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召喚士は今日も喚ぶ ―僕だけが読める謎の本―  作者: 黒六
8章 王都への旅編
112/169

12.あーちゃー

 それほ突然のことだった。まるで鏡のような水面下をゆったりと巨体をうねらせるように泳いでいた巨大魚がぎょろりと大きな目玉で紅蓮飛竜を見た。魔物や獣のように威嚇をするでもなく、ただ淡々と何かを確認するかのようなその目に本能的な恐怖を感じたのか、紅蓮飛竜が突然暴れだしたのだ。


『グルァァァ!』

「おい、どうした!」


 突如制御が乱れたせいか、男は紅蓮飛竜の首にしがみつくように堪えている。その反動で落ちてくれないかと淡い期待を抱いたが、どうやらそこまで期待するのは無理のようだ。男は持ちこたえたことで安心しているようだが、ほんの僅かに落ちるのが先延ばしになっただけだということを知ったらどんな顔をするだろうか。


 男が必死に紅蓮飛竜の制御をしようと首輪に繋がる鎖を操作していると、ついにその時がやってきた。巨大魚が水面ぎりぎりまで浮上すると、突然水柱が上がった。

 いや、あれは水柱という表現では生ぬるいだろう。それこそ水竜の吐くというウォーターブレスに匹敵するのではないかと思えるほどの水を吐いたのだ。ウォーターブレス自体を見たことはないが。


 水流は全く勢いを弱めることなく紅蓮飛竜へと直撃する。吐こうとしていた炎のブレスは水の勢いに負けて大量の蒸気をあげている。だがそれでも水流は衰えることなく紅蓮飛竜の全身を包み、ついに紅蓮飛竜は空中に留まることが出来なくなり落下した。そして水面に着水した瞬間に巨大魚が水を割ってその大きな顎を露わにした。


 言い表すなら瞬く間という表現が最も適しているだろう素早さは、その巨体からは全く想像できないものだった。巨大な紅蓮飛竜を一飲みにすると、何か小さな物体を吐き出してから水中深くへと消えていった。


「た、助けて……ごぼごぼっ」


 巨大魚が吐き出したものは先ほどまで紅蓮飛竜の背に乗っていた男だった。しきりに水面でもがいているが、僕には男を助ける手段がない。何故なら巨大魚が去ったことでいつもの様相を取り戻した大河がその脅威を見せ始めたからだ。


 もがく男の周囲には大きな魚影がいくつも現れた。その大きさは男よりも大きく、まるで獲物の姿を確認するかのように男の周りを泳いでいる。しかしそれもつかの間のこと、突然男の姿が水中に消えたと同時にその魚影も白い腹を翻して潜っていき、数瞬後には周囲の水が赤く染まった。


「……助けなくていいニャ?」

「……そんな気は毛頭ないよ」

「当然ニャ」


 リタの問いに短く返すが、正直なところあの男を助ける気など微塵もない。卑劣な方法で紅蓮飛竜を貶めたような男をそのまま逃したらどんなことになるかわからない。リタすら忌避する闇属性魔法を臆面もなく使う男など危険すぎる。


「あんな魔法を使うなんて魔族にもいないニャ。大多数の魔族は好戦的だけど戦う相手に敬意を持つニャ。あの魔法は相手を貶めることしかできない外道の使う魔法ニャ。そんな外道は死んで当然ニャ、犠牲になった紅蓮飛竜がかわいそうニャ」

「ああ、その件なんだけど……たぶん……だいじょ……ぶ……」

「アルト! どうしたニャ! しっかりするニャ!」


 紅蓮飛竜についてはアオイに何か案があるらしい。なので僕の役目はここまでだ。そう思ったら突然猛烈な眠気が襲ってきた。きっと魔力を使いすぎたのかもしれない。心配そうなリタの声を聴きながら、深い眠りの淵に落ちていった……



**********



 アルトが突然崩れ落ちるように倒れ、リタは慌てて駆け寄った。突然のことで動転したが、幸いにも呼吸は規則正しく行われており、症状としては魔力切れの典型的なものだった。だがリタは不思議に思う。


「アルトの魔力量は相当多いはずニャ……あの魚を召喚したくらいで無くなるとは思えないニャ」


 リタは直感的にアルトの魔力量が常人を遥かに凌駕していることを看破していた。その膨大な魔力を用いて行われる召喚術が弱いはずがないとも思っている。それが彼女のアルトの勝利を信じて疑わない理由でもあるのだが、これまで見た召喚では倒れるようなことなど無かった、それ故に今のアルトに何か尋常ではないことが起こっていると感じていたのだ。


「……アルト?」

「……」


 と、アルトが突然立ち上がり、船べりへと近づく。そして巨大魚が消えていった水面をじっと見つめていた。しばらくの間、何かを確認するように見つめていたアルトは突然何かを話し始めた。


