第5話
◇
あたたかいあなたのもとへ
軽やかに弾む心と
愛を紡ぐ言葉を携えて
風に乗って会いに行く
ほら、もう少し
ほら、もうすぐそばに
あなたは笑って手を振っている
誰もが知っている古典的な愛の歌を、機嫌よく大声で、しかしお世辞にも上手いと言い難い調子ハズレな音で歌うのはルニーである。
「何でお前はす巻きにされながらご機嫌なんだ?」
荷馬車の荷台に、見張りの役目で同乗している大柄な男が言った。その顔には『うんざり』と言う表情が色濃く出ていた。
「何でって、そりゃあ、こんな楽な旅はないからさ。楽に移動できて、眠たきゃ好きなだけ寝て、腹が減ればご飯も出てくる。夜はちゃんと布団で寝かせてもらえるしね。それが一切タダ! まぁ、す巻きにされるのは窮屈だけど、でもあったかいし」
荷馬車の周りを固めている男たち全員、それを聞いて肩を落とし、溜め息を吐いた。
苦労してようやっと捕まえたのだから、せめて殊勝に落ち込んでいて欲しかった。あるいは逆に騒ぎ立てて抵抗する。こうも暢気に旅を楽しんでくれては苦労した甲斐がない。
仮にもダイヤクラスの男だから、数人が束になったところで敵う相手ではなかった。それでもその束で次々と飛び掛かれば、華麗に暴れ回わっていても、最終的に捕まえることができた。ルニーの不運か、男たちの幸運か、それとも後で待っている褒美の効果か。抵抗できないように毛布を捲いて、その上から縛りつけ、片時も目を離さずに取り囲んで朝を迎えた。陽が昇ってから荷台に転がして出発した。街にいたギルド所属の傭兵のほとんどが同行し、目を光らせてルニーを見張った。
いくらルニーでも、す巻きにされては逃げるどころか、身動きも取れない。散々悪態を吐いて騒いでいたが、疲れたのか、すぐに大人しくなった。と思ったら眠っていた。適度に風の吹く心地よさと、夜通し逃げ回っていた疲労のせいだろう。これなら楽勝だと、誰もが笑った。
食事時にはなるべくきちんとした食事を与えた。連れて行ったときにやせ細っていたら、自分たちが処罰されると思ったからだ。そしてきちんと見張りができるように宿に泊まった。足と手を寝台に紐で繋ぎ、部屋の中、廊下、宿の外にも見張りを置いて警戒した。行く先々で噂を聞きつけた傭兵たちが合流し、ルニー護送隊は次第に数を増やしていった。まるで大罪人を扱うかのごとく大所帯になっていったが、中心にいるルニーは暢気なものだった。
荷台に転がったまま、ヒマだヒマだと騒いでは大欠伸を連発し、腹が減ったと言っては食べたいものに注文をつけ、おやつまで催促し、揺れる荷馬車で背中が痛いと文句を言って、ふかふかのお昼寝布団も要求した。もちろん枕つきだ。通りかかる街に気に入った店があれば寄り道を要求し、道々景観を堪能するために回り道もした。連行されているわりに我がままだった。さすがに拘束までは解かれなかったが、なかなかに快適な旅をしているのは間違いなかった。機嫌よく大声で歌い出すのも時間の問題だった。
ただ、ルニーの歌声は壊滅的にひどかった。剣の腕は一流なのに、黙って立っていれば愛らしささえ漂うのに、歌だけは聞くに堪えない。あまりにも耳障りで、誰かが猿轡を噛ませた。声も出ないのに殺気立つほど怒り、全員を固まらせた。食事時にそれを外した途端、拘束されているとは思えないほど暴れ回って、手当たり次第に噛みついた。護送隊のほぼ全員、どこかしらにルニーの歯形を持っている。
それ以降、猿轡はやめよう、と全員の意見が一致し、歌とは呼べない歌を我慢して聴いている。
しかしそれが一週間近くも続くと、さすがに我慢も限界がきていた。殴って昏倒させるには後が怖いし、歯形を増やすのも嫌だし、やめろと言ってやめるわけもないし、全員に鬱屈が溜まって行く。近いうちに爆発するのは誰か、お互いがお互いを観察し合ってもいる。
精神的疲労が日増しに濃くなっていくルニー護送隊であった。
◇
「おはよう、二人とも。どこかへ出かけるのか?」
窓越しの眩しい朝日を身に浴びて、破流姫は一段と輝かしい笑顔を見せた。
その輝きに当てられ、三杉と華青は殊更憔悴して見えた。
「あのよ、破流……姫様。これは一体何なんだ……ですか?」
妙な口調で華青が怒りを抑えつつ、破流姫に問うた。本当なら怒鳴り散らしたいところを、破流姫の立場と、後ろで扉を守り固めている無表情な兵士を警戒して堪えていた。
「何がだ? 朝食を一緒にと思っているだけだが」
白々しい、と、三杉も華青も瞬間に思った。そして簡単にブチ切れたのはもちろん華青だった。
