命短し蛍は微笑む
「ほたる、ねぇ蛍‼︎」
「なぁに咲夜ちゃん。そんなに大きな声で喋ったら、家の人達に見つかっちゃうよ」
月が空の中央に辿り着き、皆が寝静まる時間帯。月明かりを頼りに本を読んでいた少女は、ゆっくり顔を上げた。少し怒った声を出してはいるが、その顔は嬉しそうな笑みを浮かべている。
「ごめんごめん。でも聞いてよ!またあのヘンテコ陰陽師が私を祓おうと追いかけ回して来たんだ‼︎」
そう言って少女の親友は、九本ある尻尾をビタンビタン地面に叩きつけた。月明かりに照らされ浮かび上がるその姿は、白い雪女のような格好をした、少女のもの。
ただしその頭からは三角の耳が、お尻からは九本の尻尾が生えている為、一目で人ではないことが分かる。
「え、また?あの人も懲りないね。咲夜ちゃんを祓える訳ないのに」
「本当にね〜。私を祓える人間がいる訳ないのに」
口調は軽いが彼女、九尾の咲夜は妖怪の中でも上位に位置する大妖だ。その力はあの天才陰陽師、安倍晴明の母である妖狐『葛の葉姫』にも並ぶと言われている。
「まぁ、蛍の父親ならできるかもしれないけど」
「そうだね。御当主様ならできるかもね」
少女の名前は蛍。由緒正しい祓い師の一族、月影家当代当主月影 和彦の娘である。が、蛍は彼やその家族を父母兄と呼ぶことを許されていない。
蛍はとても体が弱く、二十歳まで生きる事は出来ないだろうと医者に診断されている。そんな彼女を一族の者たちは、ある大妖を封印する際の生贄にしようと考えていた。
そんな理由があって蛍はいつも一人で過ごしている。身の回りの世話をしてくれる者は情が移らないように毎日変わっているし、部屋から出る時は面を付けることを義務付けられるほどの徹底ぶりだ。
そんな彼女の唯一の楽しみが、この一風変わった親友と話をすることだった。
「あ、そんなことより、見て見て桜が咲いてたよ」
「もうそんな季節なんだね」
蛍は十五年前この季節に生まれた。件の大妖を封じるのは一月後。つまり、蛍が来年桜を見ることはもう無いのだ。
「蛍…やっぱり私と逃げない?こんなの間違ってるよ」
咲夜は、自分が持ってきた桜の枝を静かに見つめる蛍に言った。蛍はゆっくり首を横に振ると、その枝を手にとって匂いを嗅いだ。それは、儚く美しい春の匂いだった。
「あのね…私、咲夜ちゃんの気持ち、とっても嬉しいの。でも、やっぱり行けないよ」
「なんで‼︎蛍は生きたくないの?」
「生きたいよ」
蛍は間髪入れずにそう答えた。
「でもね、私知ってるんだ。御当主様や奥方様たちが、私を生贄にすることを本当は申し訳なく思って下さってることも、その大妖は本当に強くて、封印する為にはそれ相応の生贄が必要だってことも。あと…新様がここ数年私に会いに来なくなったのは、この計画に反対して、私の記憶を封じられてしまったからだってことも。全部知ってるよ」
「だったら‼︎」
「咲夜ちゃん」
蛍は咲夜に向き直り優しく微笑むと、親友の小さな体を抱き締めた。
「ありがとう。私をそこまで思ってくれて。本当はね、新様と結婚して、しわくちゃのおばあちゃんになるまで生きたいよ。でもね、どっちにしろ私は大人になるまで生きられない。なら、私は大切な人たちの為にこの命を使いたい。だから、ごめんね」
蛍は知っていた。蛍に名前をつけた今は亡き祖父が、最初から強い力を持って生まれた蛍を生贄にするつもりだったことを。自分の名前が、『長く生きられないけれど、最後まで自分の周りを優しく照らす蛍のような子になって欲しい』という意味でつけられたものだということを。蛍が『御当主様』『奥方様』と彼らを呼ぶたび、彼らが少し悲しそうな顔をしていたことを。
…蛍の幼馴染であり婚約者でもある新が、蛍を愛してくれていたことを。
知っていたから、蛍は寂しくなかった。
「蛍…蛍は恨んでないの?こんな運命を強いた一族の者たちを」
「まさか。感謝こそすれ、恨んでなんていないよ」
この時代、体の弱い子供をわざわざ養うことのできる家など限られている。それなのに、わざわざ医者をつけてまでここまで生かしてくれたことや、一族全員の反対を押し切ってまで、蛍の婚約者になってくれた新には本当に感謝している。恨んでなどいない。
「私、月影 蛍として生まれて良かった。一族のみんなが本当に大好きなの。寂しいけれど、新様が私の記憶を封じられていて良かった。これ以上彼を苦しめたくないもの。彼には、幸せになって欲しい…」
そう言って蛍は咲夜から体を離し、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「あのね、咲夜ちゃんにひとつお願いがあるの」
〜〜一月後〜〜
「…これより、大妖封印の儀を執り行う。皆、心して掛かれ」
「「「「「「「承知」」」」」」」
当主とその跡取り息子、そして新とその父を含めた八人があらかじめ地面に書かれていた陣の八隅に立ち、大妖を呼び出す呪文を唱え始めた。すると徐々に陣が輝き始める。
その様子を、蛍はただ静かに見つめていた。
ドオォォォン‼︎‼︎
「来たぞ!」
この大妖、もとは守護神として人々に祀られていた狼神で、時とともに忘れさられその恨みで妖になったという。人間を深く恨んでおり、多くの命をその牙にかけた。その為人々は、この狼神を大妖『紅牙』と呼んでいる。
