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第23話

「ちゃんとあいつらのお墨付きをもらったが、気になって他の者にも試食をさせたらそれだけになってしまった」

 ふふ、と照れたように笑う、珍しい破流姫の可愛らしい気がかりが三杉の心を直撃した。


 自分のために一生懸命作ってくれた焼き菓子。どんなものが好きかまで調べて作ってくれた。何度も失敗し、ようやっと上手くできてもまだ不安は消えないようだ。笑ってはいるが、きっと三杉の反応を緊張しながら見ているのだろう。


 綺麗な焼き色の、砂糖のついた丸いものをつまんで口に入れた。ほろほろとまではいかないまでも、サクサクと歯ごたえがよく、砂糖が乗っていても甘さは絶妙だった。


 どことなく不安げに見える破流姫を直視できなかった。視界が涙で滲み、堪える間もなく零れてしまった。

「口に合わなかったか?」

 落胆した声に、反射的に首を横に振った。

「いいえ! いいえ、姫様。美味しいです……とても、美味しいです」

「本当か?」

「はい、本当に。こんなに美味しいお菓子を食べたのは初めてです」

 味も確かに美味しかったが、何より破流姫が自分のために作ってくれたという事実が、味以上に三杉を感動させていた。

「そうか、よかった」

 ほっとして微笑む破流姫が、滲んでしまってよく見えない。

「ありがとうございます、姫様。本当に嬉しいです。本当に。ありがとうございます」

 嬉しくて涙が出るなど、生れて初めてだった。こんなことがあり得るのかと思うほど、感動が涙腺を刺激する。

 本当に本当に嬉しかった。恋した人が自分のためにお菓子を作ってくれた。自分を想いながら何度も失敗を繰り返して作ってくれた。その気持ちを思うだけでも感動で涙が込み上げる。

「泣くな。お菓子くらいで」

 そう言った破流姫の声は、呆れ半分、嬉しさ半分に聞こえた。

 三杉は何度もお礼を言った。それぐらいでは感謝しきれないほどの気持ちを、どう伝えていいやらもどかしく、それでやっぱり何度もお礼を言った。


「お前が喜んでくれたならそれでいい。これで私もあの娘に対抗できる」

 破流姫も嬉しそうにそう言ったが、最後の台詞が意味不明だった。


「……あの娘?」

 三杉は袖で溢れてくる涙を押さえ、呟いた。

 破流姫はふわりと椅子に腰掛け、三杉には衝撃の一言をさらりと言った。

「街でお前に焼き菓子をあげていた娘だ」

 心臓に何かが突き刺さった。一瞬息が止まり、胃が絞られるように痛んだ。

「華青が言っていた。お前は手作りに弱いと」

 そう言えば、大分前にそんなことをばらされたような記憶が微かに残っていた。


 街でのことは三杉には何でもない出来事だったが、やはり破流姫にはそうではなかったらしい。ルニーに指摘されてすぐに言い訳し、謝罪したのだが、あっさり許してくれるなどおかしかったのだ。今の今まで根に持っていたようだ。手作りに弱いのならば自分も、とあのときの彼女に対抗心を燃やしていたのか。

