魔力循環の瞑想
「おやすみなさいませ、フランお嬢様」
「えぇ、おやすみなさい」
侍女のニコルに就寝の挨拶をして、わたくしは学園寮の自室へと入りました。
バタン、と扉を閉めると、やっとわたくしは「侯爵令嬢」から解放されます。
わたくしは、一目散にベッドへと倒れ込みました。
「あぁ、疲れましたわ」
部屋は実家と比べると狭く、ベッドも少し硬くて。
でも、学園寮の部屋は、不思議と嫌いではありません。
窓から射す茜色の夕陽は、部屋の中央をぼんやりと照らしていました。
部屋の荷物は、ニコルが既に運んで整理までしてくれていました。
今日はもう眠ってしまいたい。
靴も脱がずに、はしたなくもベッドに俯せになったわたくしは、そんな欲求に襲われます。
今日は、激しく体を動かすことこそ無かったものの、思った以上にわたくしの精神は疲労しているようでして、こうしていると、ついウトウトしてしまいそうです。
わたくしは、ボンヤリと、新しいクラスメイトの子たちのことを考えました。
今日、一番会話をしたのはメランダ=クリフトさん。
紫のウェーブがかかった髪がとても綺麗で、魅力的な女の子です。
濃紫の瞳はツリ目で、端正な顔立ちのアクセントになっていてました。
性格は気が強くて、何となく野心家の印象です。
彼女がわたくしに声を掛けてくださったのは、きっとわたくしが「侯爵令嬢」だからだと思います。
話しかけてくださったこと自体は嬉しくて、たとえそれが「侯爵令嬢」という高貴な身分のわたくしに近付くためだったとしても、わたくしは気にしていません。
ですが経験上、そういった交友は長続きしないものです。
無論、その原因はわたくしにもあって、誰もがわたくしの魔法の出来なさに限りをつけて、わたくしから離れていくのです。
メランダさんは、平民をよく思っていないようですし、となると、魔法が使えないことを蔑視している可能性も大いにあります。
クラス全員の前で魔法が苦手だと告白して、その後もわたくしにフレンドリーに話して下さいましたが、明日以降の授業で、実際に、魔法が全然出来ないわたくしを見て、どう思われるのでしょうか。
あまり良い想像は出来ません。
わたくしとしては、ゴトー先生の意見に近くて、身分関係なくクラス全員と仲良くしていきたいと思うのですが……
「それは…… 甘え、ですわね」
あまりにも都合良く考えている自分に気付いたわたくしは、辛いことからすぐに逃げ出そうとする自分の弱さを再確認する思いでした。
身分関係なく人と付き合うことなんて、実際にできるはずはないのです。
なぜなら、少なくとも学園の外では身分差は実在していて、わたくしはその高貴な身分のおかげで何不自由なく暮らし、こうして学園にも通っているのですから。
わたくしがどれだけ魔法が使えなくて、落ちこぼれでも、わたくしが「侯爵令嬢」であることからは逃げられません。
わたくしが自ら身分関係なく人と接することは出来ても、他人から身分関係なく見てもらえると期待するのは愚かでした。
ゴトー先生の言葉が耳に心地よくて、現実を見失いそうになっていた自分が恥ずかしいです。
「…… ふぅ」
わたくしは一息吐いて気を落ち着けると、ベッドに腰を掛けて、瞑想の体勢に入りました。
疲れていても、日課の瞑想を欠かすわけにはいきません。
それに、家庭教師のリューノル先生との約束でもあります。
わたくしは左手の親指に付けた指輪を右手で握るようにして、包み込みました。
そして、深呼吸。
目を瞑り、魔法を使う力、即ち「魔力」に意識を集中させます。
ゆっくり、ゆっくりと呼吸を続けながら、体内の魔力の流れを探していきます。
十数分後。
はっきりと自分の魔力を認識できる段階にまで、集中が深まってきました。
体がポカポカしてくるような錯覚を覚えます。
夕方になって冷えた春の空気が、日中の熱気を取り戻したようです。
そのまま、魔力を体の中心、丹田と呼ばれる場所へと集めるイメージをします。
息を乱さず、集中力も乱さずに。
途切れることなくイメージするのは意外に難しく、体力も使います。
最初は上手くいかなかったけれど、学園に入学して、毎朝のランニングで体力がついてからは、失敗することも少なくなりました。
