第4話
独りでも盛り上がっている華青とは対照的に、三杉は疲れたように椅子に腰を下ろし、溜め息を吐いた。
「何だ、何だ、辛気臭い。人一倍浮き足立ってるべき男が、何を溜め息なんか吐いてんだよ?」
「私は今、誰よりも思い悩んでいるよ」
そう沈んだ声音で言って、三杉はまた大きな溜め息を吐いた。
「この世でお前ほどついてる男はいないぞ? あの破流姫様を嫁に……いやいや、求婚される男なんて、世界のどこを探してもお前しかいないんだからな。しかも身分も何もないお前を、王様直々に婿にきてくれって頼んでたんだろ? 前代未聞だぞ? 何が不満だってんだ、贅沢者め」
人の気も知らないで暢気な奴、と華青を恨めしく思った。
「お前はいいよな。近衛兵なんて」
できるなら自分もそっちが良かった、と、誰が聞いても罰当たりな台詞を呟けば、華青は身を起こして胡坐をかき、怖い顔で窘めた。
「おい、間違ってもそんなこと、余所で言うなよ? 世間様を敵に回すぞ」
言うわけもなかったし、言えるわけもない。気心を許した華青だったから、同じく破流姫に身の振り方を強制的に決められた同士だったから、つい愚痴ったまでだ。
「何が嫌だってんだ? 周りはみんな喜んでるじゃないか。お前だけだぞ、渋ってるのは。そもそも、お前は破流姫様が好きなんだろ? 一目惚れして、そばにいたいがために城勤めになったって、俺たちの間じゃみんな知ってる噂まであるのに、いざ向こうからお前を婿に欲しいって言われたら尻込みするのか?」
「それは……」
一目惚れの事実をみんなが知っているのかと、そっちの方に言葉を詰まらせた。
「高嶺の花に好きだって言われて、一国の王に婿にきてくれって頼まれて、それでも渋る理由は何だ?」
「そんなこと決まってるじゃないか」
身分が違い過ぎる。
三杉の心を占めているのは、ただそのことばかりだ。
身分が違えば住む世界も違う。城暮らしとはいえ、三杉は一介の従者で、王族になどなり得ない立場なのだ。
「だからそれは王様が解決してくれただろ」
身分がなければ与えればいい。
果たしてそれで本当に解決したと言えるのか。
「こういう話を聞いたことがあるか? いくら駿馬と呼んでもロバはロバ」
言った途端、華青は笑い弾けた。
「面白いな、それ。誰が言ったんだ?」
誰が言った言葉なのかは知らないが、言い得て妙だな、と三杉は感心したものだ。華青には笑えるほど面白いらしいが。
「どこかの誰かの的を射た言葉だよ。どんな言葉で飾ったって、中身まで変わるものじゃない。ロバはあくまでロバなんだ」
ふうん、と華青は後ろ手で身体を支え、考えるように宙を見上げた。それから思いついて言った。
「でもよ、駿馬みたいなロバだって言ってるようにも聞こえるぞ」
「それでもロバだろう?」
「そういう型にはめた考え方が駄目なんだって。ロバだって努力すればロバ界の頂点に立つことができる。駿馬そのものにはなれなくても、そこに近い能力を持てるんだ。ロバの中では一番駿馬に近いロバなんだ」
なるほど、と思った。
言葉の裏を読み、逆の発想で解く。どこまでも前向きな華青らしい考え方だ。
それに対して、自分はつい後ろ向きな発想をしてしまう。
「でも、本物の駿馬と比べたら……」
そう言ってから少々自己嫌悪に陥った。
「駿馬じゃないんだから、比べる必要はない。比べるならロバと比べろ。それに、乗ってる奴がロバでいいって言ってんなら、ロバでいいんだ。駿馬は求めてない」
どうしてこう前向きで、しかも強気でいられるのだろう。自分もこんな風に考えることができたら、もう少し楽に世渡りができただろうに。いつまでもくよくよと思い悩むこともなく、胃痛を持病に抱えることもなかっただろう。
「私が華青だったらよかったのに」
前々から華青の大胆で思い切りのいい性格を好ましく思っていたが、今日ほどつくづく思うことはない。
「何言っちゃってんだよ。俺に成り代わったって、近衛兵にはなれないからな」
「代わってくれよ。私が姫様の護衛になるから」
「馬鹿言うな。姫様はお前がいいんだろうが」
そう言われると返す言葉もない。護衛兵でも流浪人でも、破流姫は三杉個人を見て欲しがってくれたのだから、どんな立場だろうが関係ないのだ。
一瞬、得も言われぬ嬉しさが込み上げてくるが、次には罪悪感に捕らわれる。
「あぁ、どうして私なんだ? 失敗ばかりして叱られる方が多いって言うのに」
三杉はとうとう頭を抱えた。
自分のどこを見ていいと思ったのか、我ながらさっぱりだ。確かにギルドの仕事をしながら放浪していた時代の話には食いついて聞き入ってくれていたが、あれは単に冒険話に興味があっただけで、三杉個人に興味があったわけではないだろう。
破流姫は冒険好きだ。隣国でやりたい放題たくさんの経験をした先日は、いつにも増して楽し気で生き生きとしていた。それに対して自分は、自分でも愛想が尽きるほどの駄目っぷりだった。今までよく無事に世間を渡り歩いてきたものだ。ギルドの称号も何かの間違いで、ダイヤを返すべきなのではないだろうか。
「馬鹿な子ほど可愛いって言う、あれじゃないのか?」
遠慮もない華青の言葉に傷ついた。
「どうせ私は駄目な奴だよ……どうしようもない馬鹿なんだ……」