 結局は三杉のためではなく、自尊心のためか。


 急に手の中の焼き菓子が色褪せて見えた。急上昇して破裂した感激は、ユラユラと光を失って下降してきた。

「姫様、私は姫様が作ってくれたお菓子だから嬉しいのです。手作りだからではなく、姫様が私のために作ってくれたという事実が嬉しいのです」

 今度は失望で涙ぐみながら、震える声を押さえて訴えた。

「だがお前は、あのときも嬉しそうだった」

 とっさに返された言葉には何も言い訳できなかった。

 確かに嬉しかった。誰にせよ、自分のためにしてくれたものは何だって嬉しい。だが、あの嬉しさとこの嬉しさはまったく別物なのだ。そこをわかって欲しかった。

「私にとって姫様から頂くものは特別です。誰の、どんなものにも代えられません。ましてやあのとき初めて会ったあの子のものは……」

 そう言えばどうしただろう、と今初めて気づいた。あのときは必死に破流姫に言い訳していたから、持って帰った覚えもなかった。


 実は帰りの道すがら、押しつけられたルニーが華青と一緒に食べていたのだが、それすら知らない三杉だった。


「どうだった? 美味しかったのか?」

 その姿を見てすらいないのだから、美味しいかどうかなどわかるはずもない。

「知りません。今の今まで忘れてました」

 きっぱり言い切ると、破流姫はクスリと笑った。

「ひどいヤツだな、お前は」

 その言葉にはいつものような呆れた響きはなく、どこか悲しげな、妙な違和感を感じた。

「それも忘れられてしまうかもしれないな」

 破流姫らしくない、後ろ向きな台詞に心底驚いた。

「そんな! これだけは忘れません! 一生忘れません!」

 どんな目的にせよ、破流姫が三杉のためにと手作りしてくれたお菓子を、最高の幸せを感じた瞬間を、忘れようとしても忘れられるはずがない。

 押さえ切れない喜びに思わず涙が零れてしまうほど感激したことを、あまりわかっていないらしい破流姫がもどかしく感じた。

「それほどのものでもないだろう? たかが焼き菓子だ」

 たかが焼き菓子。されど焼き菓子だ。数個の小さなお菓子は、三杉の今までの人生の中で特別な意味を持つ、最高に嬉しい贈り物だ。

 姫君であればすることもないお菓子作りを、市井の娘と同じようにしてみたかっただけなどと言うが、あの場を目撃してヤキモチを焼いたからこそ、と思うのは自惚れが過ぎるだろうか? お菓子を作ってみたかっただけなら、いつものように高飛車に、どうだと言わんばかりに恩着せがましく振る舞ってもいいはずだ。だからと言ってあの感動は変わることはないのだから。


 やはり違和感を感じる。変な胸騒ぎまでする。


「気が向いただけだから、特別な意味はない。お前を縛るつもりはないからな」

 冷めた口調で意味のわからないことを言った。

 何のことだ、と頭に疑問符を浮かべた三杉に、破流姫はさらりと言った。


「お前は自由にしていい。ここにいたければいてもいいし、出て行きたかったら出て行ってもいい」


 三杉ははっと息を飲んだ。

 一瞬、解雇宣告かと思った。だが、いてもいなくても好きしろ、とは、三杉の考えを尊重した選択肢だと気づいた。つまり、結婚云々の話は白紙になったということだろう。


 破流姫は三杉を見ず、テーブルの上のカップの持ち手を指先でなぞりながら言った。

「本当はお前に無理強いをするつもりはないんだ。私が勝手に思っていただけだ。お前にとって苦痛なだけなら何の意味もない。だから三杉、お前の好きにしていい」

 これが居丈高な破流姫だろうか。勝手に決め、勝手に進め、誰の意見も聞かずに突っ走って行く思い切りの良さが、今ここでは鳴りを潜めて反省をしている。『反省』という言葉すら知らないのではないかと思われる破流姫だったが、するべきところはきちんとするらしい。

 あのままごり押しで通すかもしれないと戦々恐々だったのだが、はなから杞憂だったわけだ。

「では、すでにどなたか決まった方がいるのですか?」

 言ってくれれば焦ったり悩んだりしなくてすんだのに。

 だが、それはそれで悲しいものがある。

 何ともわがままな自分の気持ちが申し訳ない。

「そんな者がいれば、とうに準備が始まっているだろう」

 なぞっていたカップの持ち手に指をかけ、そのまま持ち上げもせずにじっと見ていた。

 その仕草がなぜか思いつめているようにも見えて、三杉は何だか不安になってきた。

「それでは、ご結婚は……」

 今すぐに結婚しなければならないわけではない。破流姫はこれから十六になる。この先、たくさんの王子や貴族の子弟と出会い、そこから愛する人を見つけて一緒になればいいのだ。

 そんな夢や希望があるにもかかわらず、破流姫は自嘲気味に笑った。

「どうだろうな。誰を見ても同じに見える。誰かが特別に見えたことはない」

 そう言って破流姫はゆっくりと首を動かし、三杉をひたと見つめた。

「三杉には誰かが特別に見えたことがあるか?」

 それはある。目の前の女性だけが、三杉には眩しく映るのだ。初めて見たときからそうだった。大勢の人の中にいて、破流姫だけが特別輝いて見えた。目が離せなかった。一瞬で捕らわれた。だからこうしてここにいるのだ。

「わ、私は……」

 告白したことはなかった。相手は王位継承権のある姫君だ。三杉がいくら想いを寄せようと、叶うはずもない相手だった。そばにいるだけで満足していた。言って迷惑がられ、遠ざけられるより、黙って仕えている方が幸せだ。