薄く張り巡る体中の魔力を、丹田へと一滴残らず掻き集めます。
これが、魔力循環と集中力を高める訓練、「瞑想」です。
瞑想は、学園に通う以前から今まで、1日も欠かすことなく続けてきました。
おかげで、魔力循環だけならば、Aクラスでも通用する実力はあると思っています。
ただし、魔力総量が少な過ぎて、魔法の威力自体は全く通用致しません。
そして、ここから先は、つい先日始めたばかりの新しい訓練になります。
まずは丹田に溜めた魔力を、ゆっくりと回転させます。
十分に回転させたら、そのまま回転速度を少しずつ速く。
そのまま高速回転させます。
魔力が回転速度に比例して、増幅していくように感じます。
ここまで来ると、丹田の辺りが熱くて、まるで炎そのものを体内に宿しているようです。
ここまで約一時間。
体に宿った高熱と、時間経過によって、わたくしの集中力は間もなく限界を迎えます。
もう限界の一歩手前というところで、わたくしは左手の親指の指輪へと、丹田に集中した魔力を、一気に流し込みました。
丹田から心臓へ、心臓から左手へと、血が巡るように、熱を伴った魔力が移動していきます。
指輪は、わたくしの魔力を嬉々として喰らいました。
一度喰らわせると、指輪は止まることを知らず、わたくしの魔力を喰らい尽くします。
それは、わたくしの生命力までも喰らわれているようで、生理的な嫌悪感まで催しました。
「…… っぷはぁ! はぁ! ハァ! ハァ!」
わたくしはとうとう呼吸を乱して、目を開けました。
そのまま仰向けにベッドに倒れます。
天井がぼやけて見えます。
ズキンズキンと、鈍い頭痛もしてきました。
もう体を起こすのさえ億劫です。
とはいえ、一杯の水を飲まないことには、このまま眠れそうにはありません。
わたくしはもう一度目を瞑り、深呼吸で呼吸を落ち着け、立ち上がりました。
テーブルには、水差しとグラスが用意されています。
水差しを持ちあげると、震えて、満足に水をグラスに注ぐこともままなりません。
「なんて情けない…… 」
わたくしは、何とかグラスの水を飲み干しました。
気付けば日は完全に沈み、月が高くまで登っていました。
部屋の灯りを消すと、もうほとんど真っ暗です。
わたくしは月明かりを頼りに、もう一度ベッドに戻りました。
今度は靴を脱いで、枕に頭を乗せて、毛布の中に体を丸めて、眠る体勢に入ります。
経験上、この訓練の後にはネガティブなことしか思い浮かばないので、何も考えないように意識します。
しかし、集中力がゼロの状態ではそれもできず、考えつくままあちこちに意識が向いてしまいました。
寒い。
あれだけ体が熱かったのが、嘘のようです。
わたくしは体中の熱を指輪に奪われたように、寒さで震えていました。
頭痛も続いていて、体調は最悪です。
わたくしは本当に、家庭教師の先生に提案していただいたこの新しい訓練を、一年間続けることができるのでしょうか。
家庭教師の先生は、わたくしには「努力する才能」があると仰って下さいました。
ですが、それが優しい嘘であることをわたくしは知っています。
わたくしは、努力することに才能など関係無いと思うのです。
わたくしが努力しているのは、それ以外に道が無いからです。
わたくしは魔法の才能に欠けていて、それを補うためには、努力せざるを得なかっただけ。
確かに座学の実力はついたと思いますが、それも結局のところ、実技から、魔法から逃げているだけです。
わたくしは家庭教師の先生が仰るような立派な人ではありません。
あまり期待しないでください。
あなたがどれだけ期待したところで、わたくしにはきっとそれに応えられる才能なんて、持ってません。
現に、あなたと約束したのに、わたくしはもうこの訓練を辞めてしまいたいと思っています。
だって、苦しいのですもの。
わたくし、苦しいのは嫌です。
明日からは授業もありますし、予習復習にも時間を割かなければなりません。
朝のランニングもあります。
わたくしはもっと眠りたいです。
わたくし、眠ることは大好きですから。
あぁ、明日が憂鬱ですわ……
わたくしは、そのまま思考もまとまらず、泥のように眠りに落ちました。