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第6話

 ◇



「さて、俺はこの先、一体どうしたらいいんだろう?」


 味気ない朝食後にまた二人で取り残され、お互い無言で考え込んでいた矢先に、ふと華青が素人役者のように棒読みで言った。

 三杉は面倒臭そうに華青に目を向けた。

「それは私に訊いているのか?」

「いいや、独り言だ。気にするな」

 聞こえるようにはっきり言われたら気にもなる。そして華青の言葉通り、三杉も自分の行く末が大いに気になる。


 三杉は破流姫を裏切ったのだ。命に背き、好意を踏みにじり、恩さえ足蹴にした。絶対に許されるわけがない。良くて追放、悪くて処刑だ。裏切るつもりなどなかったが、結果的にそうなってしまったのだから、ただ二つ返事で罰を受けるしかない。それが今、別室で議論されているに違いなかった。


「永久追放かな……人権剥奪かな……さらし首かな……」

「おい、縁起でもないこと言うなよ。怖くなるだろ?」

 ブツブツと一人の世界で呟く三杉の物騒な台詞に、華青は怖気で鳥肌が立ち、両腕を擦って身震いした。それからおもむろに三杉の隣に椅子を並べ、小声で言った。


「なぁ、あの兵士、やっぱ強いのか?」

 『あの』と言い指した兵士二人は、いまだに扉の真ん前で微動だにせずに立っている。

「そりゃあ、腕が立たなければ衛兵など務まらない」

「俺たちよりも?」

 何が言いたいのかに気づいて、三杉はまた呆れたような目を華青に向けた。

「馬鹿なことを考えるな。これ以上姫様を怒らせてどうする。確実にさらし首だぞ」

「これ以上はもうねえよ。万事休す。絶体絶命」

 軽い口調で言われたが、確かにそうだ。処罰が下されるのを待っている状態で、これ以上も以下もない。破流姫の逆鱗に触れておきながら、まだ逃げ道を探して足掻こうとする自分の諦めの悪さに呆れた。


 役目を切り捨てられて以降、意見も希望も尋ねられるどころか、返事すら求めてくれなかった。いつものように罵倒してくれればわかりやすいものの、どうも旅のあいだに新たな怒りの表現を身につけたらしい。わかりにくいからこその恐怖というのを、身に染みてわかったのはついこのあいだだ。今しがた、楽しげに朝食を取っていたからと言って、機嫌がいいとは言い切れないのだ。


「大人しく姫様の処罰を待つしかない。どう足掻いたって所詮、姫様の手のひらの上にいるんだ」

 いつもの後ろ向きな思考力を発揮して溜め息交じりに言った三杉を、華青は叱咤した。

「何軽く諦めてんだよ。もしかしたら何か方法があるかもしれないだろ? もっとよく考えろよ」

「無駄だよ。華青は姫様のすごさを知らないからそんな希望が持てるだけだ。もう何をどうしても無駄。逃げ道を見つけて、それをことごとく踏み潰される気持ちがわかるか? 上手くいったと思っても、飛びついた最後の細い糸さえ、姫様は後ろから容赦なくぶった切る方なんだ。あるいは偽物をつかまされて地の底に真っ逆さま……」


 淡々と語る三杉の経験談に、華青はさすがに空恐ろしいものを感じた。

 腕力や剣技で渡れる相手ではないことに、今更ながら気づいた。王族という権威ある者に対して何を武器に戦えばいいのか、まったく見当もつかない。戦うどころか、下手をすると足掻くことすらできずにこの世と別れる可能性も大いにある。これまで培ってきた経験や知識、技術が何一つ役に立たない、いわば最強の敵に囚われてしまったのだ。


