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召喚士は今日も喚ぶ ―僕だけが読める謎の本―  作者: 黒六
9章 初めての王都編
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8.赤い空

 第二の街の空に夕焼けの赤色が滲み始めた頃、人目を避けるように路地裏を歩く一人の男。その身なりは路地裏を好んで歩くような類のものではなく、誰が見ても仕立てが良いとわかるものだった。決して庶民が気軽に着用できるものではなく、それだけでこの男が高い身分であることが伺える。


「くそ! 今仕掛けなければマリガン家は確実に終わる! どうしてこんなことに!」


 悪態をつきながら歩くその男は王都に居を構えるマリガン家の者。侯爵位という家柄は決して低いものではなく、生活に不自由することはない。ただし、この国でなければの話だが。この国においては正統王家に次ぐのは五王家、しかし彼らは貴族ではない。貴族ではない故に貴族としての古くからの慣習に従うことなく、正統王家を支える柱として存在しており、その統治方法に賛同する貴族家も多い。だが古参の貴族家であるマリガン家はそれが気に入らなかった。


 正統王家に関わるのは貴族であるべき、という一種の選民思想にも似た考えを持つ彼らは、必死にこの国の未来を懸念していた。ただそのうち国民のことは三割にも満たなかったが。


「どうして侯爵家の俺があんな連中より下に見られなければならないんだ! 貴族が権利を主張するのは当然! 教会の連中もそう言ってる!」


 苛立ちを隠さずに己の心中を吐き出す男。しかし男は気付かない、何故自分が【貴族としての義務】を果たすことなく他者より恵まれた平穏無事な生活を続けられているのかを。

 五王家は正統王家を護る盾であり、害意ある外敵を斬り捨てる剣でもある。しかしそこに見返りなど求めていない。見返りを求めれば盾は紙同然に脆くなり、剣は瞬時に鈍らと化すからだ。正統王家を存続させるための滅私奉公をすることで、政治は清廉を保ち続けているのだが、一部の勢力はそれを快く思っていない。マリガン家もそのうちの一つである。


 この男は魔法の才能を買われてエフィ暗殺の指揮を任されていたのだが、その悉くが失敗に終わる。それが一人の冒険者によるものだと分かると、高い報酬を払ってルーインを差し向けた。エフィは既に王都に戻ってきており、厳重な警備により護られていたため、目的は暗殺を防いだ冒険者の確保と掴まった暗殺者の始末へと変わった。だが肝心のルーインすら捕縛され、さらに送り込んだ刺客も皆返り討ち。さらにルーインが生きて掴まったことで自分たちの関与が明るみに出てしまった。


「このままではガルシアーノの精鋭が攻め込んでくる……ここでやるしかないか……」


 ガルシアーノは五王家の中で最も戦力が高いと言われている。一侯爵家の私兵では勝負にすらならないのは明らかであり、狙うならばルーインと共にいる今しかない。このチャンスも今回支援してくれた貴族家が根回ししたことで生まれたもの、これをしくじればマリガン家は確実にすべてを失う。


「……あいつがくれた薬を使ってみるか……確か説明書が……なんだこれは! 全く読めない!」


 男は先ほどネルヴァから渡された二つの小瓶をポケットから取り出すと、共に渡された説明書を一読するが全く読むことができなかった。実は説明書は魔族の使う言語で書かれており、男が読めないのは当然なのだが焦る男はそんなことにも気が付かない。


「かまわん、二本飲んでしまえ。空を飛ぶ魔法に岩を作り出す魔法……これなら上空から攻撃できるはず。優位に立てる!」


 男はそう言って小瓶の蓋を開けて一気に飲み干した。空の小瓶を投げ捨てて自分の身体を調べるが特段変わったところは見られない。すると男の顔が見る見るうちに怒りの色に染まる。


「あの女騙しやがったな! 何も起こらない……ぐっ!?」


 男は突然蹲る。その顔には苦悶の色がはっきりと浮かび、その体は別の生き物が体内にいるかのように不規則に波打っている。男の背中がより大きく波打ち、衣服を破って何かが姿を現す。それは翼、蝙蝠のようにも見えるいびつな翼が男の背中から生えていた。男の変化はそれだけではない。全身の筋肉が異様なまでに盛り上がり、膨張した身体に耐えきれずに衣服が張り裂けるとそこから見える肌は既に人のものではなくなっていた。薄汚い獣毛に覆われた体、その口からは巨大な牙が覗き、頭部からはねじくれた角が伸びている。


『力が……漲るぞ……これならガルシアーノどころか五王家全てを相手に出来る!』


 もはやまともな思考も出来なくなっているのか、自分の身体が異形へとなり果てたにも関わらず、男はそれに違和感を抱くようなことはなかった。自分の新たな力を確かめるように翼を数回はためかせると、その体は宙に舞う。己の身体の変貌よりも新たな力を得た喜びが上回る男はかろうじて人としての面影を残す顔に歓喜の色を浮かべて叫ぶ。