大妖が呼び出され現れた瞬間、陣から光り輝く鎖が飛び出し大妖を縛った。その鎖は陣から吸収された蛍の力でできている。
『おのれ、おのれ人間どもめ…覚えていろ、いつの日か必ずや復活し、お前達を一人残らず滅ぼし尽くしてくれる!』
大妖のことばに嘘はない。この陣は所詮封印の陣であり、いつか必ず解けてしまうのだ。月影一族はたじろいだ。
けれど、たった一人その事実を覆そうと動いた者がいた。
「そうはさせません。大妖『紅牙』、あなたは私と共に滅びるのです」
蛍がそう言い終わるや否や陣からさらに強い力が溢れ、鋭い矢となり剣となって大妖を突き刺した。只でさえ立っているのがやっとだった蛍の体が僅かに傾ぐが気合いでもって堪える。
『グワァァ!』
大妖はめちゃくちゃに暴れまわり、血走った目で蛍を睨むと、鎖を引っぱり蛍を引き裂こうと術を放った。
キィィィン
しかし蛍の眼の前で大妖の術が結界によって阻まれる。
「私とて月影一族の一員、なめないで‼︎」
蛍は最後の力を振り絞り、残った力全てを集め巨大な槍を作り、大妖に向かって放った。その衝撃波で羽織が吹き飛び、後ろを振り向き微笑んだ蛍の顔が最後に見えた。
槍は見事大妖を貫通し、大妖『紅牙』は息絶えた。力を使い果たし、自分の命を保つことが出来なくなった蛍と共に。
「蛍‼︎」
誰かが倒れた蛍を抱きとめた。それは新だった。
新は蛍に関する記憶を封じられさらに精神の自由も縛られていたが、蛍が放った力の衝撃によって、そのすべて思い出したのだ。
「蛍、頼むから死なないでくれ!俺を置いていくな‼︎」
初めて見る蛍の素顔は美しかった。新はなんとか蛍を救おうと自分の力を蛍に送る。ただ、愛する人の瞳に自分の姿を映して欲しくて。
しかし、蛍が目を開くことはなかった。
「ほたるっ…」
「……」
「あぁ、蛍…」
「ごめん。ごめん蛍…」
新は蛍の亡骸を抱き締め泣き叫んだ。和彦はただ無言で妻の背を撫で、蛍の母は亡くした子を思い涙した。蛍の兄は、『兄』と呼ばせてやることすらできなかった妹に謝り続けた。
「お前達はいつまでそうしているつもりだ」
そのままどれほどの時間が経ったのか、空の中央にあった筈の太陽が地平線の向こうに沈んだ頃、嘆き悲しむ彼らにそう声をかける存在がいた。
「…あなたは?」
新が泣きすぎて枯れた声でそう尋ねる。涙はすでに乾き、枯れたかのように思われた。
声を掛けてきたのは咲夜だった。
「私は咲夜。蛍の親友だ」
「蛍の…」
祓う気力も起きなかったのか、彼らは驚きこそすれ敵意を向けることはなかった。
「蛍から、御前達あてに手紙を預かっている。読むかどうかはお前達次第だ」
蛍からの手紙と聞き、新はすぐに飛びついた。咲夜が持っていた二通の手紙は、一つは一族宛て、もう一つは新宛てだった。
「一族宛のものは元から渡すつもりだったが、もう一つは渡すつもりはなかったものだ。心して読め」
【月影一族の皆様へ】
こんな私を、生かして下さってありがとうございました。
勝手な判断で動いてしまって申し訳ございません。
今までお世話になりました。
【陽野 新様へ】
愛しています。
来世でもう一度出逢えたなら、その時は今度こそあなたの妻になりたい。
いつの日かまた逢えることを信じて。
それを読んでまた彼らは涙した。
蛍が咲夜に頼んだことはこれだったのだ。
咲夜は全てを見届けると姿を消した。
〜〜一年後〜〜
春の暖かな日差しを浴びながら、新は手にした桜の枝を見ながら微笑んだ。
「蛍、いつの日か必ず君に会いに行く」
その後妖狐咲夜が現れる事は無く、陽野 新は長い人生、生涯独身を貫いたという。
〜〜⁇⁇〜〜
「奈緒、今日は早いのね」
「うん、そうなの。委員会の仕事があってね。それじゃ、行ってきま〜す」
「そっか、いってらっしゃい」
少女は高校に向かって歩き出した。彼女の通う高校は歩いて約二十分の所にある。
いつもとは違う時間帯に家を出た為、初めて歩く道のように感じる。
「きゃぁっ‼︎」
「おっと!」
ちゃんと前を向いて歩いていなかったからか、曲がり角を曲がった時人にぶつかった。咄嗟に来るだろう衝撃を覚悟して体を硬くするも、いつまでたっても衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けると、自分を支えてくれていたらしいその人と目があった。
その時、白昼夢のように辺り一面を桜の花びらが舞った。
だが二人はそんな物気にしなかった。なぜなら、目の前の相手から目が離せなかったから。
桜の花びらが消えた瞬間我に帰った二人は、慌てて体を離した。
「そ、その…ごめん。怪我してないか?」
「は、はい。庇って頂いてありがとうございます」
お互い目があった。が、恥ずかしくってどちらも目をそらす。
「その制服、月の院高校か?」
「はい、一年生です。あなたは?」
「俺は陽の山高校三年生」
「そ、そうですか」
「おぅ」
初めてなのにまるでもっとずっと前から知っているかのような不思議な感じがした。
「俺は春日 常盤。君は?」
「あ、奈緒です。藍田 奈緒」
こうして二人は出逢った。