第9話
ガラは悪いが野蛮な奴らではない。いくら力勝負の世界に生きているとはいえ、会話ができないほど言葉を知らないはずもない。戦いの中に身を置き、咄嗟の判断力がものを言う世界だ。駆け引きや小難しい話は苦手とする者が多いが、頭の回転は速い。
そんな彼らと話ができないとは、一体どんな話し方をしていたのだろうか?
「どうしてこんな――」
大勢で押しかけたんだ。
そう言おうとしたが、ジェイクの大声に掻き消された。
「三杉、お前、どこかのお姫様に一目惚れして城で働いてるって話、本当だったのか?」
遠慮もないその言葉に瞬時に反応し、咄嗟にジェイクの口を塞いだ。
「な、な、何言ってるんだ!」
「あれはただの噂かと思ってたけど、本当だったんだな」
もごもごと喋るジェイクに代わって、隣の男が口に出した。
「ち、ちが……」
「まぁ、破流姫様ならわからんではないな」
「けど、城にまで潜り込むとは、お前もやるときはやるんだな」
「そういうわけじゃ……」
「一目惚れも大したもんだ」
わははは、と波打つように笑いが広がって行くのを、三杉に防ぐ術はない。
「違う! そんなんじゃない!」
いくら大声を出そうが、暢気な笑い声に掻き消されてしまう。笑い声は後ろへ届いてまた前へ帰ってきた。
もごもごと何か言いながら、目を細めたジェイクが三杉の背中を大きく叩いた。
「そ、それより!」
後ろの方でまだ笑っている男たちにも聞こえるよう、大きな声で呼びかけた。
「それより何なんだ、この大所帯は?」
恐らくは何度も繰り返されただろう質問を、三杉は全員に向けて言った。
ジェイクが口を覆う三杉の手を剥がして答えた。
「届け物を持ってきたんだけどよ、さっさと放り出したいんだよ。けど、ここまで来たらせめて破流姫様を一目でいいから拝みたいだろ? そう言ってんのに、ここの兵士は頭が固いと言うか、融通が利かないと言うか」
「当たり前だ。姫様は見世物じゃない。そう簡単に会わせられるか」
禎那とも交わしただろう内容を、三杉も繰り返す。
ジェイクが食い下がるのも、きっと同じだろう。
「ちょっとでいいんだ。一目見るだけで俺たちの苦労が報われるんだ」
禎那と対峙していたような緊迫感を捨て、三杉の良心に訴えかけてきた。が、いくらお人好しの三杉とて、そこは譲れるものではない。
「駄目だ。ひとつを許せば次から次に要求が膨れ上がる。権威をないがしろにすればお前たちもただでは済まないんだぞ。諦めて帰れ」
「俺たちがそんな強請りたかりみたいな真似すると思うか? 今だけだ。ちょっとだけ。な、三杉、頼むよ」
下手に出てお願いされると、三杉も冷たくはねつけられなくなる。
「そう言われても……大体、何を持ってきたと言うんだ? 人質まで連れてきたって言うじゃないか」
「人質?」
「あの荷馬車」
指を差すと、ジェイクをはじめ、成り行きを見守っていた男たちもそちらに目を向けた。
「何やってるんだ、お前たち? まさかそこまでするとは思ってなかったよ。人質まで取って、そんなに姫様に会いたいのか?」
責めるように言うと、どこからか、
「けっ。何言ってくれてんだよ」
と吐き捨てる声が上がった。それを合図に、そこかしこから似たような不満の声が聞こえてきた。
「冗談じゃねえよ。誰が人質だってんだ」
「あんなわがままな人質があるかよ」
「こっちの神経がやられるぜ」
「人質を取るならもっとマシな人間を選ぶぜ。なぁ?」
そうだそうだと全員が頷き、同意した。
予想外の反応に言葉に詰まる。一体、あの荷馬車には誰が乗っているのだろう?
