第15話
何か所も縛りつけてある紐を順に解いていく。呼吸が楽になったのか、顔色が戻ってきているように感じる。最後に毛布を剥ぐと、皺しわの服がまとわりついた棒のような体が現れた。
皺を伸ばしつつ身形を整えてやると、ルニーはゆっくりと両腕を上げ、手の指から足の爪先まで一直線に全身を伸ばした。
「ふあぁ。伸び伸びするぅ」
気の抜けるような感想を漏らし、ついでに大きく欠伸をした。ふう、と空気が抜けると、細く目を開けて側にいる三杉を見た。
「あ、三杉がいる。一緒に死んじゃった?」
どうやら寝惚けているらしい。
「何言ってるんだ。気分はどうだ?」
「気分? んー、そんなに悪くないよ。何か楽になった。死んだからかなぁ?」
死んだと思っているわりには暢気なものだ。なぜ、何がを通り越して、死後の状況をあっさり受け入れているように見えた。
精神的にかなり強いと見えた。三杉ではまず取り乱すだろう。
「お前は死んでなんかいない。解放されたんだ」
「えー。だって天使ちゃんがお迎えにきたんだよ。すっごい美人の。どこに行ったの、僕の天使ちゃん……あ、いたいた」
破流姫を見つけて嬉しそうに差し伸べた手を、三杉は力づくで押さえ込んだ。
「死んでないって。お前はぴんぴんしてる。あの方は破流姫様だ」
「はるひめさま……?」
妙な発音で破流姫の名を口にし、ルニーはじっと見つめた。破流姫も表情すら変えずに見返した。
そうして見つめ合っていたが、不意にルニーは三杉に視線を移した。何か言いたそうに見えたが、口を開かず、また破流姫に目を戻した。
そして叫んだ。
「えー! ほんとに本物!? 破流姫様って、あの破流姫様でしょ!?」
大きな目を零れんばかりに見開き、そして慌てて身体を起こそうとして手が滑り、ソファから転げ落ちた。
「落ち着け。そして騒ぐな」
「だって、だって、本物の破流姫様だよ!?」
ルニーは床に座り込んだまま、呆けた表情で破流姫を見た。
「はぁ、きれー……天使もびっくりの美しさ」
地獄の使いなどと失礼極まりない台詞を吐いたことは頭にないようだった。
しばらくうっとりと破流姫を眺めていたが、何かを思いついて三杉を振り返った。
「三杉が一目ぼ、ぐぅ」
全て言い切る前に口を塞いだ自分の反射神経に、我ながら感心した三杉だった。
「姫様はお前を探していたそうだ。それをギルドに依頼したら、指名手配なんて大ごとになってしまったそうだ。何か罪を犯したからとか、それで罰せられるとかではないから安心しろ。わかったか?」
口を塞がれたまま、ルニーはこくりと頷いた。しかしその目はやっぱり何か言いたげで、このまま手を離したらロクでもないことを言いそうだと思い、
「騒ぐなよ」
と遠回しに釘を刺してから手を離した。
「じゃあさ、僕に何か用があったんだね」
騒ぐなと凄まれたからか、ルニーは囁いて訊ねた。
「特に用はないんじゃねえか?」
破流姫に蹴散らされた先で胡坐をかいていた華青が言った。
三人が三人とも破流姫に目を向け、説明を待った。
「用もなく呼びつけるわけがないだろう」
破流姫が少々ムッとして不愉快そうに言った。三杉はやっぱり、といった風に安堵して笑みを零した。
が、期待は一瞬で泡と消え、代わりに重い脱力感が圧し掛かった。
「ギルド公認の最強三人で私の周りを固めれば、私は最強の力を手に入れたも同然だ。太刀打ちできる者などそうはいないだろう?」
破流姫は満足気にフフフと笑ったが、男三人は何も反応しなかった。三杉に至っては目眩を感じたのか、一瞬頭を揺らめかせた。
くだらないというか、馬鹿馬鹿しいというか、何の意味があるのかまったくわからない理屈に誰も言葉が出なかった。
ギルド所属の最高クラスの三人ではあるが、それを認めたのはギルドであって、そこは単なる職業斡旋所に過ぎない。最高クラスとは良く言ったもので、世界で認められた最高にして最強の剣士などではないのだ。事実、華青は近衛隊長に全戦全敗しているわけだし、三杉もそんな華青には敵わないと認めている。ルニーとて逃げる隙も見つけられずにここまで連行されている。
確かに腕に覚えはある。だが、胸を張って自慢するほどでもない。
「あのー、姫様」
せっかくの機嫌の良さを損なわないよう、三杉は遠慮がちに恐る恐る言った。
「最強、というのは少々語弊がありまして、我々はどんな仕事でもこなします、という意味で上にいるのであって、誰よりも腕が立つ、という意味では……ない、の、ですが……」
説明の語尾は小さく消えて行った。
