17.炎を纏う少女
目の前の光景が決闘だと言われて誰が信じるだろうか。エフィは信じられない相手の行動に言葉が出なかった。
「確かに書状には書かれていませんでしたが……物事には限度というものがあるはずです」
闘技場の中央にて対峙するのはアルトとマクマード達……のはずだった。しかし今、闘技場でアルトと向き合っているのは完全武装の騎士十人とローブの魔法使い、その背後に隠れるようにしながら様子を窺っているマクマード達五人。総勢十六人で一人と戦う決闘など聞いたことがない。しかもアルトは非殺が前提、魔法はおろか武器すら認められていない上、防具もつけていないのだ。
「これは決闘なんかじゃないわ! ただの公開処刑よ!」
エフィの警護として隣にいるクレアが声をあげるが、観客はマクマード達の行動に歓声をあげるばかり。抗議の声は誰の耳にも届かない。だがそれも当然のことで、観客のほとんどが反五王家とまではいかなくとも、かつての貴族の栄華を再び取り戻すことを望んでいる者たちだ、そんな連中にとって五王家絡みのアルト達を叩き潰すことはこの上ない娯楽なのだ。どんな手段を使っても許されると貴族の立場を曲解した連中には今の闘技場の光景は異常でもなんでもなく、貴族に逆らう者を処刑するという当然の姿と見えている。
「私が……私がマクマードの下に行けば……」
エフィは絶望的な光景に涙を零しながら呟く。自分が犠牲になればアルトは助かるかもしれない。そんな一縷の望みに賭けて闘技場に向かおうとした時、その肩を掴まれた。
「貴女にそんな顔は似合いませんな」
「バーゼル様……」
エフィを止めたのはかつて知り合った元Sランク冒険者、【宵闇】の二つ名を持つバーゼルだった。
「貴女はアルト殿の勝利を信じていればいいのです」
「ですが……いくらなんでもあれは……酷すぎます」
「果たしてあの者たちは……あの時の魔物よりも強いですかな?」
「あ……」
その言葉にロッカでの出来事を思い出す。街を滅ぼしかねない巨大な魚の魔物を一撃で屠ったアルトの姿を。それに比べれば立ち並ぶ騎士たちは何と貧相なことか。もし彼らがあの魔物と戦ったのなら、即座に魔物のエサになってしまうだろう。
「ですが……アルト君は丸腰です」
「アルト殿の目は勝利を捨てていない目です。貴女はそんな彼が戻ってきた時に笑顔で迎えればいいのです。あの時のようなことを繰り返してはなりません」
その言葉にエフィはようやく気付く。自分が強くなろうと決心した理由は何だったのかを。あの時はアルトの不可思議な力に畏怖する気持ちしかなかった。それを見たアルトに寂しそうな目をさせた自分を恥じたからではないのか、と。そして今、アルトは再び自分を護ろうと理不尽な決闘に臨んでいる。そんな彼を自分が信じなくてどうするのか。
エフィは涙を堪え、じっとアルトを見つめる。すると騎士たちの動きに違和感を感じた。アルトに襲い掛かる訳でもなく、まるでマクマード達を護るかのような布陣をとったのだ。アルトと対峙しているのは魔法使いの男のみ。しかもその男は目が血走り、口の端からは涎を流しながら何かしら呟いている。しかしその内容は歓声にかき消されて全く聞こえない。
(あれは何? とても強い魔力が膨れ上がって……あんな魔力、常人では耐えきれないわ)
魔法使いの男の身体からは、激しい熱量を伴う魔力が漏れ出ていた。もしあの男に火魔法の加護があったとしても、生身の人間で耐えられる熱さには限界がある。だが男は悶え苦しむこともなく、むしろ恍惚の表情を浮かべている。
「エフィ嬢、少々お下がりください。あの男からは危険極まりない気配がします」
「は、はい……」
バーゼルの言葉にエフィが数歩後ずさる。髪の毛が焦げるかのような熱量が闘技場を満たしているが、幸いにもアルトが条件として提示した結界によって阻まれており、観客には内部の異常さがわかっていないようだった。エフィは学園で必死に魔法の技術を学び、聖属性魔法の使い手としてだけではなく、一般的な魔法使いとしての段階も上がっていたが故に、バーゼルの危惧する意味を即座に理解できた。
男の体内で膨れ上がる魔力、それは決して人間が宿して良い類のものではない。ならばその後どうなるか、その結末に思い至ることなく、男の身体に異変が生じる。魔力が爆発的に膨れ上がり、まるで熟れすぎた果実のように身体を膨らませた後、鮮血を肉片をまき散らしながら破裂した。さらにその余波で騎士たちもまた同様に身体を爆ぜさせる。
(何なの……この魔力は……)
これまで経験したことのない禍々しい魔力にエフィは身を竦ませる。ガルシアーノの養女として人々の悪意には慣れているつもりであったが、そんなものが幼児の戯れに思えるほどのどす黒い魔力。それが未だ闘技場の中に渦巻いている。
「おい! 今すぐに止めろ! こんなものはもはや決闘ですらない!」
「こ、こんなことになるなんて知らなかった! ただ『強力な魔獣を喚ぶ』としか……」
こうなることを知らされていなかったのか、ボリスに叱責されたマクマードが狼狽えながら応える。こんな禍々しい魔力を媒体に喚び出される存在が人間如きの支配下に収まるなどあるはずがない。決闘どころかこの闘技場の安全すら保証できない状況にボリスが生徒の避難を指示し、エフィにも逃げるように言う。しかし……
「私は……逃げません」
エフィは震えながらも気丈に応える。エフィが何故ここにいるのか、その理由は彼女のために決闘に臨んだアルトがまだ闘技場に残っているからだ。大恩あるアルトを残してどうして自分だけが逃げられようか。そして何より闘技場の中央には無残な召喚儀式の結果が姿を現し始めていたからだ。
最初は宙を舞う炎の欠片だった。欠片は次第に周囲の魔力を炎へと変化させて、より大きな炎になろうと吸収する。大きくなった炎は次第に人の形をとりはじめ、やがて一人の少女の姿に変わった。炎のように長い真っ赤な髪をゆらめかせ、炎を纏った少女は幼い裸体に禍々しい紋様が描かれ、可愛らしいであろうはずの顔は憤怒に歪んでいる。
危険だ。それは頭で理解しているエフィだが、身体が動かない。いや、動けない。少女の小さな体から放たれる圧は彼女の自由を容易く奪い去った。何かあればバーゼルが彼女を連れ出すだろうが、アルトはどうなるのだろうか。今は学園長が結界で抑えているが、エマの必死な表情はそれが決して長く保つものではないことを証明していた。
少女の憎悪は一体誰に向けられたものか、それを知る者はここにはいない。しかしその怒りの矛先がここにいる者に向かうであろうことは容易に想像できた。誰もが固唾を飲んで動けなくなっている中、震え声の呟きが聞こえてきた。
「イフリール……どうしてこんなところにいるニャ……」
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