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第20話

「どうしたんですか? 華青と深刻なお話ですか?」

「姫様に見捨てられてどうしようって泣きついてきたんだ」

「違うだろ!」

 三杉は顔を赤くして怒鳴った。兵士は本気にしなかったようで、カラカラと笑った。

「姫様に限って、三杉さんを見捨てるなんてありえないよ」

「何でだ?」

「誰が見たって仲がいいだろ? 三杉さんは姫様のお気に入りだし、だから結婚したかったんだろうね。噂では、姫様が一目惚れしたって話だよ」

 初耳の噂話に三杉は唖然としつつも赤面した。

「ほんとか、それ? 俺は聞いたことないぞ?」

「華青がうちにくるずっと前の話だからね。公然の秘密だよ」

 そう言って兵士は笑った。


 そんな秘密が知れ渡っているとは、今の今まで知らなかった。知らない方が良かった。今日これから、どんな顔をして城内を歩いたらいいのかわからない。

 赤面したまま、三杉は途方に暮れた。


「何だ、結局両思いだったのか。お互いに一目惚れしてんなら世話ねえな」

 三杉は無言で華青の腕をバシバシと叩いた。


 文句を言う華青と、物も言わずに抗議する三杉を放って、兵士は棚から大きな救急箱を取り出した。

「どうした? 怪我か?」

 胸倉を掴まれた華青が訊いた。

 兵士は中からあれこれと取り出しながら答えた。

「大したことないけどね。掠り傷だよ」

 そう言って消毒液を手に取り、左腕に垂らした。

 肘から手首にかけ、長く細く血が滲んでいた。

「華青の友達、結構やるね。本気でかかってこられたらこんなのじゃ済まないかも」

 どうやらルニーにやられたらしい。

 いつの間にか兵舎に入り込んで、若い兵士と手合わせをしていたようだ。

「あいつ、ほんとに忙しそうだな」

 言いながら華青は三杉を突き飛ばして脱脂綿を手に取り、兵士から消毒液を奪い取ってしみ込ませた。

「ほら、やってやる」

「いいよ。これで十分」

「いいから」

 赤い筋のついた腕を強引に掴み、血を拭き取るようにそっと傷口をなぞって行く。


 突然控室の扉が吹き飛びそうな勢いで開かれ、三人とも飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。

「ちいちゃん、大丈夫だった!?」

 ルニーだった。

 血相を変えて飛び込んできて、手当をされている兵士に体当たりしそうな勢いで飛びついた。

「ごめんねぇ。一瞬、気合入っちゃって」

「大丈夫。これくらい何ともないよ」

 兵士は笑って言ったが、ルニーはごめんね、ごめんね、と纏わりついた。

「邪魔だ、ルニー。手当てができない」

 そう言われると、ルニーは大人しく離れた。しかし心配そうな表情だ。


「お前はいつの間にここに入り込んだんだ?」

 ルニーを追い払って手当の続きをしながら、華青が問うた。

「ちょくちょく来てるよ。手合わせに参加させてもらってるんだ。ね、ちいちゃん?」

「うん。ルニーに練習相手になってもらってるんだよね。力の差があり過ぎて相手にもなってないけど」

「そんなことないよー。ちいちゃんはこれから伸びるんだよ。筋がいいからもうちょっと訓練すればすぐ上達するよ」

 ちいちゃん、と呼ばれた若い兵士は、照れたように、でも嬉しそうに笑った。


「その、ちいちゃん、ってのは何だ?」

 血を拭き取った脱脂綿を机の上に放り投げて、華青が言った。

「ち、何とかかんとかって名前だから、ちいちゃん」

「何も言えてないじゃないか」

「だって長いんだもん」

 だもん、とか言うな、という華青の叱責に、ルニーは膨れっ面をする。いい歳をした男が膨れっ面をするな、とまた叱られれば、あてつけにパンパンに膨らせてみせる。その頬を指で突くと、ぽん、と唇から空気が漏れた。華青は腹を抱えて笑った。

「お名前は何と言うんですか? すみません、私も知らなくて」

 三杉が申し訳なさそうに訊ねれば、兵士は気を悪くした風もなく笑顔で答えた。

「チゼルウィットです」

 ルニーは傍らで、ほら、と得意げな顔をした。

「言うほど長くないだろうが」

「えー、長いじゃん。ちいちゃんのほうが呼びやすいし、簡単だよ」

 ひと様の名前を何だと思っているのだろうか。

「みんなチゼルって呼ぶんだ。だからルニーも好きに呼べばいいよ」

 笑顔のままのチゼルウィットは底抜けにいい奴らしい。

「だよね。華青が余計なこと言うから面倒になるんだよ」

 人の良さにつけ込むルニーは強かだ。

 それに騙されないのは、付き合いの長い二人である。

「お前は少し遠慮を覚えろ」

「失礼だろう?」

 ルニーは当てつけるようにチゼルウィットと肩を組んだ。

「遠慮なんかしてたら仲良くなれないじゃん」

 ねー、とチゼルウィットに同意を求めれば、彼はうん、と大きく首を縦に振った。

 確かにルニーの強引なまでの明るさ、親しみやすさは場を和ませる。乾いた空気を吹き飛ばして、そこに潤いを与え、たくさんの花を咲かせる。それは可愛らしい姿と相まって、誰もがルニーに好感を持つ。