期待を裏切るのは空恐ろしいものがあり、三杉はちらちらと破流姫を盗み見するしかできなかった。
しかし破流姫は思ったほどの反応は見せなかった。
「何でも、ということは、どんなに危険でも、だろう?」
「……えぇ、まぁ……」
それは死と隣り合わせでも、と解釈できるが、世の中、それほど危険な依頼などそうそうない。ときには戦争に駆り出されることもあるが、所詮は傭兵。前線に立つことなどないのだ。
「剣以外も無難にこなせるのならなおさらいい」
何を考えているのやら、にんまりと笑った。
三人は押し黙って、それぞれ遠くを見た。
三杉はもう慣れている。華青も今や慣れつつある。初めて対面するルニーは、恐らく脳内で葛藤しているのだろう。世に聞く噂の破流姫像と、目の前で満足気に笑う本物の大きな違いに。
ぺたりと座り込んだ姿はあどけない少女のようで、破流姫は正面にしゃがみ込んでその頬をおもむろにつついた。
「しかし、どう見ても可愛らしいな。本当に男か?」
ルニーは褒められてるか貶されてるのかわからず、とりあえずヘラリと笑って見せた。
「俺より年上だぞ。可愛げも何もない」
それを聞いて破流姫の手が止まった。わずかに目を開き、三杉が見れば明らかに驚いているのがわかる。
しばらくそうして笑顔のルニーを見つめていたが、幾度か瞬きをしてほぅ、と感嘆の声を上げた。
「侍女の格好をさせて潜り込ませるのもいいな」
また頬をつついて、そう不穏な発言をした。
「姫様、危険なことはおやめ下さい」
言っても意味がなさそうだが、言わずにはいられなかった。
「破流姫様の侍女ならやってもいいなー。いてっ」
余計な口を、後頭部を叩いて閉じさせた。
「ところで姫様、ルニーをどうするのですか? それから、連れてきた者たちも」
あぁ、そうだな、と言いながら破流姫は立ち上がり、三杉に指示を飛ばした。
「労ってやらねばならない。料理と酒を用意しろ」
◇
破流姫は恐らく、食堂に入れる数人を予想していたに違いない。城の食堂なら全員が入れないでもないが、大勢の流れ者を城の中へ入れるには不穏過ぎたし、むさ苦しい男たちで蠢く華麗な食堂、というのは絵的にもまずいものがある。無作法な者たちが宴を楽しめる場所といえば、客室に面した広い庭が最適だった。
そこに飾り気のない料理と大量の酒が運ばれる。男たちは招待されたにもかかわらず、全員で宴の準備を手伝っていた。中には一足先に酒や料理に手を出す物もいて、ちょっとした騒ぎまで起こしていた。
準備が整い、あちこちで腹の虫が鳴り響く。それでもまだ宴は開始の合図がされていない。耐え切れずにそっと伸びる手を誰かが払いのけ、胸倉を掴むまでの諍いに発展する。料理は温かな湯気と食欲をそそる匂いを立ち上がらせ、瓶に入った酒は燈された灯りに魅惑的に輝いた。
「何で食えないんだよぅ。見せびらかすだけか?」
「もうちょっと待てって言われただろ?」
「いつまでだよ? 腹減って死にそうだよ」
「とっておきの何かがくるのかもしれん」
「何だよ、とっておきって?」
「肉か? 牛の丸焼きとか」
「おぉ! いいな、それ!」
「俺は樽ごと酒が飲みたい」
「ひとりひと樽でどうだ?」
「それもいいな!」
空腹を紛らわせるためにわいわいと妄想で盛り上げっているところに、華青が顔を出してみんなを黙らせた。
「お前たちの苦労を姫様が労ってくれるぞ。今日は大いに食って大いに飲め!」
その言葉にうねりような歓声が上がり、我慢を強いられていた男たちは我先にと料理を掴み、酒をあおった。
そこへ可愛らしい少女が、酒ー! と可愛くない台詞を吐いて飛びこんで行った。
「お、ルニー。お前、処刑されたんじゃなかったのか?」
口一杯に食べ物を入れた男がくぐもった声で言えば、隣の男も気づいて、
「生きてたのか、お前」
と片手に握った肉を齧りながら言った。
ルニーはグラス一杯の酒を一気飲みし、親父臭い一声を発して上機嫌に笑った。
「何馬鹿なこと言ってんのさ。僕があまりに可愛いから、姫様が会ってみたかったんだって」
「お前、破流姫様に会ったのか!?」
「もちろん」
自慢げに顎を上げてフフン、と笑い、そしてお代わりの酒を自分でなみなみと注いだ。
「くっそぅ!、羨ましい奴め!」
「どんなだった? 美人だったろう?」
「そりゃあ、もちろん。天使みたいに綺麗だったよ。見惚れちゃって声も出なかった」
「姫様は俺たちのこと、何か言ってたか?」
「んー、別に。労う、みたいなことは言ってたけど」
ルニーは煮込み料理を器に山盛り入れて、ガツガツと男らしく掻き込んだ。