「嫌だ! 俺は逃げる! 死んでも逃げるからな!」

 そう叫んで、華青はいきなり扉の前の近衛兵に突っ込んで行った。

「華青!」

 相当焦っていたらしい。そうでなければ、立ちはだかる近衛兵に正面からぶつかって出て行こうなどという、無謀で浅はかな行動を取るわけがない。

 案の定、簡単に両腕を取られ、部屋の中に押し戻された。

「退け! 邪魔するな!」

 今度は兵士を敵と認識したのか、腰に下げた剣に手をかけた。近衛兵にも緊張が走り、同じように腰の剣を掴んで身構えた。

「おい、華青! やめろ、こんなところで!」

 華青は兵士と睨み合ったまま返事をしなかった。目の前に集中して聞こえなかったのかもしれない。

「華青。今は大人しくしていろ。ここは剣を抜くような場所じゃ――」

 言っているそばから、華青はわずかに剣を抜いた。やはり聞こえていないらしい。このままでは切り込んでしまうかもしれない。

 近衛兵の二人も華青から目を離さず、静かに同じだけ剣を抜いた。お互いが出方を見て、一触即発の様相を呈している。

 華青から飛び掛かって行けば反逆罪だ。兵士に斬られても文句は言えない。兵士が先に斬りかかってきたとしても、それは華青を危険と判断したためで、やはり華青が悪いことになる。どちらにしても華青には不利だ。

「華青、頼むから大人しくしていてくれ。お前だけは許してもらえるように、私から何とか姫様にお願いするから」

 聞いてもらえるかどうかまったく期待は持てなかったが、この場を収めるなら嘘も方便と割り切った。

「私がそそのかしたんだと言えば、華青は何の罪にもならない。無事に城から出してやるから。だから剣から手を離せ」

 自信の無さが声に出てしまったのか、自分で言いながら、どうも嘘くさい、と感じた。


 何だかもうどうでもよくなってきた。今更大人しくしていたってどうせ断罪されるのだから、気が済むまで暴れ回ったらいい。罪の重い軽いはあるだろうが、今更些細な問題だろう。どんな処分が下されようと、黙ってそれを受け入れる以外に道はないのだ。


 華青を止めるのを早々に諦め、巻き込まれないように後ろへ下がったその時、前触れもなく部屋の扉が開いた。


 そこにいたのは近衛隊長だった。八百屋のおやじ、と言っても違和感のない、柔和な細い垂れ目と口髭の男だが、剣を持つと人が違ったように荒ぶる武人となる。性格は豪快だが、女性には優しく、そのため城の侍女たちに人気がある。いまだ独り身と言うのも人気の秘密だ。


「おぉ? 何だか面白そうなことになってるな」

 緊迫したこの場を暢気にそう表現した。戦いに血が騒ぐと豪語している武人は、剣を抜きかけて睨み合う三者を見て一瞬驚きはしたものの、次には仲間に入れてくれと言わんばかりに自分も腰の剣に手をかけて進み出た。

