9.異変
学園での講義は四日目に入ったが、マクマード某は全く動きを見せなかった。どうやら学園にも顔を出していないようで、取り巻き共々全く姿を見なかった。何を考えているのか不気味だったので、クレアさんと共にエマ学園長に報告はしておいた。
「おそらく家の力を使うつもりだと思いますが、マクマード家にガルシアーノと敵対するだけの力は無いはずです。ただ教会の動向が気になるところですので、ルチアーノの方で探りを入れておきます」
とのことだったので、ルチアーノが手を回して動きを止めているのかもしれない。エフィさんにはお役目を果たすという大きな仕事がある。それを妨害するような愚行は五王家が許さないはずだ。たとえ教会が裏にいたとしても、五王家が決めたものを覆せるとは思えない。そんなことを考えながら講義を進めていると、講義も中盤に入った頃に異変が起こった。
「エフィ=ガルシアーノ、至急講堂まで来なさい」
「講堂ですか? 今は授業中ですが」
「口ごたえは許しません。早くしなさい!」
老齢の教員が授業中にも関わらずエフィさんを呼びにきたが、この四日間で一度も顔を合わせたことのない教員だった。教員用のローブを着ているので教員なのは間違いないのだろうが。だが何故講堂なのだろうか? 何か問題が起こったのなら学園長室に向かうのが通常だと思うのだが、ここでは違うのだろうか。エフィさんも疑問に思ったのか、教員に確認するがかなりの剣幕でまくしたてて話を聞こうとしない。
「わかりました、すみませんが退室します」
一礼して教員の後について行くエフィさん。突然のことに教室内がざわつきだすが、正直なところそれを止める気にもならなかった。先日マクマード某が言い残した言葉が心の奥に引っかかっていたからだ。
『もうすぐ俺のモノになる』
だがガルシアーノの身内にそのような真似が出来るとは思えない。ならばどうしてエフィさんを呼びだす必要がある? 色々と考えていると、教室の扉が勢いよく開かれてクレアさんが駆け込んできた。
「アルト君! まずいことになった! エフィ嬢は!?」
「今しがた教員に呼び出されて講堂に行きましたけど……」
「しまった! 出遅れた!」
「何が起こったんですか?」
クレアさんの様子から見ても尋常ではないことが起こっていることは確かだろう。しかも戦闘能力の高い彼女がここまで焦るということは、力押しでは解決できない何かが。
「ガルシアーノ家がエフィ嬢を絶縁した! もう彼女にはガルシアーノの威光はないのよ!」
クレアさんの言葉はエフィさんの身に危険が迫っていることを証明するものだった。
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「エマ学園長はどうしたんですか!」
「騎士学園に行ってるわ! まさかこんな手で仕掛けてくるとは思っていなかったのよ!」
「まさかマクマードが!?」
「騎士学園の教員がマクマードから賄賂を貰っていたらしいの! たぶんエフィ嬢を連れて行った奴がそうだと思う! でもそれだけじゃないのよ! 教会が聖女を輿入れにねじ込んできたのよ!」
教室を飛び出した僕たちは講堂に向かって走る。そもそも何故講堂なのか、それが全くわからない。だが講堂に行けば全てわかることだ。講堂は校舎から中庭を挟んだ場所にあるが、中庭に出た途端に異様な光景が広がっていた。
緑の芝と色鮮やかな花で彩られていた中庭には完全武装した騎士たちが闊歩し、中庭は無残にも踏み荒らされている。講堂の入口は騎士たちが幾重にも隊列を組んで誰も入れないようにしている。エマ学園長が何とか中に入ろうとしているが、騎士たちは全く取り合おうとしない。
「ちょっと待って、アレは……デッカー家の紋章じゃないの! どうしてデッカーが出てくるのよ、犯罪者がいるってワケじゃないでしょ!」
「は、犯罪者?」
クレアさんの言うことの意味がわからない。エフィさんが講堂に連れていかれて、その講堂をデッカー家の騎士が取り囲んでいる。しかしエマ学園長の様子を見ると、エフィさんを連れて行った教員を捕縛するためにこの騎士たちが来ているとも考えにくい。もし本当にあの教員が犯罪者なら、生徒を保護する立場であり、尚且つ腕も立つエマ学園長を止める意味はないはずだ。
やがてエマ学園長は中に入るのを諦めたのか、肩を落として僕たちの方へとやってきた。固く握られた拳からはうっすらと血が流れている。
「まさか教会があんな手段に出るとは思いませんでした。後手に回ってしまいました」
「エマ、どんな状況なの? エフィ嬢は無事なの?」
「ええ、今は無事です。ですがそれも今だけです」
「詳しい話、聞かせてもらえる?」
エマ学園長は無言で頷くと、僕たちを連れて学園長室へと向かった。学園長室に入ると、大きな書架の裏側に作られた小部屋へと案内された。