「お前なぁ! 何でこんなところにずーっと監禁されなきゃなんねぇんだよ! しかも三杉と一緒って何だ! どういうつもりだ! ……と三杉が叫んでましたです」
「えっ!?」
勢い込んで怒鳴りつけたものの、最後には我に返ったのだろう。突拍子もない台詞を吐いて、三杉に罪をなすりつけた。
とんでもない責任転嫁に、三杉は腰が抜けそうなほど驚いた。罷り間違っても三杉に破流姫を罵倒するような勇気など、これっぽちもあるわけがない。
「ななな何言ってんだ、華青!」
勢いよく華青に飛びついて胸倉を掴み上げた。
「私がそんな無礼な真似をするわけないだろう!?」
「でも愚痴ってたじゃないか」
「そ、それとこれとは、別だ」
「姫様の気紛れにはほとほと困る、って聞いた気がしたけどな」
「違う! 違います、姫様! 私はそのようなことは……!」
破流姫は眇めた目で三杉をひたと見つめ、ふうん、と言った。三杉は真っ青になって華青を突き放して破流姫に詰め寄った。
「本当に違うんです! 華青の嘘です! 私は姫様の先読みには感心させられると、そう言っただけで、姫様を貶めるようなことなど言うはずがありません!」
しばし冷たい目で三杉を見ていた破流姫は、面倒臭そうに片手をひらひらと振りながら、窓際に配置されたテーブルに向かい、椅子に腰掛けた。
「まぁ、お前たちも座れ。じきに朝食がくる」
三杉は破流姫の言葉に釣られるように、よろよろと近寄って行って倒れるように腰掛けた。それを見て華青は大きな溜め気をひとつ吐き、仕方ないと言った風に乱暴に座った。
「私の先読みが当たったということは、つまりお前たちは、私の考えていた通りの行動を取ったということだな?」
破流姫が静かにそう言うと、三杉も華青もぎくりとして、そして黙秘した。
「私の読みはこうだ」
破流姫は言葉を切って、目の前の男たちをじっくりと観察した。
三杉は疚しさから緊張しきって身体を強張らせ、じっと俯いていた。顔色は青から白へとさらにひどくなっている。ぎゅっと結んだ唇も、震えそうなのを堪えているようだ。
華青の方は不貞腐れたようにそっぽを向いている。しかし視線は定まらず、落ち着きがない。軽く咳払いをしてみたり、もぞもぞと座り直したり、こちらも緊張しきっているのがわかる。
「お前たちは私が決めたことに不満を持っていたはずだ。華青は開き直って楽しんでいたようだったが、腹の底では別なことを考えていたに違いない。だからあの時が最後と思って存分に楽しんでいたのだろう」
華青はさらに落ち着きなく、きょろきょろと辺りに視線を飛ばした。
「三杉はすぐ顔に出るから、困っているのが手に取るようにわかった。だがそれを父上にも口にすることができないでいた。このままでは不本意なまま事が進められてしまう。お前の意見など聞かないと言ったから、言葉では埒が明かない。そうであれば取るべき手段はひとつだろう」
三杉の項垂れた首はますます下がり、ほとんどテーブルにつきそうだった。
「二人の思惑が一致すれば、示し合わせて行動に出るに違いない。お前たちは仲がいいからな。人に見られてはまずいから、部屋に戻ってすぐと、夜が明けてからでは駄目だ。城の中が寝静まった真夜中から、空が白み始めるまでの数時間。そこが狙い目だ」
淡々と解説する破流姫に取り調べを受けているような二人は、無言のままで何も答えられなかった。答えればそこからボロが出てしまいそうだった。すでに看破されている状況で何の言い訳もできるわけがないのだが。
「しかし考えてみると、二人一緒のところを捕まえるより、別々の方が捕まえやすいのではないか。お前たちはダイヤクラスだからな。二人結託して刃向ってきたら、いくら衛兵と言えども手を焼くのではないか。ひとりに数人で掛かれば、さすがのお前たちでも逃げ切れまい。さらに不意をついて急襲すれば抵抗もさほどではないだろう」
いったいこのお姫様は、可愛い口から何を言っているのだろう、と華青は思い、三杉は、実戦と呼べるものに乏しいのに、戦略だけは立派なものだと感心すらした。
「部屋の前で見張っていれば気配に感づくかもしれない。少しだけ泳がせて、二人が合流する前に捕まえろ、と、そう指示しておいた。部屋へ連れ戻してもよかったが、ここで顔を合わせたときの驚きぶりを想像してみろ。なかなか楽しいものがあるだろう? 自分たちの考えの甘さを反省し合うのか、それともどちらかがヘマをしたと詰り合うのか。それはさすがにわからなかったが、さぁ、どっちだった?」
楽しそうな破流姫に、何も言うことができずにいる男たちだった。