禎那ていな様、おやめ下さい! 姫様に危険が及びます!」

 近衛隊長の後ろから、何事かと部屋の中を覗き込んでいる破流姫が危なっかしい。

「おっと、そうだった」

 禎那は破流姫を恭しく部屋の中へ促し、

「お前、外へ来い」

 そう言って華青を指先で招き、踵を返した。

「おう、受けて立ってやるぜ!」

 気が昂っている華青はいとも簡単に禎那の誘いに乗った。

「お前らもまとめて叩きのめしてやる!」

 本来の目的も忘れ、華青は睨み合っていた近衛兵二人に指を差して言い放った。

 剣に慣れた華青と、やや好戦的な禎那の打ち合いは見てみたい気もするが、傍観者の自分がまさかノコノコついて行くわけにもいかない。

 三杉は少々羨ましそうに全員を見送った。


 そして破流姫と二人きりで部屋に残されたことに気づいて冷や汗が滲んできた。

 怖くて振り向けない。頭が真っ白になり、何を言うべきかまったく思いつかない。どうしよう。その言葉だけが浮かんでは消えて行く。


「三杉」

 静かなその呼び掛けに大きく肩を揺らして、恐る恐る振り返った。

 どこか不機嫌そうな面持ちが、三杉の小さな心臓をますます縮み上がらせた。

「も……」

 反射的に言葉が漏れた。

「も?」

 不可解そうに眉間に皺を寄せる破流姫の容貌は、美しさに『悪魔的』という言葉が加わり、三杉を恐怖に陥れた。

「も、申し訳ありません!」

 三杉は崩れるように床に膝をつき、額をつけた。

「姫様には大きな御恩を受けておきながら仇で返したも同然です。ご迷惑ばかりお掛けして従者の役目もロクに果たせず、最後には裏切るような真似をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。どんな処罰でも受ける覚悟です。ですが、華青だけはどうか許してやってください。無礼な奴ですが、元はと言えば私が姫様の素性を隠していたのが原因なのです。私が悪いのです。華青は怖くなって逃げようとしただけです。身の程も弁えずにこんなお願いをするのは図々しいとわかってはいます。華青の分まで私が罰を受けますので、どうかお願いします。私の最後のお願いです。どうかあいつだけは許してやって下さい。お願いします」

 この世の置き土産に人のためになることができれば、少しは気分よく旅立つこともできるだろう。無駄な努力に終わったとしても、最後まで頑張ったという自己満足が得られる。もちろん、努力は実を結んで欲しい。華青のためにも、自分のためにも、今はそう祈るだけだ。


 どちらに転ぶか、ひたすら身を縮めて破流姫の言葉を待つ。良しと言われるか、あるいは否と返ってくるか。判決を待つこの一瞬が、異様に長く感じる。緊張し過ぎてバクバクとうるさく鳴る自分の鼓動を聞いていると、時間の感覚がなくなってくる。とてつもなく長い時間を耐えていると、次第に後ろ向きな想像が頭に浮かんできた。


 許しの言葉などもらえるのだろうか――それはきっとないだろう――、責め立て、蔑む言葉かもしれない――一体どんな罵詈雑言が降り注ぐだろう――、それとも愛想をつかせた冷めた一言か――むしろその方がありがたい――、もしかすると暴力に訴え出るかも――気が済むまで殴られ、蹴られよう――、果たして破流姫はどう答えるのか。


 胃がキリキリと痛み始めた。息を飲んで堪える。このまま言葉を待っていたら、床に這いつくばったまま息絶えてしまいそうだ。

 もしかするとそれが答えなのかもしれない。緊張の挙句に胃を痛めて、勝手にコロリと逝ってしまえ。そういう意味なのかもしれない。


 そう弱気になったとき、ふと気配がそばに寄った。片腕を取られ、引っ張られる。

 顔を上げるとそこに破流姫がいた。

「姫様……」

 破流姫の『悪魔的』な美しさは鳴りを潜め、いつものただただ美しい破流姫だった。

「お前が何を言っているのかよくわからないが、何か悪いと思っているなら手を貸して欲しい」

 最大限の謝罪も『よくわからない』と一蹴されてしまい、気が抜けると同時に力も抜けた。


 何が悪かったのだろう? ちゃんと謝ったはずなのに。謝り方が足りなかったのだろうか? それとも罪のひとつひとつを上げて、それについて謝罪しますと言えばよかったのだろうか? もしかして何を謝っているのかわかっていない? だから『よくわからない』と……。


 三杉は正座のまま項垂れ、肩を落とした。胃がシクシクと痛み、背中も丸めた。


「落ち込むのは後にしてくれないか。私に最大の危機が迫っているんだ」


 最大の危機。


 その言葉に驚き、胃痛も忘れて破流姫を見上げた。

「な、何があったのですか? 最大の危機って……」

 破流姫は何やら難しい顔をした。口元に手をやり、少し考えてから口を開いた。

「長く城を開けていただろう? そのせいで……」

 言い難そうに言葉を止めた。


 そのせいで何があったと言うのか。黙って城を開けて父王に叱られたが、そのほかに、それ以上に、何か大きな問題でもあったのだろうか。


 はやる気持ちを抑え、破流姫の次の言葉を待った。

 破流姫はふぅ、とひとつ溜め息を吐いて、それから思い切ったように言った。

「城を空けていたあいだ、もちろんのこと授業はすべて休みだ。休みと言うより放ったらかしだ。お陰で各教科に山のように宿題が出されてしまった。私一人の手では到底捌き切れない。だから三杉、手を貸してくれ」


 泣いていいのか笑っていいのかわからず、固まった。




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