16.理不尽な闘い
「時間だ、準備はいいか?」
ボリスさんが神妙な面持ちで呼びに来たので、僕たちはその後について訓練場に向かう。訓練場は騎士学園のものを使うことになっているので、そこまでしばし歩くことになる。歩いていると、ボリスさんが呟く。
「これから話すことは俺の独り言だ。今回このようなことになってしまったことを五王家の一員として謝罪する。決闘という手段を使われたことがなかったから見落としていた。本来ならば競売が終了した時点で終わるはずだったんだ。だから……勝ってくれ、もし君が負ければこんなふざけた決闘が蔓延ることになりかねん」
五王家に対しての決闘は出来ないが、他の貴族家や有力な商人等に決闘を申し込んで奪い取るなんてことが横行してしまっては王国建国以前の腐敗した国に戻ってしまう。それを防ぐための五王家による統治が揺らいでしまう。理不尽がまかり通る国になってしまう。ボリスさんはそれを危惧している。
「正直に言えば、王国のことはどうでもいいんです。僕の大事な人たちを貶めるような行為を許せないだけです」
「間違いなく卑劣な手段をとってくるぞ?」
「それを打ち負かせばいいだけですから」
どんなことをしようにも、それを打ち負かせば問題ない。それにこちらとしても厄介な妨害の対策は出来ている。もしその対策が向こうに不利なものなら受け入れないだろうが、あくまで平等な条件として提示した。おかげで僕の提示した条件は問題なく受け入れられた。
騎士学園の校舎を通り抜け、大きなドーム状の建物の中に入れば、中央に石畳の敷かれた円形の闘技場のようなものがあり、周囲を観客席が取り囲んでいる。中央ではマクマード達が待っており、観客席は満員だ。そのほとんどが制服姿の生徒と派手な服を着た大人たち。おそらく大人たちはマクマードに関連する貴族なのだろう、一様に僕とエフィさんに厳しい視線を送っている。
「下賤な淫売の娘が正統王家に輿入れしようなど恥を知れ!」
「王国の面汚しが!」
心無い野次が飛び交う中、エフィさんは俯いて歯を食いしばって耐えていた。ヘルミーナさんが何とか支えてはいるが、顔色は決して良いとは言えない状況である。僕にとっては多少五月蠅いだけの野次だが、エフィさんにとっては心の傷を抉るような鋭さを持っている。
「エフィさん、もうすぐ終わりますから」
「はい……御武運を」
こんな状況にありながらも、僕に心配かけまいとありったけの笑顔で送り出してくれる。教会の得体の知れない聖女よりずっと彼女のほうが聖女らしいと思う。闘技場の中央に歩み出れば、ボリスさんが間に立って最終確認してくる。
「冒険者アルト、君の出した条件は『魔法を通さない結界で包む』ということだったな」
「はい」
「ではその条件に従い結界を張る。結界はルチアーノの名代としてエマ=ルチアーノ率いる魔法部隊によって作られる。では始められよ!」
ボリスさんの号令とともに闘技場がうっすらと光る魔力のヴェールに包まれる。これで魔法による外部からの妨害は無くなった。
これが僕の出した条件、こうすれば他者の魔法により僕を始末することは出来ない。エフィさんが巻き込まれる可能性も考えたが、マクマードがエフィさんの確保に拘ったということは生きて捕まえないと意味がないと考えた結果だ。他にも理由はあるが、その効果はきっと後でわかるだろう。
「では双方準備せよ」
「おい、入ってこい!」
マクマードがそう叫ぶと、完全武装した騎士が十名ほど、そしてローブを纏った魔法使いらしき男が一人入ってきた。一体何をするのかと見ていると、マクマードを護るように前に並ぶと一斉に抜剣した。こいつらは一体何なのだろうか?