「自分で見てこいよ。がっかりするから」
ジェイクはそう言って三杉の背を押した。
確か若い兵士は、少女が縛られて助けを求めていた、と言っていた。それを人質と言わずして何と言うのか。だが、男たちの口振りからは到底そうは思えない。少女は誰で、なぜ縛られているのか、そしてジェイクたちはなぜ少女を連れているのか。
道を開けてくれる男たちの間を訝しげな面持ちで、なぜかそろそろと足音を忍ばせて荷馬車に近づく。集団の後ろに、離すように停められたそれは高い幌をかけてあって中が見えない。しかし近づくにつれ、きゃんきゃんと叫ぶ声が漏れ聞こえてきた。
「人殺し! 薄情者! バカ!」
「頼むから静かにしてくれ……」
「身の危険が迫ってるのに誰が静かになんかしてられるか!」
「だから命だけは俺たちが守ってやるから」
「ウソだね! どうせご褒美目当てに僕を引き渡す気なんだ。そうじゃなきゃここまでくるわけないし」
「疑り深いヤツだな」
「当たり前だろ。どこに信用できる要素があるって言うのさ?」
「長年の信頼関係」
「ばっかじゃないの?」
「お前に言われたくねえな」
「齧るよ!?」
「やめろよ、ガキみたいな脅し文句……あたたた! ほんとに噛みやがった! サルか、お前は!」
この声といい、喋り方といい、あの知った顔がはっきりと頭に浮かびあがった。
力が抜けた。ふらついた三杉を、そばにいた男が支えてくれた。
「わかったか? この二週間、あの調子でずっと付き合ってきたんだ」
誰かが溜め息交じりに言った。
気の毒に……。
心からそう思った。
かなり鬱屈が溜まっていたから、だからさっさと放り出したくて、だからせめて破流姫の姿を目にして報われたかったのだろう。
三杉は深呼吸をひとつし、背筋を伸ばして荷馬車の幌を見据えた。そしてドタバタと音を立てて揺れる荷馬車の入口の幌に手をかけ、勢いよくめくった。
中はまるで部屋のようだった。下に絨毯のような風合いの布を敷き、奥に布団が広げられている。隅には棚と思しき木箱、上には火のついていないランプが置いてある。布をかけた低い箱は椅子だろうか。幌の片側側面には色とりどりの幾何学模様が描かれた布が張られ、荷台全体に明るい雰囲気を醸し出している。天井には明り取りなのか網が張られて、心地よい風とともに太陽の光が差し込んでいる。
そんな荷台の中央には仰向けに男が倒れ、上に毛布ごと縛られて芋虫のようになった少女が圧し掛かり、太い腕に噛みついていた。
やはり良く見知った顔だった。
「ルニー……」
相変わらず少女と間違われても違和感のない可愛らしさだった。やっていることは異常だが。
突然めくられた幌に驚いて、取っ組み合っている二人が動きを止めて三杉に目を遣った。
大柄で頑丈そうな男と、縛りつけられた小柄な少女と見紛うばかりの男では、力の差は歴然としていそうなものだが、襲いかかっているのは明らかに少女のような男だ。
「あれぇ? 三杉じゃないか。久し振りだね。いつ合流したの?」
ルニーが男の腕を離してにこやかに言った。
「顔見せてくれればよかったのに。全然気づかなかったよ」
「三杉、助けてくれ! こいつに噛み殺される!」
下敷きになった男が三杉に助けを求めて手を伸ばした。その手を大口を開けてルニーが噛みついた。
「いだだだだ! やめろ、バカ!」
頭を押しやろうとするが、ルニーの顎は強靭らしく、食いついて離れない。
「三杉、頼む! このバカをどうにかしてくれ!」
屈強そうな男の涙声の懇願は痛々しい。
「もうその辺にしておけ、ルニー。やり過ぎだ」
三杉が諭すと、ルニーは膨れっ面で離れた。
「こいつら、僕を殺す気なんだ。齧ったぐらいじゃ割が合わないよ」
物騒な台詞に、驚いて下敷きの男を見る。
「違う。褒美をもらったら一緒に連れて帰るつもりで……」
「ウソだ! 置いて行くに決まってる!」
また大口を開けたルニーをかわし、男は荷台から慌てて飛び降りた。ルニーは空を噛んで転がった。
「避けるな! 噛ませろ!」
凄むルニーから身を隠すように、男は三杉の背後に回った。
「何なんだ、一体?」
ルニーと男たちの間で成立している話が、三杉にはまったくわからない。カチカチと歯を鳴らして怒りを露わにするルニーはさておき、三杉は逃げ出した男と、周りで遠巻きに見ている男たちにそう問うた。
「見てくれよ、これ。袖なしの服なんか着られないぜ」
そう言って差し出した両腕は、上から下まで歯形だらけだった。
「ふんっ。バカじゃないの? 女の子じゃあるまいし、よくそんな恥ずかしい台詞が言えるね」
「お前の歯形を晒してる方が恥ずかしいわ!」
もっともだ、そう言った別の男が、自分の腕をまくって見せてくれた。
「俺もここ、やられたんだ。犬に噛まれたくらい痛かった」
「俺はここ。ちょうど服で隠れるからマシだけど」
「俺なんてここだぞ。皮膚の薄いところを狙ったとしか思えない」
「俺もやられた。服ごと食い千切られるかと思ったぜ」
そうして次々に見せられた歯形は、腕から始まり、肩、首筋、脇腹、ふくらはぎ、脛、ありとあらゆる場所に見られた。
「何をやってるんだ、お前たち?」
二週間もの間、ルニーに噛みつかれながらこの城を目指していたらしい。まったくもって意味不明である。
「初めからわかるように説明してくれないか。お前たちが何をしたいのかひとつもわからない」
誰かに説明を求めると、ルニーが会話を攫った。
「歌うたってたらさ、うるさいって猿轡噛まされたんだよ。ひどくない? あんまり腹が立つからみんなに噛みついてやったんだよ。この恰好じゃそれぐらいしかできないだろ? それからしばらくは機嫌よく歌えてたんだけど、ある日からどうにも眠気が差してさ、変だ変だと思ってたら、ごはんに眠り薬混ぜてたんだよ! また齧ってやったよ。そこでちょっと気が緩んだら、このあいだなんて痺れ薬混ぜてたの! もうさ、人のやることじゃないよね!」
一服盛られたルニーも気の毒だが、あの歌を聴かされていた男たちも気の毒だ。人としての道を踏み外したくなるのもわかる気がする。
「そうか。可哀相にな」
どちらにとも取れる意味で、三杉は言った。
「でしょう? まったく、扱いがひどすぎて参っちゃうよ」
ゴロゴロと転がりながら不満を口にするルニーだが、内装の整えられた荷馬車を目の当たりすれば、あながちそうとも言い切れないような気がした。
背後で男たちがぼそぼそと文句を言っているが、ルニーには聞こえていないのか、ひたすら転がっている。