9.遭遇
ま、まだまだ、いけます……
ブラッディウルフの襲撃現場から街道を馬で進むこと約半日、旅路は軽快に進んでいた。程よい速度で進む馬によって起きる向かい風は優しく僕の頬を撫でる。日光に照らされる草原が鮮やかな若草色の波打ちを見せている。何気ない風景だが屋敷にいた頃では見ることができなかった僕にとっては心を躍らせるには十分すぎるものだった。
そして太陽が夕日の色に変わり始めた頃、小さな廃村に辿り着いた。馬車の予定ではどんなに急いでも大きな街まで少なくとも十日はかかるので、このあたりもまだ辺境の域を脱しない。村といっても家屋は十軒ほどで、集落と呼んだほうが正しいかもしれない。
【アルト様、今夜はここで野営したほうがいいと思われます。幸い周辺には危険生物の存在は確認できません】
「そうだね、家なら竈も使えるだろうし、寝台でもあれば嬉しい。この馬も休ませないとかわいそう」
廃村になってそんなに時間が経過していないようで、家屋はまだ生活感が若干残っていた。でも廃村になった原因を目の当りにして少々僕は気分が悪くなった。
「……盗賊か」
【そのようですね】
集落の中心にある小さな広場のような場所には数人の男性の亡骸があった。おそらくウルフなどの魔物に食い散らかされたのだろう、綺麗な亡骸はひとつとして無かったが、間違いなく致命傷は胸に開いた剣による刺突の跡だった。唯一頭部の残っている亡骸の顔は恐怖の表情のままだった。
僕は廃屋を探し回り、油を探し出すと亡骸にかけて火をつけて燃やした。こうしておかないとアンデッドとして甦り、新たな犠牲者を生み出してしまうからだ。
【距離的に考えて、先ほどの盗賊によるものと推測します】
「うん……」
心に湧き上がってくるのは父親への怒り。メイビア子爵領について詳しく知らない僕ではあるが、この集落が領内であることくらい認識できている。僕の始末を頼んだ盗賊がこんなことをしているのに、自分に恥をかかせた息子に執着している余裕なんてどこにあるというのか。そもそも盗賊なんて話にも聞いたことがなかったから、もしかするとフリッツが招き入れたのか?
【あまり考えすぎないように。心が乱れております、アルト様】
「ああ、ごめん」
集落の建物の中でもまともに残っていた建物の中、囲炉裏で燃える炎を眺めてついそんな感情に囚われてしまった。もう僕は死んだ、いや、アルフレッド=メイビアは盗賊たちと一緒にブラッディウルフの大群に襲われて死んだんだ。今はただのアルト、メイビア子爵とは何のかかわりもない。そう、もう関係ない。自分に何度も言い聞かせながら寝台に寝転がるとゆっくりと瞼を閉じた。
【アルト様、周囲に敵性生物の反応が多数】
「……え?」
アオイの声に眠りが中断される。まだ囲炉裏の火は消えていないから寝入ってからそんなに時間は経っていないようだ。適性生物多数ってもしかして?
【はい、ブラッディウルフと思われます。その数およそ三百を超えている模様ですが、少々様子がおかしいです】
「さ、三百? それでどうおかしいの?」
【捕食のための動きというよりも、何者かから逃げているように思われます】
耳をすませば薪の爆ぜる音に混ざって多数の動物が駆ける音が響いてくる。それは次第にこちらに近づいてきている。しかも音が大きくなるにつれ、その音に違和感を感じた。
「これは……ブラッディウルフだけじゃない? 他の何かも混じってる?」
【……索敵完了。これは異常です、ブラッディウルフだけでなく、草食の獣まで一緒にこちらに向かっている様子で……今、群れの後方に巨大な敵性反応が発生しました】
巨大な反応? もしかしてこの大群はソレから逃げているのか? まさか昼間の大群は自分達の居場所が奪われて仕方なく移動してきたのか?