「おい、部外者は退場しろ。これは王国法に基づいた公式な決闘だ」
「何を言っている、俺たちは提示した条件に抵触することはしていないぞ?」
「ふざけるな! 提示された条件では武器も金属鎧も禁止だろうが! そもそもこいつらは部外者だろう!」
「だから条件通りだろう? そこの冒険者には条件を守らせる、だが俺たちがそれを守るとは書いていなかっただろう?」
「そんなことが許されると思っているのか!」
「王国法によりお互いの条件を提示し、それを受け入れた。その時点で成立しているから問題ないんだよ!」
呆れて言葉が出なかった。本当にここまで強引に理不尽を押し通すとは思っていなかった。確かにあの書状には提示条件しか書かれていなかったが、まさかそのすべてを無視するつもりだったとは……
【アルト様、このような戦いは無意味です。決闘ではありません】
アオイの言葉にも怒りが感じられる。この状況を見て決闘だと理解できる者がどれだけいるだろうか。でも……
(この状況を打破できる方法はあるの?)
【アルト様!】
(確かにこんなのは決闘じゃない。でもここで退くことはできないよ。あんな理不尽なやり方に退いたら……きっとあいつらはつけあがる。何でもありが認められたら、何もかもが崩壊するよ)
確かにここで異議を申し立てればボリスさんたちが協議して決闘を延期するだろう。でも再びこんなくだらないやり方を繰り返してくるはずで、次はもっと狡猾に動いてくると思う。なら今ここで叩いておけば、もうこんな方法を取ろうなどと考えないだろう。そもそもこの圧倒的有利な状況で負ければ恥でしかない。
【敵性勢力は完全武装した騎士十名及び生徒五名、所持武器は剣、槍、大斧、魔法を使える者もいる模様。こちらは徒手空拳、非殺が条件。終了条件は敵性勢力全員の昏倒……以上の条件で検索します。……複数該当、さらに条件を限定して検索……アルト様、いくつかの未確定情報により検索結果が拒絶されました。あの魔法を使うらしき男の動向を伺う必要があります。体温の上昇、脈拍の増加等、身体的過負荷の兆候が見られます】
(それは……単なる殴り合いじゃないということ?)
【おそらく騎士たちは何かしらの罠を発動させるための時間稼ぎだと思われますが、魔法使いの所持品には特別なものは見受けられません】
(わかった、迂闊に動かないようにしよう。ただし、何か方法が見つかったらすぐに教えて)
【承知いたしました】
アオイが心配しているのはローブの男のみ。アオイの言葉が難しすぎて何を言っているのか詳しくはわからないが、おそらくあの男が通常よりも興奮しているのだろう。決闘なんだから高揚するのは当然だが、それを差し引いても異常だと思えるくらいに。
「……いいのか?」
「構いません。本当にここまでやるのかと少し呆れましたが、想定の範囲内です」
「いつまでもいい気になるなよ! 俺が手に入れた力を見るがいい!」
威勢のいい言葉とは裏腹に、肉の壁となった騎士たちの後ろに隠れるマクマード達。そして僕と対峙するのは魔法使いらしき男のみ。目は血走り口からは涎を垂らし、顔つきが次第に恍惚の色に染まっていく。明らかにどこかおかしい。
【アルト様、あの男の内部に正体不明のエネルギーを検知しました】
「正体不明って……」
アオイの警告に言葉を返そうとするも、それは叶わなかった。目の前の男の異常な行動に思考が停止してしまったからだ。男は突如ローブを引き裂き、貧相な肉体を誇示するかのように下着すら身に着けていない状態で立っていた。そしてさらに異様だったのは、全身に描き込まれた複雑怪奇な紋様。紋様は真っ赤に染まり、皮膚を焼く嫌な臭いが辺りに満ちる。
「まさか……こいつを犠牲に僕たちを焼き尽くすつもりなの?」
「ふん、これはまだ序の口だ! ここからが本番なんだよ!」
「え……何をするつもり……」
マクマード某がそう言うと、男の様子が一変した。恍惚の表情をさらに強めると、突如身体が大きくなった。いや、大きくなったのは間違いないが、それは尋常なものじゃなかった。まるで革袋に空気を吹き込んだかのように膨れ上がり、もはや元の顔がどんなだったかすらわからない。
と、突如男の身体が爆散した。周囲に血肉の欠片をまき散らし、さらには見守っていた騎士たちもまた同様に爆散する。マクマード達は最初の男の様子に腰を抜かしていたために被害を受けていないようだったが、これがあいつらの言う本番ということなのか?