『待っていろガルシアーノ! 嬲り殺しにしてくれる!』


 叫ぶと同時に空高く舞い上がる男は上空からある一点を見据える。それは王都に似つかわしくない武骨な砦のような建物、支援者の根回しにより今そこにはガルシアーノ家の当主がいるはずである。男はその顔に嗜虐的な笑みを浮かべると赤く染まりつつある空を駆けていった。



**********



「ん? あれ何だろ?」


 夕焼け空にぽつんと生まれた黒い染み、最初は芥子粒ほどの大きさだったそれは次第にその領域を増やしていく。普通の護衛ならばそれに気づくことは無かっただろう、だが警備にクレアがいたことが幸いした。クレアは自身が飛行という稀有な魔法を使うため、自然と上空に意識を向ける癖がついていたのだ。だがそんなクレアの表情が曇る。


「鳥……にしては形が変よね、人……人って翼あったっけ?」


 次第に黒い染みが大きくなるにつれてその輪郭がはっきりしてくる。だがその輪郭は百戦錬磨のクレアをしても自身の記憶にないものだった。だが彼女にとってそれは既にどうでも良くなっていた、その黒い染みが輪郭をはっきりさせるとほぼ同じくして、猛烈な殺気を放ち魔力を高め始めたからだ。


「どう見ても友好的って態度じゃないわね、なるほど、敵襲ってワケね……理解理解。周囲の待機兵に伝令! 上空から敵襲! 数は一! 魔法隊は迎撃に専念! 地上部隊は防御に専念して! 理解?」

「「「 はい! 」」」

「私は迎撃に出る! お師匠たちに連絡よろしく! 理解?」


 黒い染みはその全貌を露わにした。獣が蝙蝠の翼を生やしたような異形めがけて周囲の建物から一斉に魔法が放たれる。火、水、氷といった直接ダメージを与える魔法が赤く染まる空に煌めくが、異形は口元に歪な笑みを浮かべてその場にとどまっている。そして魔法が直撃すると思われたその時、異形が声を発した。


『雑魚どもが! そんなものが効くか!』


 異形が毛むくじゃらの腕を一振りすると、その魔力のうねりにより魔法のすべてが霧散する。異形の魔力が予想以上に高いと判断したクレアは即座に指示を送る。


「敵の魔力が高い! 魔法隊は防御中心に! あいつは私が仕留める! 理解?」

『ガルシアーノの犬か! 面白い!』


 クレアが風を纏い、赤く染まった空へと舞い上がる。相対するのは見たことの無い異形、しかしガルシアーノの名を知っているということは誰かに操られた使役魔獣ではないかと予想したクレアではあったが、その考えは異形が次に発した言葉ですべて覆された。


『マリガン家の為に皆死んでもらうぞ』

「マリガン!?」


 ガルシアーノの護衛である以上、五王家に不満を持つ勢力は大概記憶しているクレアが驚きの声を上げる。よく見れば異形には現在行方不明になっているマリガン家の次男の面影があるが、それが本人かと言われても簡単に信じることができない。マリガン家の次男は魔法に長けるという情報は確かに上がってきているが、己の身体を異形に変化させる魔法などクレアの知識には存在していない。そのために生じたほんの一瞬の隙を異形が見逃すはずが無かった。


『死ね!』

「え?……きゃあっ!」


 異形の傍に突如巨岩が現れる。岩を生成する魔法は土属性魔法に存在するが、異形は土属性の魔力を高めた様子は見受けられなかった。あたかも強力な魔物が使う特殊能力のように、属性を感じさせずに生成された巨岩はクレアに直撃する。風の結界のおかげで致命傷こそ免れたクレアだったが、かといってそのまま戦闘を続行できるほどの軽傷でもない。かろうじて大地への激突は回避したが、降り立ったクレアは立ち上がるだけで精一杯だった。


「……こんなところで終わるワケね……理解理解……」

『……今すぐトドメをくれてやろう』


 異形は先ほどよりもさらに巨大な岩を生成する。その大きさは今のクレアがどれほど死力を振り絞ったところで到底避けられるものではなかった。風魔法の結界で防ぐことも考えたが、おそらく途中で魔力が尽きて圧し潰されてしまうだろう。そう考えたクレアは自身の不甲斐なさを悔やむとともに、ここで自分は死ぬのだと覚悟を決めた。だが仮にも数々の戦いを生き延びた彼女は最後まで敵から目を逸らすまいと目を閉じることはない。


『死ね!』


 異形の声とともに放たれた巨岩がクレアへと迫る。クレアが己の最期を確信したとき、彼女の視界は白一色に染まった。


 

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新作始めました。現代日本を舞台にしたローファンタジーです。片田舎で細々と農業を営む三十路男の前に現れたのは異界からの女冒険者、でもその姿は……。 よろしければ以下のリンクからどうぞ。 巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者
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