7.再会
外では小鳥たちが囀りをはじめ、日の出が近いことを教えてくれる。結局昨夜はほとんど眠ることができなかった。それはクレアさんが教えてくれたことが原因だ。
エフィさんがこの学園に通っているということにも驚いたが、彼女が正統王家に輿入れするということが大きかった。ロッカで祭りに参加したときの楽しそうな顔が思い出され、果たして彼女は望んでお役目を受け入れているのかとさえ思った。
だが僕の考えはあくまで自由気ままな冒険者という立場だからであり、ガルシアーノの養女という立場の彼女が持ってはいけない感情なのだろう。貴族の子女は自由に結婚相手を決めることはできず、家の思惑により決められる。それが五王家ともなればしがらみはより多く、さらに聖属性の持ち主となれば養女になった時点でこの未来も受け入れなければならない。元々自由など無かったからこそ、あの祭りで限られた自由を満喫していたのだろう。
「……仕方ないことだとわかってても、スッキリしない」
彼女の笑顔を思い出すと、心の中にもやっとしたものが生まれる。上手く言い表すことが出来ないが、心の奥底に小さな棘が刺さったような感じがする。この気持ちはいずれ収まるのだろうか。
「アルト君、そろそろ時間ですよ」
エマ学園長の声に部屋を出れば、くすんだ紺色のローブを手に立っていた。教会絡みの貴族の対応で眠っていないのか、目の下にはっきりと隈が浮かんでいる。
「これは教員専用のローブです。これを着ていれば生徒も迂闊に絡んでくることは無いとは思いますが……」
「絶対じゃないんですね」
「おそらく絡んで来る生徒は薬草学を選ばないと思いますので」
それでいいのかと思ったが、そういう連中は大概教会の息のかかった貴族家であり、教会から聖属性の使い手を融通されているそうだ。それに五王家としても基礎的な知識の重要性を疎ましく思うような連中は相手にするつもりもないらしい。厳しい対応と思われるかもしれないが、教会による裏工作への対応で精いっぱいなのだろう。
「ここがあなたの講義の教室です。くれぐれも大きな問題は起こさないでください」
「向こうが先に手を出したのなら相手しますよ?」
「……大きな問題は起こさないでください」
同じことを二度言われた。そこまで信頼されていないのかと少々気落ちしたが、エマ学園長は『大きな問題』と言っていた。ということはちょっとなら反撃してもいいということだろう。そもそも貴族だからとて王立学園の教員を傷つけていいということはない。
「オルディアは大人しく昼寝しててね」
『わかったー』
オルディアを連れて扉を開ければ、そこは横長の机が十台ほど置いてある部屋だった。前方には大きな黒い板が掛けられており、そこに白い顔料を固めたもので書いていくらしい。まだ講義開始には時間があるらしく、生徒は誰も来ていない。
「あと数分で始まりますから、ここで待機してください。始業と終業の際は鐘が鳴りますのでそれに従ってください」
そう言い残してエマ学園長は出て行った。黒い板の前に置かれた卓には一人掛けの椅子が置いてあり、生徒が入ってくるまでそこに座って待つことにした。オルディアはその横で伏せの状態で待っている。見知らぬ生徒が来たら過剰に反応するかもしれないので、今のうちに身体を撫でてご機嫌をとっておく。嬉しそうに尻尾を振るオルディアの毛並みを堪能していると、廊下から生徒たちと思われる声がした。他人に物を教えるのは初めてだが、先生がかつて僕に教えてくれたみたいに、丁寧に説明していこう。
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「では私はここで。授業が終わる頃に参ります」
「ええ、ありがとうヘルミーナ」
ヘルミーナと別れて独り廊下を歩くエフィ。王立学園は侍従の付き添いは認めているが、授業においての付き添いは認めていない。それは生徒の自立心を養うという点もあるが、侍従による教員への圧力を防ぐためでもある。予習をしていけばいいだけなのだが、指名されて答えられないことを辱めと勘違いして刃傷沙汰になりかけた前例があるためだ。
「薬草学……基礎中の基礎だけど、これを知っておけばいざという時に役立つわ」
エフィは砕けた口調で一人呟く。生まれが庶民のため、貴族相手の口調に未だ慣れない彼女は独りになった時のみ口調を戻している。幸いにも薬草学というマイナーな講義を受けようとする生徒は少なく、廊下には生徒の姿はまばらにしか確認できない。
「そろそろお呼びがかかる頃かもしれないし……出来るだけ学んでおかないと……」
お呼びがかかる、というのは輿入れが決まるということ。相手は正統王家の王位継承第八位、現王の弟の次男だという。エフィは顔を見たことすらない相手であり、現状はどう転んでも王になることはない相手である。だがそれでも正統王家に余計な異物を入り込ませないためにも必要なお役目である。
もっと自由に暮らしたい、しがらみに囚われずに生きていきたい、何度そう思ったことかわからない。しかし彼女は決めたのだ、今自分に出来ることがあるのなら、無力な自分が役立つことがあるのならそれを行うべきだ、と。その発端は自分を救ってくれた一人の年若い冒険者、属性を持たぬが故に貴族としての存在を家族に疎まれ、殺されそうになったことで自由な冒険者として生きることを決めた少年。
自分も彼のようになれるかと問われれば、それはあり得ないだろうと彼女は思う。彼の持つ力は比類なきもので、聖属性という稀有な属性を持ちながら伸び悩んでいる自分とは別の世界の存在のようにすら思えるのだ。そんな彼に救われながら、彼の持つ未知の力に恐怖を感じ、拒絶してしまった。エフィの脳裏に焼き付いた彼の寂しげな笑みが未だ消えることはない。
白い大きな犬を連れた冒険者、そんな特徴を持つ冒険者がそう多く存在するとは思えない。だが彼が王都にいる理由が分からない。確実にその力を狙われるであろう王都にわざわざ危険を冒してまで来るだろうか。でも……
「もう一度逢えたら……」
そんな思いが強まってしまうが、不意に数人の女生徒が目的の教室から走ってくる姿が見えて居住まいを正す。女生徒たちはエフィの前で立ち止まると、息を切らせながらも弾んだ声で言った。
「エフィ様! 薬草学の教室に犬がいます! ふわふわでとても可愛らしいです!」
「担当講師は冒険者の少年です!」
「本当ですか!?」
エフィの脳裏にはっきりと彼の姿が思い浮かぶ。彼女が知る限り、そのような特徴を持つ冒険者は一人しかいない。歩く速度が無意識に速くなる。心が弾んでゆくのがはっきりと自覚できる。ガルシアーノの者としてはしたないと言われるかもしれないが、エフィは自分を抑えることが出来なかった。
「失礼します!」
扉を開ければあの時と変わらぬ少年の姿。いきなり現れたエフィの姿に戸惑いを隠せない様子だが、そんな仕草すらあの時のままだ。大きな白い犬とともに女生徒たちの興味の的となっていた。
「エ、エフィさん?」
「はい、エフィです。お久しぶりです、アルト君!」
ロッカを救った英雄、そしてエフィの命を二度も救った彼女にとっての英雄でもある冒険者の少年は、やや戸惑いながらもあの時と同じ笑顔を見せた。
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