5.昼食時
王立学園には午前と午後の授業がある。そして午前の授業を終えた生徒たちの多くは昼食をとるために食堂へと集まる。一部の高位貴族は多くの侍従を侍らせ、空き教室を使って優雅なランチを愉しんでいる。しかしそれはあくまで派閥争いに勤しむ貴族の子息に限ったことであり、真剣に勉学に勤しむ生徒たちは侍従を付けずに、あるいは付けても年の近い侍従を生徒として入学させている。そんな彼らは学園の規則にならい、食堂でのランチを愉しんでいる。
本来なら多数の侍従を入らせることも、自由にランチをとることも学園の規則で禁止されている。学園のある場所は王城からそう離れておらず、万が一に侍従に身分を偽った間者が入り込むかわからないからである。一応学園としても侍従それぞれに身分保証をつけることを義務とし、最低限のことはしているらしがそれが正常に機能しているかどうかは怪しい。
食堂へと急ぐ生徒たちの中、落ち着いた足取りで歩く淡いブルーの髪の女生徒と付き従うメイドの姿がある。周囲の生徒は一様に距離を取ってはいるが、その視線は忌避というよりも憧憬に近い感情が含まれている。その視線は明らかに上位の者へと向ける類のものであり、畏敬に近いものも含まれていた。
女生徒の名はエフィ=ガルシアーノ、五王家の一つ、ガルシアーノ家の養女である。エフィは午前の授業を終え、護衛兼侍従のヘルミーナと共に食堂へと向かっていた。元々華美な行動を好まないエフィは皆と同じく食堂を利用しており、身分が高いにも関わらず皆と同じように暮らす彼女は男女問わず人気があった。
「何かしら? 食堂が騒がしいみたい」
「お嬢様、確認してまいります。ここでお待ちください」
食堂の入口は多くの生徒で混雑していた。食事時は生徒が集まるので混雑することは珍しくないが、今日はいつにも増して人が多かった。その原因を突き止めるべくヘルミーナが人混みを器用にすり抜けながら食堂へと入ってゆく。もしこれが何らかの襲撃の類であれば即座に避難しなければならない。だが戻ってきたヘルミーナの顔にはどこか晴れやかな表情だった。
「お嬢様、マクマード家の者がいつものように弱い者いじめをしようとして手痛い反撃を受けたようです」
「マクマード?」
「はい、いつもお嬢様に言い寄っていたあの男です。どうやら臨時講師として雇われた冒険者に因縁をつけて従魔を奪おうとしたようですが、全員窓から放り投げられたらしいです」
「冒険者が? あの男を軽くあしらうなんてかなりの実力者ですね」
マクマードと言えば王立騎士学園でも常に実技で上位に入る腕前だ。もちろんそれは生徒たちのみの順位なので実際に相応の強さがあるとは限らないが、かといって弱いと断定できるものでもない。少なくとも一般兵士よりは強いはずである。それを軽くあしらうということは間違いなく実戦で鍛えられた強い冒険者だ。
「クレア女史が実技講師として来ているのは知っていましたが、彼女は従魔を連れていませんし……」
「従魔……すみません! ここにいた冒険者というのはどんな方ですか?」
「あ? うるさいな、今それどころじゃ……エ、エフィ様?」
ヘルミーナの言葉に何かを感じ取ったエフィは付近にいる生徒に声をかける。突然声をかけられた男子生徒はその声の主がエフィであることを知り、慌てて返事をする。顔が赤くなっているので、その生徒が慌てているのはガルシアーノの家柄だけが原因ではないだろう。
「あ、あの……白い犬を連れた冒険者がマクマードに因縁を付けられたらしくて……でも熊みたいな男が乱入してマクマード達を放り出したって……」
「白い犬? 熊みたいな男?」
「そ、それが……マクマード達を放り投げるとその男は消えてしまったらしくて……」
「男が……消える?」
普通に考えればそんなことあり得ないと一笑に付すところだろう。だがエフィは知っている。今まで見たことも無いような存在を喚び出すことが出来る冒険者のことを。白い犬(本当はオルトロスだが)を連れた冒険者のことを。
「まさか……彼は辺境にいるはず……」
彼は辺境の冒険者であり、温室のような王立学園で育った生徒では歯が立たないだろう。エフィが彼と知り合った時、巨大な魚の魔物から街を護った。その魔物の恐ろしさは今でも思い出せば身体が震えるほどであるが、そんな魔物を彼は不思議な術で撃破したのだ。属性の素養を持たない、ある意味稀有な存在の冒険者。彼にとっては学園の生徒などどれだけ束になってかかっても負けることなどないだろう。
「白い犬を連れた冒険者……そんな存在はありふれているのでしょうか?」
「そこまではわかりませんが……噂が独り歩きすれば、彼を騙った者も出てくるでしょうが……」
ヘルミーナの言葉に考え込むエフィ。彼女は王都に戻ってすぐに学園に入学したため、アルトがどのような旅をしていたのかを知らない。叔父であるリカルドはアルトの存在は把握していたが、エフィにどんな余波が及ぶかわからないのでアルトがルーインを王都まで護送することは報せていなかったのだ。
「でも……会いたいです。今ならあの時のことをきちんと謝れます。そして今の私を見てもらうんです」
「その為には勉学に勤しみませんといけません」
「ええ、その為に明日の薬草学の講義も受けておかないと」
「何故薬草学を? お嬢様には聖属性魔法があります」
「魔力が無くなれば聖属性魔法は使えません。ですが薬草の知識があれば助けられる人がいるかもしれません。それに薬草はポーションの原料です、ポーションの生成も聖属性魔法の役割ですから」
エフィは自分の役目のために聖属性魔法に磨きをかける道を選んだ。だがそれを失えば唯の少女でしかない。何時如何なる時も対処できるようにと彼女が考えたのが薬草学である。
「お嬢様……お役目のこと、拒否しても良かったのでは? リカルド様も強要するつもりはありませんでした」
「でも誰かがやらなければいけないのよ? もしここで私が拒否すれば、五王家の存在そのものが危うくなります。だから……」
そこまで言って言葉を詰まらせるエフィ。五王家の陰ながらの尽力があるからこそ、今の正統王家があるということを理解している。自分がやらなければいけないということも理解できる。もしこの学園に子息を通わせている貴族たちが五王家にとって代わるようなことになれば、王国そのものが崩壊しかねない。そしてその影響は確実に国民に及ぶ。
「だから……何としてもお役目だけはやり遂げないといけないのよ」
「……わかりました、このヘルミーナ、この命が続く限りお嬢様にお仕えいたします」
「ありがとう」
ヘルミーナの言葉に満足気に頷くエフィ。今のエフィはガルシアーノの養女のエフィ=ガルシアーノである。かつてのエフィではない。その双肩にかかる重責がどれほどのものかを理解している者はほんの一握り、この学園にも僅かしかいない。だからこそ下心丸出しで近づいてくる貴族の子息に関わっている場合ではないのだ。
「でも一体誰なんでしょうか? マクマードを懲らしめてくれたのはとてもありがたいです。感謝の言葉を贈りたいくらいです」
マクマードもエフィに言い寄る一人だった。少なからず鬱陶しく思っていたエフィにとって、マクマードが痛い目に遭ったということは僅かながらも溜飲が下がったのも事実。彼女の心の平穏に一役買った冒険者に心の中で礼を述べると、午後の授業に備えるために食堂に入っていった。
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