そんなことを考えている間にも獣たちの足音はどんどん近づいている。外に出てみると馬が恐怖で暴れているが、申し訳ないが構っている場合じゃない。大群の先頭はもう肉眼で見える。ブラッディウルフにヤギのような獣、馬にウサギにネズミ、魔物と獣が一緒になって走っているが、僕には敵意を感じない。僕と馬に全く関心が無いかのようにすぐ横を駆け抜けてゆく。
【敵性生物、こちらを視認したようです。数は一、大きさはこの建物よりも大きいです。細心の注意を払ってください】
「……アオイ、それは無理そうだよ。だって目視できるくらいまで近づいているから」
僕を見つめるのは四つの瞳。血のように赤い瞳が獰猛な輝きを見せている。四つの目があるといっても四ツ目じゃない。頭には二つの目がある。その頭が二つ、双頭の獣が夜の闇と同化するように存在している。
「……オルトロス」
【……検索完了。双頭の犬の魔物ですね】
その存在は本の中だけのものではないと歴史書に書いてあった。その攻撃力、タフネス、残忍性、そして貪欲性、いずれも桁外れに高く、かつて現れたときにはいくつもの街を全滅においやったという。絶望を具現化したかのような圧倒的な存在感。知らぬうちに膝が笑ってまともに立っていることも難しい。
『この匂い、貴様が我の獲物に余計なことをしたのか。おかげで我は腹が減って眠れん。肉付きは無いようだが腹の足しにしてやろう』
突然オルトロスが話しかけてきた。というよりもアオイと同じように頭の中に直接響いてくる。二つの頭のどちらが話しかけてきているのかは分からないが。
そうか、あのブラッディウルフの大群の大群はオルトロスの食料だったんだ。繁殖力が高いので適当に群れさせれば勝手に獲物を狩って増えてくれる。オルトロスは増えた分を食べればいい、実に合理的かつ怠惰な方法だ。
鮮血のように赤い瞳が僕を捉え、あまりの威圧感に呼吸が乱れる。それは僕自身が彼我の圧倒的な戦闘力の違いを無意識に認識してしまったからに他ならない。いくつもの街を簡単に滅ぼすような魔物相手にたった一人で一体何ができるというのか。
『ほう、さすがに身の程を弁えているということか。安心しろ、苦しいのはほんの一瞬だ。そして貴様を喰らった後は周辺の人間どもを腹一杯になるまで喰ってやる。すぐに貴様のもとに大量の人間を送ってやる』
「……嬉しくないよ」
そもそも周辺の人間ということは、僕を蔑んだ人たちも含まれるということ。メイビア子爵の手駒にオルトロスを討伐できるほどの強者はいない。キースが複数属性持ちといっても戦闘の経験なんてないし、残された道は蹂躙される以外にないだろう。死んでまであんな人たちと一緒になんてなりたくないし、そもそも死にたくない。
【アルト様、解決手段を検索いたしましょうか?】
「え? 何か方法があるの?」
【当然です。私とアルト様の御力が合わさればこのような駄犬、障害にすらなりません。……検索完了、最も適切と思われる方法を表示します】
眼前には絶望を体現したかのような巨大な魔物。だがアオイのどこか自信に満ち溢れたかのような、感情の篭らない声が僕の心を奮い立たせてくれる。そうだ、僕は世界を見るんだ。まだまともに旅が始まっていないのにこんなところで躓くわけにはいかない。
戦う意志を持った瞬間、今まで続いていた膝の震えが収まり、思考がクリアになった。呼吸が楽になり、しっかりと言葉が話せるようになると同時に、頭の中に言葉が浮かんだ。アオイがこの場を切り抜けるのに最適と判断した方法、僕はそれを信じてその言葉を口にする。
『けもののおうこくのこくおう』
――――――――――え? これってやばいやつなんじゃ?
読んでいただいてありがとうございます。
本日もう一話投稿しています。
予約投稿まちがえたった……