「僕、みんなと友達になったんだ。ちいちゃんでしょ、こうちゃんでしょ、てっちゃんでしょ、ミンでしょ、まだいっぱいいるよ」

 指折り数える友達の、誰ひとりとしてわからなかった。三杉は近衛兵全員の名前を知っているわけではなかったから、わからなくても仕方がなかったが、その一員として兵舎に寝起きしている華青にすら、誰が誰なのかわからなかった。

「そんなに長い名前の奴がいるわけじゃないよな?」

 確信を持って訊くと、ルニーは頷いた。

「聞いたけど忘れちゃった」

 てへ、と殊更可愛らしさを強調して笑った。

「お前は姫様といい勝負だな」

 自身もなかなか覚えてもらえなかったという経験を持つ華青は、二人に妙な共通点を見つけてうんざりした。


「姫様と言えばさ」

 ルニーが思いついて話題を変えた。

「ここで働かないかって誘われちゃった」

 やはり破流姫はルニーを手放すつもりはなかったようだ。華青を本人の承諾なしに側近にすると決めつけたように、ルニーにも何かしらの役目を請け負わせたらしい。

「え、ルニーも近衛隊に入るの?」

 チゼルウィットが驚いて、でも嬉しそうに言った。

「ルニーも、って何だ。俺は違うからな」

 華青の抗議には純粋に驚いたようだ。

「え、だって、華青は姫様の護衛兵になるんだろ? それで今、訓練してるって聞いたよ?」

「誰にだ?」

「隊長に。兵士全員を相手にして打ち勝ったら、晴れて護衛兵になれるって。だけど俺には勝てないだろうよ、わっはっは、って笑ってたよ」

 華青は急に立ち上がり、チゼルウィットの胸倉を掴んで引き上げた。

「くっそぅ! 絶対お前をぶちのめす!」

 ルニーも三杉も慌てて華青に飛びつき、口々に宥めたり罵ったりしながら、息を詰まらせているチゼルウィットを救出した。

 苦しげに咳き込む彼の背中を、ルニーが優しく撫でる。

「何でちいちゃんに八つ当たりするのさ!」

 ルニーが怒るのも当然である。だが、華青の頭に一瞬で昇った血は理屈ではないのだ。

「許せ。華青もわざとじゃないんだ。な?」

 三杉があいだに割って入ってチゼルウィットを庇いつつ、ルニーの怒りと華青の怒りを、その体で遮断した。

「ちいちゃんが言ったんじゃないんだからさ、首絞めることないじゃん」

「悪かったって。見境なくなったんだ。悪気があってやったわけじゃないから。色々思うところがあってつい手が出ただけだから」

「つい、で殺されちゃ堪んないよ」

 ねぇ? とチゼルウィットに同意を求めれば、彼はうん、とも言えずに乾いた笑いを零した。

「華青もほら、落ち着いて座ろう」

 目つきの険しい華青を座らせると、それだけで肩から力が抜け、

「すまん」

 と眉間に皺を寄せたまま謝った。

 チゼルウィットは首を擦りながら、

「ううん。俺も悪かったよ。華青、悔しがってたもんね。無神経だったよ」

 三杉はチゼルウィットの器大きさを目の当たりにして感動すら覚えた。ルニーもそう思ったのか、しきりに彼を誉め、慰め、暴力を振るった華青をこき下ろした。


「それでお前、姫様の提案には乗るのか?」

 いくらかまだ憮然としたまま、華青はルニーに言った。

「兵士の話? 乗るわけないじゃん」

 ルニーはチゼルウィットを労わりながら、空いている椅子に座らせた。

「僕が勤め人とか、ありえないでしょ。旅暮らしが性に合ってるし」

 ルニーの意見も華青と同じようだ。しかしそうだとしても、破流姫は大人しく引き下がるはずもない。華青を軟禁しているように、恐らくルニーも今、軟禁状態なのかもしれない。

「そう姫様に言ったらさ、お城に詰めてなくてもいいって言うんだ」

 城にいなくて兵士が務まるのか?

 それを口にした華青に、ルニーは面白そうに言った。

「行く先々の情報を知らせればいいって。遠くの国のことって全然わからないでしょ? そういうところの国の様子とか、国民の関心とか、王様の評判とか、いろいろ見聞きして欲しいって」

「つまりは諜報活動をするってことか?」

「そう大げさなものじゃないけど、見える範囲で見てくるの。行けばその街とか国の雰囲気ってわかるじゃない? そういうこと」

 俺もやる! と華青は勢いよく手を挙げた。

「華青は駄目だよ。姫様の護衛でしょ?」

「護衛なんかしない。三杉がいる」

「三杉は旦那様なんだからもっと駄目だよ」

 旦那様はしない、と三杉も手を挙げたかったが控えた。


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