頭を抱えたままブツブツと自分を卑下する三杉を無視し、華青は大きく伸びをして立ち上がった。
「さて、高級な布団を堪能してくるか。今後、二度とないだろうからな」
そう言って行きかけた華青を、三杉は咄嗟に捉まえた。
「待て。どこに行く?」
「え……俺の部屋」
片頬を引きつらせ、わざとらしく笑って見せる華青に、三杉は思い切り不審な目を向けた。
「二度と、とはどういう意味だ?」
「あー、それはだな、えー……」
視線を逸らして必死に頭を働かせている。言い訳を考えています、と言っているようなものだが、自分でそれに気づいていないらしい。うーん、と唸りながらあっちを向き、こっちを向き、頭を掻いては腕組みをし、天井を睨んではコツコツと踵を鳴らす。
三杉はそれを黙って眺め、答えが出るのを待ってやった。
「あっ、そうだ!」
華青は晴れやかな顔をしてポン、と手を打った。ようやく苦しい言い訳を思いついたようだ。
「兵舎に入ったら高級な布団で寝起きはできないだろ?」
自分で説明して自分で頷いた。
あからさまな大ウソが痛々しいが、三杉は容赦なく指摘した。
「兵舎にだってちゃんとした寝具がある」
三杉の言葉に、華青は微笑んだまま何も言わなかった。
「お前、逃げる気だな?」
「まさか!」
三杉の低い呟きに、華青は即座に叫んで手と首を一緒に振った。それがいかにもわざとらしく見えた。
「ずるい、お前。ひとりで逃げるなんて薄情だな」
三杉は必死と華青の上着を掴んで離さなかった。それとなくその手を剥がそうと、華青は引っ張り返す。
「いや、ずるいって、お前――」
「私も連れて行け」
「……は?」
ピッ、と破けた音が、華青の真の抜けた声の後に続いた。
「あーっ、破けた! どうしてくれんだよ! まだそんなに着てないのに!」
無理矢理三杉の手を剥がして、皺くちゃになった上着の裾を広げてみる。剥ぎ合わせた縫い目がほつれていた。
「服なら買ってやるから、私も一緒に逃がしてくれ」
「馬鹿言うな! 逃げたってどうせ破流姫様が地の果てまで追い駆けてくるぞ。とばっちり食って酷い目に遭うのは嫌だ」
後者が本音だろう。ほつれがひどくならないように丁寧に皺を伸ばしながら、華青は言った。
「頼むよ。一生恩に着るから」
捕まえようとしたのか、縋りつこうとしたのか、三杉がまた手を伸ばしたので、華青は慌てて後ろに跳んだ。
「何でだよ? 何でそんなに嫌なんだ?」
言いながら破けた箇所を両手で挟んで、それで元に戻すとでも言うようにぎゅっと押さえた。
「それが姫様のためなんだ。姫様にはきちんとした身分のある方と結婚して、この国を守っていただかなくてはならないんだ。何も持っていない私じゃ駄目なんだ。私なんかに執着していたら姫様どころか、王様も、この国も、軽んじられてしまう。わかるだろう? 私には分不相応なんだよ」
破流姫がパン屋の店員、あるいはお針子の娘、少なくとも街で暮らす平凡な女性であれば、三杉がこうも思い悩むことはなかっただろう。立場が違うと障害が大きく、本人同士が良くても周りの反応は否定的なものが多いはずだ。いくら破流姫が破天荒で、そういった見方をものともしなくても、三杉の性格ではそうはいかない。いつも自分を卑下し、後悔し、破流姫に対して罪悪感を持ってしまうだろう。そんな伴侶を持っては、破流姫は幸せになどなれない。破流姫が幸せになれないのなら、三杉はそばにいてはいけないのだ。
「まぁ、わからないでもないけど。お前はそれでいいのか? 破流姫様を怒らせるだけだぞ?」
三杉は項垂れ、力なく頷いた。
「いいんだ。将来のことを考えれば、その方が絶対にいい。この国や姫様の幸せのためなら、私は進んで恨まれるよ」
華青は黙って考えながら、ほつれた裾を撫でてそっと伸ばした。どうしたって千切れた糸が飛び出し、合わせてあった布は口が開いたように離れてしまう。
「そっか。お前がいいって言うなら仕方ないな。自分でそう決めたんなら、俺は何も言わないよ」
三杉への説得を諦めるのと同時に、破けた上着をくっつけようとするのも諦めた。
「本当か? 私も一緒に連れて行ってくれるか?」
「あぁ、いいぜ。但し!」
華青はビシッと三杉の眼前に指を突きつけた。
「今から三時間後だ。高級な布団を堪能しなけりゃもったいない。お前もこれが最後かもしれないから、充分寝ておけ。日の出前には出るぞ」
高級な布団に未練はなかったが、破流姫との幸せな思い出ばかりの城を出て行くには多少の未練が残った。
今となっては叱られてばかりの毎日も懐かしい。あの怒鳴り散らす破流姫の声が聞けなくなるのかと思うと涙が込み上げてくる。突拍子もないことを言ったりやったりして、ハラハラさせられることもなくなるのかと思うと、寂しくて堪らない。あの傍若無人さも無鉄砲さも、もう自分とは係わりないところで誰かに押しつけられるのだと思うと、嫉妬すら湧き起こる。
剣術を習うときだけは素直だった。指摘や指示を黙って受け止め、忠実に繰り返し、真剣な眼差しで修練していた。剣を振る度に跳ねる黒髪が美しくて見惚れたものだ。三杉が褒めると満足そうに笑うあの美しさは、確かに自分だけのものだった。
自分は本当に破流姫が好きだったのだと、今更ながら思った。