 破流姫はつい、と視線を外し、冷めただろうお茶を一口飲んだ。

「誰でも同じなら誰でもいい。適当に父上に見繕ってもらうまでだ。どうせなら近い方がいいから、隣国の黄色い頭の王子にしようか」

 自分の一生をそんな風に投げやりに考えて欲しくなかった。心が痛い。

「誰でもいいなどと言わないで下さい。きっと姫様を大事に愛してくれる方がいます。姫様なら必ず幸せになれますから」

 破流姫なら自分から幸せを引き寄せて捕まえ、自分のものにしてしまうくらい簡単にやってのけるはずだ。それだけの意思と行動力は持っているのだ。

 だが、本人はそれを信じていないらしい。いつになく消極的な台詞が返ってきた。

「そうだろうか? 私にはそうは思えない」

「どうしてです? 姫様にはまだこれからたくさんの方とお会いする機会があります。そこに姫様のお相手がいるはずです」

 春に花見と称したお見合いが開かれたのを皮切りに、今後、何かにつけそういった場が設けられるはずである。間もなく誕生日を迎える。そのときはきっと盛大に催されるに違いない。噂に高い破流姫だ。あらゆる王族、貴族の子弟が集まるだろう。その中からひとりだけを見つければいいのだ。きっと引き合うただひとりがいるはずだ。

「いなかったら? いつまで待ってもいなかったら? やっぱり適当に決めるしかないだろう?」

 はなから諦めていては、幸せが逃げて行ってしまう。なぜ理想や希望を持てないのか、破流姫らしからぬ弱気で後ろ向きな考え方が、あまりにも悲し過ぎて胸に込み上げてくるものがあった。

「います! 必ずいます! 姫様は必ず幸せになります!」

 叫ぶと同時に視界が滲んだ。溢れて零れそうで、息を詰めて堪えた。

 まだ若いのに、まだこれからだというのに、なぜこうも諦めているのだろう。これから恋をして、これから愛し合って、これからもっとずっと幸せになれるはずなのに。

「なぜお前が泣くんだ?」

 フフフ、と笑う破流姫が痛々しい。

「姫様は絶対に、絶対に幸せになります。絶対です。誰よりも幸せになるんです」

 袖で何度も目を擦るが、溢れる涙は止まらず、袖が濡れそぼって用を足さなくなってしまった。それでも、破流姫の前で大泣きするなど、恥ずかしくて顔を上げられず、滴りそうなほど濡れた袖を離せない。声だけは殺して肩を震わせる。


「三杉がいればよかったのにな」


 聞き逃しそうな呟きを拾った。

 歓喜が全身を駆け巡る。心臓がバクバクと音を立て、頭に血が上る。顔が熱いが相変わらず涙は滔々と流れる。

 こんなに心を寄せてくれているとは思いもしなかった。自分でも落ち込むほどの不甲斐なさに、時折嫌われているんじゃないかと思うこともあった。それでも追い払われずに済んだのは、破流姫の親切心なのかと思っていた。今までそばにいて許されていたのは、好意を持っていてくれたからなのだ。


「ひ、姫様……姫様は、私が……いると、お幸せに、なれるの……ですか?」

 しゃくり上げそうになる声を必死に押さえた台詞は聞きづらい。それでも破流姫はしっかりと聞き取り、答えてくれた。

「そうだな。私はそう思っている」

 それならば、三杉の取るべき行動はひとつだ。


「では私は……私はおそばに……私が姫様を……」

 幸せにします。


 そう続けようとしてはっとした。

 それではまるで求婚しているようではないか。破流姫にはしかるべき立派な男性と結婚してもらいたい。そうして幸せになってもらいたい。それは三杉のやるべきことではないのだ。

 だが、破流姫は三杉以外を愛そうという気はさらさらないようだ。他の誰かと適当に結婚させるくらいなら、一生そばにいて幸せにさせてやりたい。破流姫の幸せこそが、三杉の願いなのだから。


 言ってしまおうか。もう折れてしまおうか。


 優柔不断で決断力が乏しいはずの三杉は、一瞬ののちに決めた。


 どうにかこうにか涙を拭き取り、赤い目で破流姫を見据える。ゆっくりと歩み寄って傍らにひざまづき、破流姫の小さな白い手をそっと取った。

「姫様のおそばにいます。ずっと、一生。姫様をお幸せにします。ですから――」

 感極まって泣きそうになるのをグッと堪え、深呼吸してから言った。

「ですから、私と結婚していただけますか?」


 その瞬間、破流姫は見たこともない輝いた笑顔を見せた。

「はい」


 握り返してくれた手を両手で包み込み、三杉はまた泣いてしまった。





お付き合いくださいましてありがとうございました。

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