【対象の別空間への収納を確認、実体をデータへの返還作業を開始……残存意思の消滅を確認、使用可能能力の分析を開始……】

「アルト、どうしたニャ……お前、誰ニャ? アルトをどうしたニャ?」


 アルトの異変に気付いたリタの目が険しくなる。それは猫魔族としての直感だろうか、今のアルトが別人であることを看破したのだ。指先から鋭利な爪を伸ばし、いつでも飛び掛かれるように姿勢を低くして構える。しかしアルトの姿をした何かは全く動じることなく独り言のように言葉を紡いでいた。


【能力の分析を完了、残存意思は可能な限り保存……データへの変換を開始……】

「アルトをどこにやったニャ!」


 リタは隠密行動を主とする魔将ではあるが、決して対人戦闘が苦手ではない。むしろ一対一のほうが実力を発揮できるという自負さえある。だが目の前のアルトの姿を借りた何者かはリタの威圧を全く意に介していない。


【データ変換及び保存を確認、再構築手順の確立を確認……そこのネコ、少々静かにしていただけますか】

「アタシはネコじゃないニャ! アルトをどうしたニャ!」

【アルト様は後の作業を私に任せてお休みになられています。心配することはありません】

「もしかして……アルトが時々独り言を言ってるのはお前に向けてニャ?」

【そこまで感づかれていましたか……やはりただのネコではないということですね】

「うるさいニャ! 質問に応えるニャ!」


 苛立ちを隠せないリタはつい語気が荒くなる。というのもリタはとても焦っていたからだ。もしリタの読み通り、今のアルトの身体を使っているのがアルトの召喚を実現させている何かだとしたら、リタに勝ち目など存在しない。しかしアルトのことをこのまま見捨てることができないほどリタとアルトは親交を持ってしまった。それゆえにこのままアルトが目覚めることなく、この存在が居座り続けることだけは阻止したかった。


【確かにアルト様に助言しているのは私です。それが何か?】

「どうしてアルトにそんな力を与えるニャ? アルトはまだまだ無垢な子供ニャ、そんな子供が使っていい力じゃないニャ」

【そうならないために私が存在しているのです】

「危険すぎるニャ! 過ぎた力はアルト自身を滅ぼすニャ!」


 リタは魔族であり、寿命も常人の数倍から数十倍ある。それゆえに力に溺れて破滅してゆく人間の姿を何度も見てきたのだ。彼女が恐れているのはアルトもその轍にとらわれてしまうのではないかということだ。


【危険……確かにそうですね。ですが私とアルト様が出会ったのは必然なのです。もし私ではなく……が出会っていたのなら全てが終わっていたかもしれません】

「……何を言ってるニャ?」

【あなたが知ることではありません。ただ私とアルト様は運命共同体、アルト様の敵は私の敵ということになります。ネコ、あなたはアルト様の敵ですか?】

「……味方ニャ。魔王様と敵対しない限りは絶対ニャ」


 リタは息を飲みながらも何とか答える。というのも、これまでリタに一瞥もくれなかったソレが突然リタを見たからだ。


(……何ニャ、あの目は……)


 リタを見るその目は今まで見たこともない目だった。透き通った青い目、しかしそこに生命の輝きはなく、ただ無機質にリタを見る……というよりも観察されていると表現しやほうが正しいと思えるものだった。


【魔王……データに存在しません、情報収集が必須ですね】

「お前、魔王様に敵対するつもりニャ?」

【アルト様の敵となるのであれば必然です。ですがあなたからの情報によるとその可能性は低いと想定します】

「お前は何者ニャ?」

【私は……です。……を……した……です。そろそろ作業が終了します、またお会いすることもあるでしょう……】

「ちょっと待つニャ! 話は終わってない……アルト!?」


 突然アルトが瞳を閉じてその場に崩れ落ちた。リタが慌てて近づけば、先ほどと同様に規則正しい寝息を立てている。どうやら先ほどまでアルトの身体を借りていた存在はどこかに消えていったようだ。


(アルトの力の源……アルトと運命共同体……そしてあの不可解な言動……一体何が起こっているニャ……)


 先ほどアルトが呟いていた言葉はリタが知らない内容のものばかりであった。アルトの力の源となるものの正体が全くつかめていない。そしてリタに全く聞き取ることができなかった部分、そこには途轍もなく大きな何かが隠れているということだけは理解できた。


「アルト……お前は一体何者ニャ?」


 リタの膝枕で静かに寝息を立てているアルトはどこから見ても年相応の少年にしか見えない。こんな少年が魔将を二人も倒し、地竜すら屈服させるなど誰も信じないだろう。そんなアルトの柔らかな金髪を揺らすように、川面を往く風が優しく撫でていった。

読んでいただいてありがとうございます

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新作始めました。現代日本を舞台にしたローファンタジーです。片田舎で細々と農業を営む三十路男の前に現れたのは異界からの女冒険者、でもその姿は……。 よろしければ以下のリンクからどうぞ。 巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者
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