「ここは魔法を阻害する術式が組み込まれています。ここなら会話を聞かれることはないでしょう」
そして部屋の外に誰もいないことを確認すると、エマ学園長は静かに語りだした。
ガルシアーノはエフィの輿入れの準備を粛々と進めていた。継承位は八位、通常ならばまず王位が回ってくることはない王族への輿入れのため、教会の横やりも一時的な嫌がらせのようなものだと考えていた。だがそこで誤算が生じる。
教会は今回のエフィの輿入れを非常に危険視していたらしい。その真意まではわからないが、そのために用意したのが教会認定の聖女だった。正統王家にとってはただの聖属性持ちよりも教会の後押しする聖女のほうが威光を示すには都合がいいと判断し、エフィの輿入れを破談にした。
だがそこで問題は終結しなかった。教会の後押しを受けたマクマード伯爵が異議を唱えだした。教会はエフィの出自を調べ上げており、エフィの母親が貧民街の娼館で働いていたこと、そしてエフィが貧民窟で生まれ育ったことをを掴んでいた。
そしてマクマード伯爵は正統王家に申し出る。ガルシアーノは高貴なる正統王家の血に貧民窟の娼婦の血を混ぜるつもりなのか、と。これを聞いて正統王家は激怒した。五王家ぐるみで正統王家の血を穢すつもりなのか、と。もしこのままいけば正統王家が教会に鞍替えしかねないと判断した五王家はエフィをガルシアーノから絶縁し、教会からの聖女の輿入れを認めることで問題を解決しようとした。
しかし問題はまだ続く。教会はエフィが今回のことを企んだと糾弾し、マクマード家もそれに乗った。教会の要求はエフィを王家への侮辱罪とし、賠償金を正統王家に納付することで不問とするということ。そして賠償金は競売によって決められると……つまりエフィを身売りさせて賠償金を出させようとした。
「何なんですか、それは……誰も反対しなかったんですか?」
「押し通せば教会の反発が大きくなると判断したのです。ですがこれでもかなりの譲歩を引き出しました。当初の教会の要望はエフィ嬢の即時引き渡しでしたから」
「どうして教会が引き渡しを?」
「聖属性の地位を貶めたことへの処罰を行うということでした。ですがそれは明らかな越権行為、なので賠償金を支払うということになったのです」
エフィさんは自分の自由を捨ててガルシアーノの、そして五王家のために輿入れに同意した。にもかかわらず五王家は彼女を切り捨てた。王国の存続のためには教会と表立って事を構えることができないとはいえ、あまりにも冷たい仕打ちではないのか?
そしてあの時のマクマード某の捨て台詞がこのことだったのかと理解した。マクマードは教会からの情報で動いていた。エフィさんを侮辱罪に処すことも、賠償金が競売で決められることも。
「競売が行われるのは……学園の講堂ですね?」
「はい、デッカー家の仕切りによって明日執り行われます。王国法により競売の落札金はその場で即支払うことが前提となります」
「アルト君はどうして競売が講堂で行われることを知ってるワケ?」
クレアさんが訊いてくるが、それはあのマクマード某の言葉とマクマードから賄賂を受けていた教員がエフィさんを講堂に連れていったことから容易に想像できる。マクマードと教会は元々即時引き渡しなんて考えていなかった、むしろ競売でエフィさんを合法的に落札することが目的だったと。教会がそこまでエフィさんに拘るのかはわからないが、落札できる自信があるのだろう。
「でもさ、そうなると落札者が誰になるのかわからないんじゃない?」
「いえ、わかりますよ。今回の競売に五王家は参加しません。参加することで絶縁が虚偽だったと疑われかねないからです」
「それじゃマクマードの独り勝ちじゃない! どんな端金で落札されるかわからないわよ!」
「ただし……今回の競売は自由参加です。五王家以外の者が参加することは禁じていません」
自由参加できるとはいえ、だれが伯爵家と事を構えようなんて考えるだろうか。結果としてマクマードはエフィさんを手に入れ、教会は王族へと入り込む。王国がどうなろうと知ったことではないが、見知ったエフィさんが理不尽に売られることは見過ごせない。怒りに身体を震わせる僕に向かってエマ学園長が一枚の羊皮紙を手渡してきた。
「これは王国法により定められた、犯罪者の競売の参加証です。相手が合法的にエフィ嬢を手に入れようとしているのなら、この参加証を持つ者を排除することはできません。それと……アルト君、これからガルシアーノの本家へ行ってください」
競売への参加証、そしてガルシアーノの本家へと向かえ……何を考えているのだろうか。まさか乱入してエフィさんを強奪しろとでも言うのだろうか? 考えを巡らせる僕に対し、エマ学園長はさらに言葉を続けた。
「アルト君、リカルド氏が貴方に話があるそうです」
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