1.大河
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静かに波打つ水面を巨大な船が滑るように進んでいく。船べりから水面下の様子を窺えば、青白い魚影がいくつも船に並走するように泳いでいる。
『おさかなー』
「一緒に泳いでる! あ、ジャンプした!」
船は馬が走る程度の速度で進み、それに合わせるかのように泳いでいた魚が大きく水面から跳びだした。踊るように身体をくねらせ、水飛沫をあげて着水するその姿はとても楽しそうに見える。一緒に泳げたらとても楽しいだろう。
「あれはキラーフィッシュの一種ですな。水に立ち入った生き物を水中に引きずり込んで集団で食い尽くす魔物です」
「怖い!」
魔物についてはギルドの資料室にある書物で勉強したつもりだったが、キラーフィッシュというものについては知らなかった。そもそもがマディソン辺境伯領にこんな大河があることすら知らなかったのだから、そこに棲息する魔物について知らないのも当然か。それだけ僕の見聞が狭い領域にとどまっているという証だろう。
知識の多さというものは冒険者にとっては重要なものだと考えている。魔物や獣の生態や棲息地域、弱点や得意な攻撃方法などの知識は討伐を生業とする冒険者にとっては死活問題になってくる。
当然僕の得意分野である薬草も同じだ。薬草と一言で言っても種類は非常に多く、同じように見えるものでも季節によって微妙に違っていたり、平地や高地でも酒類が変わったりする。極端な例だが、薬草と酷似した猛毒の毒草などという例もある。それだけ知識というものは重要で、戦闘力の高さだけでは冒険者として一流にはなれない。
「書物だけではわからないこともたくさんあります。自分の目で見るという経験を重ねてゆくことも重要です。その積み重ねが有益な知識となります。もし書物を記した人物の知識が間違っていたとしたらどうしますか?」
「……とても恐ろしいです」
知識が少ないことで落ち込んでいる僕を見た先生が優しく声をかけてくれる。先生の言葉を聞いて少し考えた僕は自分の想像した結果に背筋が凍る思いがした。
もし書物で読んだ知識が間違っていたとしたら……例えば火属性が弱いとされている魔物を討伐するために火属性の魔法を得意とするパーティを組んだが、実は水属性が弱くて火属性が効果が薄かったら、パーティは全滅する危険性が非常に高い。いや、それだけではない。もっと恐ろしいことだってあり得るかもしれないのだ。
「ですからギルドの資料は必ず職員が内容を実地で確認しています。なのでまず安心だとは思いますが、なにぶん人のすることは全てが完全とは言い切れません。そういう時のために自分なりの知識を積み重ねていくことが大事です」
「はい、頑張ります」
そうだ、これからたくさん積み重ねていけばいいだけだ。まだ僕は十四歳、成人すらしていない。これから冒険者として生きていく時間のほうが遥かに長いのだ。その間に正しい知識を積み重ねていけばいいのだ。
『ご主人様ー、元気出してー』
「うん、ありがとうオルディア」
僕の落ち込んだ表情を見たオルディアがすり寄ってきて顔を舐めてくれる。オルディアを見て僕は自分の知識がどれほど乏しいかを改めて実感した。白い体毛のオルトロスがいるということすら知らなかったのだから。
「オルディア、僕もっと勉強するからね」
『我もー』
僕の言葉を理解しているのかどうかはわからないが、身体を擦りつけて盛んに尻尾を振るオルディアを撫でながら、王都へ向かう船上で改めて決意を固める。
と、突然船がその速度を大きく落とし始めた。その変化に驚いて周囲を見回せば、舟は相変わらず岸から離れた位置にいる。川岸に見えるのは小規模の漁港のようだった。
「これからあの漁港に食料などの買い出しに行きますが、アルト殿も行きますか?」
「はい!」
先生の言葉に船上を見れば、甲板では乗組員が船首と船尾で錨を下す作業を始めている。それとともに何艘もの小舟もおろされている。きとこれに乗って岸へと向かうのだろう。確かにこの船の大きさでは小さな漁港では座礁してしまう。
『我も行くー』
「うん、美味しいものがあるといいね」
やはり漁港なら新鮮な魚介類だろう。それに新鮮な野菜や果物も航海には必須だ。きっと航路の途中にはこういう補給のための寄港地がいくつも用意されているに違いない。だがそれと同時に注意することも増えてくるはず。
「今回の航路に関しては事前情報を出していないので、交易品での物々交換となります。間者が入り込むことを防ぐ為でもあるのですが、それでも入り込む可能性はゼロではありませんので注意してください」
「はい」
先生の真剣な表情に思わず今の状況を忘れていた自分が情けなくなってくる。今は重罪人の護送中、いつ狙われてもおかしくない。補給は細心の注意を払わなければならないのだ。
「何事もなければいいなぁ……」
ついそんな言葉が僕の口から洩れてしまう。せめて航海中は心おきなく船旅を楽しみたかったのだが、どうもそれは無理かもしれない。
跳んでいただいてありがとうございます。