12.前夜
競売が翌日に行われるため、不審に思われないように学園に戻ると宿泊所の部屋に見知った顔があった。
「アルト、どうして宿に来ないニャ! ずっと待ってたニャ!」
僕の顔を見るなりまくしたてるリタ。そう言えば宿に寄ってくれと言われていたのを忘れていた……訳ではないが、そのままギルドの依頼を請けてしまい、学園から出られなくなっていただけだが。それにしてもリタはどうやってここまで入り込んだのだろうか。門番はいるし、学園内はデッカー家の治安部隊が詰めかけているのに。
「ギルドの依頼でここから出られなかったんだよ、それよりどうやってここまで入り込んだの?」
「アタシにとってはこんな警備は無いに等しいニャ。アタシはこれでも魔将ニャ。アルトの匂いを追いかけてきたニャ」
リタは闇属性魔法の使い手で、それもかなりの腕前だということを忘れていた。匂いを辿られるなんて想像もしていなかったが、もしかして体臭がきつくなっているのか? 水浴びは毎日しているはずだが。
「それより街は大騒ぎニャ、正統王家が教会から聖女を娶るって話で持ち切りニャ。あんなアバズレをよく輿入れさせるニャ。正統王家もおしまいニャ」
「リタは聖女を知ってるの?」
「以前教会本部に潜入した時に見たニャ。年は十七だけど正体は貧民窟の犯罪集団を率いていた屑ニャ。強盗恐喝は朝飯前、平然と殺しもこなすし売春に美人局、果ては違法薬物までとやりたい放題ニャ。聖属性が使えるからって教会に引き抜かれたけど、やってることは変わってないニャ。綺麗な見た目を活かして教会の幹部を身体とクスリで誑し込んで、気に入らない幹部を暗殺してのし上がったニャ。でもどうしてアルトが聖女を気にするニャ? もしかしてあんな屑女が好みニャ?」
リタが僕を軽蔑したような目で見るが、僕は聖女の存在を話で聞いたことがあるだけで実物を見たことがない。そもそもこの話を五王家は知っているのだろうか。リタの技量から考えれば潜入していたという話は本当だろうし、これを五王家に伝えれば事態は好転するかもしれない。
「実は僕の友人が巻き込まれているんだ。それを何とかしなきゃいけないんだよ」
「……詳しい話を聞かせるニャ」
半ばからかうような目から一変して、鋭い目つきに変わったリタ。僕は先ほどまでの経緯を詳しくリタに説明した。
「たぶんアタシの話をしても事態は変わらないニャ。正統王家は聖女の肩書に完全に目が眩んでるニャ、そうなったら五王家の苦言なんて聞くはずないニャ。それに教会も王族に入り込むチャンスを狙っていたニャ、そのくらいの対処は出来てるはずニャ。きっとエフィはそのために狙われたニャ」
「どういうこと?」
「簡単な話ニャ、エフィと聖女はどちらも貧民窟出身、なら聖女の過去をエフィに擦り付けてしまえばいいニャ。競売で落札して、本部に連れていって始末するニャ。正統王家に入り込もうとした犯罪集団のボスを処刑したと発表すればそれでおしまいニャ、犯罪集団は皆教会に取り込まれているから過去の証拠なんて絶対に出てこないニャ」
「じゃあエフィさんは……」
「合法的に勝つしかないニャ。それを出来ないようにしているのが今回の騒ぎニャ」
そうか、やはり競売で勝つしかないのか。でもこちらには十分な資金があるし、明日堂々と落札すればそれで終わりだ。エフィさんは助かる。
「アルト、競売で勝ったら要注意ニャ。どんな手段を使ってくるかわからないニャ。きっと色々と難癖つけて反故にしようとするニャ」
「どうして? 合法的に落札したのに?」
「そのための手段として教会は貴族に手を貸してるニャ。主に融資としてだけど、貸した金を返せって言われたくない貴族は形振り構わずに来るはずニャ」
なるほど、もし僕がエフィさんを落札しても強引に奪い取りにくるかもしれないということか。そこまで無法がまかり通るのか、王国の王都というのは。
「まさかそこまでやれば五王家も動くニャ。でも教会は知らぬ存ぜぬで押し通るはずニャ、正統王家は聖女欲しさに教会を擁護するのは目に見えてるニャ」
考えれば考えるほど教会が狡猾に動いているのがわかる。実際に行動した貴族は切り捨てられる、でもそれが分かっていても借金の返済を迫られるために動かざるを得ない、もし行動してうまくいけば追加融資やこれまでの借金が棒引きにされるかもしれないという僅かな可能性のために動く……でも教会には何の被害も及ばない。
でも僕に出来ることは競売に参加して落札することのみ、その後の相手の動きが読めない以上それに専念するしかない。
「アルト、どうしてもエフィを助けるニャ?」
「うん、エフィさんは友人だし、僕の境遇を理解してくれた。きっと彼女も僕とは違う苦しさを経験してるんだと思う。そんな人を放っておけないよ」
僕には先生がいて、オルディアがいて、そしてアオイもいる。でも今エフィさんは唯一の理解者のヘルミーナさんからも引き離されて孤独と戦っている。そして自分を待ち受ける結末がどう転んでも悪いものしかないという現実に苦しんでいるはず。そんなのはあまりにも悲しすぎる。
今僕には彼女を救えるかもしれない手札がある。ならそれを切らなくてどうする? リカルド氏もエマ学園長もエフィさんを助けたくない訳じゃない。責任ある立場というものが動きを束縛しているので、唯一の可能性である僕に賭けた。マクマードは、そして教会は賭けとは考えていないだろう、今の状況を考えれば負ける要素など無いのだから。
だが賭けには絶対というものはない。あいつらの自信に穴をあけるとすれば、行動を起こしたときに僕が学園にいたという偶然。もしその偶然が小さな綻びだとしたら、それを大きくするのも塞いでしまうのも僕次第。なら選ぶ道は決まっている、こんな理不尽を許すつもりなど無い。
「アルト、どうしてもやるなら手を貸すニャ?」
「そうするとリタまで影響が及ぶよ?」
「アタシはそもそも冒険者は仮の姿ニャ。そんなのどうとでもなるニャ」
「有難いけど遠慮しておくよ。いきなりリタが現れたら相手も警戒するだろうし、できれば油断してるうちに決着をつけたいから」
「……わかったニャ。くれぐれも注意するニャ」
そう言い残すと窓から身を躍らせるリタ。誰かに見つかるかと心配して慌てて外を見ればもうその姿は見えない。流石魔将といったところだろう。
リタの申し出はとても有難かったが、警戒されて競売に影響が出るかもしれないので遠慮させてもらった。今は向こうの手の上で踊っているように見せておいたほうがいい。反撃の一手は敵が油断している時に放つのが最も効果的だ、勝利を確信したその時に放つことで一気にこちらの流れに持っていく。そのためにはタイミングを誤る訳にはいかない。
やがて夜も更け、窓からは中庭を占拠するデッカー家の治安部隊の焚く篝火とその光に照らされる鎧の輝きが見える。無残に踏み荒らされた中庭の惨状がとても印象に残った。エフィさんは今どんな様子だろうか、まだ諦めないでいてくれているだろうか、もしかすると全てに絶望してしまっただろうか。この中庭のように、心がずたずたに引き裂かれてしまっただろうか。
全ては明日決まる。そのための手札は揃えてある。あとは手札を切るタイミングだけだ。そんな僕の決意に応えるように夜空の端が白みを帯び始めた。
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