「おい! 今すぐに止めろ! こんなものはもはや決闘ですらない!」
「こ、こんなことになるなんて知らなかった! ただ『強力な魔獣を喚ぶ』としか……」
「何だと! おい! 教師たちはすぐに生徒たちを避難させろ! もしかすると結界でも抑えきれん存在が出てくるかもしれん!」
あまりの異様な光景とマクマードの言葉から、ボリスさんが即座に生徒たちの避難を指示する。というのも、最初の男が爆散したあたりには未だ大きな熱量があり、消えるどころか次第に大きくなりはじめたからだ。明らかに何かしらの異変が起こる先触れで、それを察知したボリスさんの表情を見た教師たちが慌てて生徒たちを闘技場から避難させる。
生徒たちは最初こそ呆然としていたが、目の前で起こった衝撃的な出来事に、悲鳴を上げながら我先にと出口に殺到する。もはや決闘を見ようなどという考えの者はいないようで、それどころか一部の教師たちも生徒と一緒に逃げようとしている。
「君たちも早く!」
「私は……逃げません」
ボリスさんがエフィさんに声をかけると、彼女は両拳を固く握って震える声で応えた。
「アルト君は……私のために戦っているんです。その当事者である私が彼を置いて逃げることは許されません。私は彼の戦いを見届ける義務があります。たとえ何事かに巻き込まれてしまっても」
「だがこんな決闘は無効だ!」
「ですが……そうはさせてもらえないようですから」
エフィさんが震える指で指し示すのは、闘技場の中央で未だ残る熱量。それは次第に形となっていく。空中に小さな炎がいくつも浮かび、それが集まって大きくなる。大きくなった炎は次第に人の形をとりはじめ、ついにははっきりと確認できるほどになった。
言うならば全身に炎を纏わせた赤毛の少女。しかし炎に焼かれることはなく、むしろ自在に扱っているようだ。炎以外に身に纏うものはなく、浅黒い肌には一目で良くないものだとわかる禍々しい紋様が刻まれていた。少女はゆっくりと辺りを見回し、僕を視界に捉えると憤怒に満ちた表情を見せる。
遠巻きに見ているのに肌がちりちりと焼ける。それは炎によるものだけじゃない。少女の憎しみに満ちた目が、そこに宿った憤怒の感情が僕の肌を、心を焼いているんだ。一体何をどうすればここまで怒り狂えるのか、それを僕が知ることは出来ない。
「ボリス殿、彼女はいざとなれば私が脱出させます。ここは我らにお任せいただけませんか?」
「かの【宵闇】殿が言われるのであれば……エマ学園長はいかがなされるおつもりか?」
「ルチアーノ家が管理する学園での狼藉、責を預かる者として捨て置くことはできません。ここから先は剣による武ではなく、魔法による武の出番です。それよりもボリス殿、間違いなく外部に手引きしている者がいるはずです。教職員を含めた全員を集めて避難させるとともに、勝手に逃げ出す者がいないかの確認をお願いします」
「逃げ出す……うむ、心得た。学園長も気を付けられよ、あの少女からは尋常ではない気配を感じます」
エマ学園長の言葉に納得したボリスさんが闘技場の外へと駆けだしていく。ここに残っているのは僕とエフィさん、ヘルミーナさんといつの間にか現れたバーゼル先生、そしてエマ学園長とマクマード達だけだ。この状況を引き起こしたマクマード達は少女の放つ強大な圧力に負けて早々に失神している。まだ息があるみたいだが、それもいつまで無事でいられるかわからない。
「アルト君、勝ち目はあるのですか? 私の結界も長くは持ちませんよ」
「勝ち目……ですか」
学園長の言葉には、少女の力が想定を超えているという意味があった。結界が無くなれば少女はその熱量を解き放ち、瞬く間に全てを焼き尽くしてしまうだろう。だからそれまでに何とかしてもらいたいという希望もあるだろう。
アオイはこの状況を覆す方法を持っているだろうか。そう問いかけようとした時、不意に声がかけられた。だがそれは僕たちに向けてのものではなく、驚愕に満ちたものだった。
「イフリール……どうしてこんなところにいるニャ……」
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