲しいニャ。呪紋を浄化できるのは真の聖女並みの力が必要ニャ、だけど本物の聖女なんてもういないニャ……だから……アルトに彼女を止めて欲しいニャ。イフリールは火属性に長けた炎魔族だから水が弱点ニャ……魔族でも上位の実力があるけど……アルトならきっと何とかしてくれると信じてるニャ……」
「リタ……」
「ア、アタシは犯人を捜してくるニャ」
そう言い残して踵を返すリタだが、僕は確かに見た。リタは間違いなく泣いていた。妹同然に育った友達が、邪悪な呪法で心を持たない道具にさせられようとしている。本当なら自分で何とかしたいのだろうが、恐らく相性的に不利なのだと思う。リタは魔将だが敵と向かい合うような戦い方はしないはず。それに水を使った戦い方も不得手なのかもしれない。
「アルト君……さっきの方は……それに炎魔族って……」
「彼女はアルト殿の友人です」
「友人……わかりました」
エフィさんが何か言いたそうな顔をしているが、先生がそれを遮った。魔族は忌み嫌われているのに、その言葉が出てきたことを不審に思っているのかもしれない。だが先生は彼女のことをよく知っている。僕に敵対するようなことはしないということも。
「アルト殿、勝算はあるのですか?」
「わかりません、でも……やるしかないですから」
「……ご武運を」
きっと今の僕の顔はとても怖い顔だろう。いつも飄々としてつかみどころのない、だけど人懐こい笑顔を見せてくれるリタの悔し涙を見てしまったからには、何としてもイフリールを止める。でも決して殺すつもりで戦う訳じゃない。出来ることなら無力化して、せめて最期に言葉を交わさせてやりたい。だから……やるしかないんだ。僕ならそれが出来ると信じて、この場を託してくれたのだから。
(アオイ、僕がとても無謀なことを考えてるのは理解してるよ。それでも君に問う、この状況を覆す方法はある?)
【火の系統に属する敵、無力化には強力な水、方法はございますが……よろしいのですか? 衆目に晒されますが……】
(構わないよ、さっきイフリールはリタに助けを求めていたんだ、きっと彼女はまだ戦ってる。完全に精神を壊されてしまう前に何とかしたいんだ)
【わかりました。かなりアルト様に負担がかかりますが……】
(それは覚悟の上だよ。でもリタは言っていた、イフリールは争いごとを嫌ってたって。そんな女の子を無理矢理戦いの駒にしようとするなんて……絶対に許せない!)
【検索条件に対象の不殺無力化を追加……複数の検索結果より最善を選択します。出力制御、疑似空間構築制御の制限を一部解除を申請……承認。現象時間を対象の無力化までに変更……一部制限付きで承認、使用者の限界値マイナス5パーセントまでに設定。アルト様、準備が整いました、キーワードの詠唱をお願いします】
アオイから準備完了の意思が伝えられ、僕の手に透き通るような青い本が現れる。開けば勝手にページが捲られ、とあるページで止まると、そこには僕が詠唱するべきキーワードが書かれている。僕はそれを詠唱するだけだ。
『まよいしこひつじよ、はいりなさい』
詠唱を終えると強い脱力感に襲われる。しかし闘技場は何の変化も起きなかった……
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苦しい……苦しい……どうしてこんなことになったんだろう。私は……リタ姉の手助けがしたかっただけなのに……
リタ姉はたった一人で迷い込んだ私を妹のように可愛がってくれた。戦うことが嫌だって言っても、他の大人みたいに怒るようなことはしなかった。嫌なことはしなくていいんだよ、私のしたいようにすればいいんだよって言ってくれた。
リタ姉が魔王様の軍に入って、家を空けることが多くなった。でも家に帰ってくれば、いつもと同じように優しく接してくれた。私が寂しいって言うと、いつも悲しそうな顔をした。私はその顔が見たくなくて、寂しくても我慢したんだ。嵐が来た夜に一人で寝るのは怖かったけど、頑張ったんだよ。
そんな時に村に来た女の人が言ったの、自分と来ればリタ姉と一緒にいられるって、そうすればリタ姉も喜ぶって。だから一緒に行ったんだよ。女の人は色々な実験をして、それはとても苦しかったけど、リタ姉と一緒にいられるならって我慢したんだ。
でもすごく苦しくて……苦しくて……どうしようもないくらいに憎くて……でもリタ姉のことが憎いんじゃなくて……どうしたらいいのかわからなくて……そんなことを考えてたら、リタ姉の顔が浮かんで、つい助けてって言っちゃったけど……でもこの憎しみはどうしたらいいのかわからない。誰も傷つけたくないのに、誰かを傷つけたくてたまらない。どうしてかわからないけど、ただただ憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い。もう嫌だ……助けてリタ姉……
あれ……リタ姉って……誰だっけ……
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