9.空から
「な、なにが起こってるニャ?」
「わからない。でも巨大な何かが近づいてくるみたい!」
突然燃え上がった盗賊の船を見ながら、なんとか状況を正確に把握しようとするが、うまく思考が纏まらない。あの炎は火属性魔法が放たれたのだろうか。だが付近にはこの船以外の船影は見られない。
「岸からの魔法攻撃の可能性は?」
「それはないニャ。魔法を使うには目標地点をきちんと把握する必要があるニャ。こんな離れた場所に正確に当てるなんて常人では考えられないニャ」
「まさか……魔将?」
「そんな気配はないニャ」
魔将ならばそのくらいのことをしかねないとは思うが、リタはその気配が無いという。彼女にも感知できないとなれば一体何が?
「アルト! 上ニャ!」
リタの声に空を見上げれば、巨大な翼を持った生き物が雲の中から飛びだしてくるところだった。太陽の光を浴びて燃えるような赤い輝きを見せる鱗、そしてこの船と比べても見劣りしない巨体。王者の持つ風格というものが遠くからでも十分に感じ取れるその姿。ただひとつ、その風格にそぐわないものがあったが。
「あれは何? それに誰か乗ってる?」
「あれは紅蓮飛竜ニャ! こんなところにいる魔物じゃないニャ! もっと辺境の山岳地帯に棲息してるニャ!」
「そんな魔物がどうしてこんな場所に?」
「分からないニャ!」
魔物にはそれぞれに棲息地域というものがある。その土地の環境に合わせて進化していった結果、その地域以外では生存することが難しくなったと言われている。リタの言う紅蓮飛竜もその類なのだろう。
「アルト殿、無事ですか?」
「先生、あれをご存じですか!」
「紅蓮飛竜ですか……ラザードのさらに奥地、滅多に人が足を踏み入れない山岳地帯にすむ飛竜です。飛行する魔物ゆえ、接近戦が難しいのが特徴ですな」
「そうニャ、普段は強力な魔法をぶつけて地面に落としてから大勢で叩くニャ。でもあの鱗は相当硬くて厄介ニャ」
「おまけに吐く炎のブレスは形状を変えることができるそうです。……ですが誇り高い性格で、人間を乗せるなど聞いたことがありませんが……」
先生が紅蓮飛竜の風格を著しく貶めている存在を見て疑念の表情を浮かべる。そう、紅蓮飛竜の背には確かに人の姿があった。そしてその手に持った鎖のようなものは、紅蓮飛竜の首にある首輪に繋がっていた。
「とにかく結界を! 攻撃魔法の得意な者は攻撃魔法の準備を! 接近されたら船が持ちません!」
先生が陣頭に立って乗船している魔法使いに指示を出している。魔法の資質の低い兵士たちは盾を集めて船の一部の壁に貼り付けている。こうすればブレスを吐かれても少しは持ちこたえることができるかもしれない。
紅蓮飛竜はしばらくの間、燃える小船の上空で翼をはためかせていた。だがどうしてあんな巨体がこんな近くに来るまで気が付かなかったのだろうか。そもそもアオイが気付かないなんてあり得るのだろうか。
「どうして誰も気づかなかったんだろう」
「紅蓮飛竜はもちろん、竜族は自分の気配を隠すのが上手いニャ。でないとその気配に気付いた動物が逃げ出して狩りにならないニャ。すぐに飢え死にするニャ」
あれほどの巨体を維持するには相当な量を食べなければ維持できないだろう。気配を消して近づかなければ皆散り散りに逃げてしまい、狩りの効率も悪いのかもしれない。
【あの飛竜には私達への敵意はありません】
突如響くアオイの声は信じられない内容だった。敵意が無いって思いっきり小船を燃やしているが……
(何言い出すの、アオイ?)
【あの飛竜の行動は本意ではありません。私と意思疎通ができますので、アルト様にも伝わるようにいたします】
『……そこの子供よ……私の声が聞こえるか……』
突然アオイとは異なる声が頭に響く。男とも女とも、老人とも子供とも判別できない不思議な声だ。その声には一種独特の風格のようなものさえ感じる。
(あなたは……あの紅蓮飛竜なんですか?)
『……そのような名で呼ばれているのか……そうだ、お前の前にいるのが私だ……』
やや途切れ途切れで、若干苦しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。紅蓮飛竜の様子からはそんな素振りは見えないが。
(どうして僕と話をしてくれるんですか?)
『異質なる存在の主でもあるお前に……頼みたいことがある……)
異質なる存在……それはきっとアオイのことだろう。確かにアオイの声は僕にだけしか聞こえない。それどころかその姿すら見ることもできない。どうして紅蓮飛竜がアオイの存在を感知したのだろうか。
『……私も詳しくは分からない……だがこれほどの異質な力……我が願いを……』
突然声が途切れる間隔が大きくなる。その声は苦し気な雰囲気がはっきりとわかるくらいに弱弱しくなっていった。
(願いって……僕は何をすればいいんですか?)(
『……すまぬ……人の子よ……お前ならば……きっと……』
声はどんどん弱弱しくなっていく。だが紅蓮飛竜は相変わらず小船の上で羽ばたいているだけだ。本当にあの紅蓮飛竜の声なのだろうか。
だが僕のそんな疑問さえ簡単に消し飛ばしてしまうほど、その声が語った内容はとんでもないものだった。
『……私を……殺してくれ……お前ならば……出来るだろう……』
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