第1話
酔客で賑わう酒場の一角に、あまりにも場違いな人物が一人。
大柄で屈強そうな男たちに挟まれて、小さな背中の女の子がカウンター席に座っている。
大振りのレースのリボンで結ばれた、柔かそうな栗色の髪。一本の三つ編みにされたそれが左右を振り向くたびにパタパタと跳ねる様が可憐だ。足は辛うじてつま先だけが床に触れて、時折子供のように大きく振り動かしている。
目の前には似合わない大きなジョッキ。それを両手で持って、豪快に半分を平らげた。
ご機嫌で大笑いしているのは、酒のせいだろうか。頬はバラ色に色付き、酒に濡れた唇は赤く熟れている。
何が可笑しかったのか、カウンターを叩いて笑い崩れる。周りもどっと沸いて、一見場違いに見えた彼女――いや、実は『彼』は、この場にしっくりと馴染んでいた。
彼の足元には二本の細身の剣が立て掛けられている。その業界では知らない者はいない、その戦い振りから『舞姫』とあだ名される彼の右耳には、一粒のダイヤが光っている。
「よう、ルニー。こんなところにいたのか」
酒場に入ってきた三人組の一人がカウンターの彼に声をかけた。
その声に振り返ったルニーは、三人を見て片手を挙げた。
「やあ、久し振り。生きてた?」
「まだなんとかな。お前は相変わらず元気そうだな。外まで聞こえてたぜ、お前の馬鹿笑い」
男がそう言うと、ルニーはその原因を思い出したのか、また笑い出した。
「だってさ、今日の……くふふふ」
「あのネコ……ふははは!」
「尻尾にな、ひゃははは!」
そうして皆一斉に腹を抱えて大笑いした。
来たばかりの男三人は笑いの波に乗れず、取り残されて不思議そうな、不可解そうな顔で周りを見ていた。
すぐに飽きて一人が空いたテーブルを確保しに離れ、もう一人はカウンターの端によって店主に注文をした。残った一人は辺りの馬鹿笑いがやや収まってきたころに口を開いた。
「随分楽しそうだが、ルニー、こんなところで飲んだくれてていいのか?」
ルニーはひとしきり笑って疲れたのか、大きな溜め息を吐いてから目尻に溜まった涙を拳で拭い、男に目を向けた。
「お前、指名手配されてたぞ?」
そして笑顔のまま固まった。
その反応を見て、男は面白そうににやりと笑った。
「何やらかしたんだか」
ルニーは大きな目をさらに見開いて男に飛びついた。
「何で!? 何で指名手配!? 僕、何したの!?」
「知るかよ。ギルドに行かなかったか? カラス便、飛ばしてるらしいぜ」
カラス便とは、各国のギルドに緊急の知らせを届ける手段である。大きなカラスの足に通達事項を括りつけて飛ばし、全ギルドに知らせが届くのにたったの三日という速さだ。これは滅多にない緊急事態を知らせる手段で、通常はギルドを訪れる旅人達の手で、好意によって運ばれるのである。
「カ、カラス便……」
その意味を知って、ルニーはふらりとよろけた。
「おい、それはいつの話だ? ギルドに行ったがそんな話は聞かなかったぞ?」
カウンターの一人が声をかけた。
「ついさっきだ。ちょうどカラスがいたから訊いてみたら、ルニーを探してるってさ」
「誰が?」
「エトワだとよ」
人ではなく国の名前に、一瞬気まずい空気が流れる。
個人が捜しているなら、特別な何かの用があるのかもしれない。しかし国として捜しているのなら、何か重大な一件に係わっているのだろう。それも緊急を要するような由々しい何かに。
「お前、何したんだよ?」
憐れむような表情の隣の男に、ルニーは縋るようにしがみついた。
「し、知らないよ。エトワなんて半年くらい前にちょこっと通っただけだよ」
「そのときに何かやらかしたんだろ」
「知らないってば。通っただけなんだから」
「じゃあ、何で指名手配されてんだ、カラス便まで使って?」
「僕が訊きたいよ」
泣きそうなルニーは可愛さも相まって子供のように庇護欲を掻き立てるものだったが、誰も救いの手を差し伸べる者はいない。可愛らしいとはいえ、ルニーは正真正銘の男だったし、ギルドが抱える傭兵の頂点に立つ、ダイヤのクラスを持つ者だからだ。
それ以前に、国から指名手配をされる犯罪者に手を貸して、とばっちりを受けるのは真っ平だというのが本音だろう。
「懸賞金は掛かってるのか?」
憐れんでいた男が手のひらを反してそう訊くと、ルニーは目を吊り上げて食って掛かった。
「何それ!? お金と引き換えにする気!?」
「いやぁ、そう言うんじゃないけど、いくらかなー、と思って」
へへへ、と笑って誤魔化す男の太い腕を、小さな拳でがつがつと殴った。
「エトワと言えば」
横から別な男が割って入った。
「あの破流姫様の国じゃないか?」
知らない者はいない、世界で有名な美姫だ。楚々として可憐で、父王を立派に補佐する聡い姫だ。
「あぁ、そうだな。あそこは平和な国だって聞くぞ? 実際、いいところだったし」
「俺も行ったことある。あんまり大きくないけど、田舎って言うほど鄙びてなくて、気候もいいし、人も親切だった。さすがに破流姫様には会ったことないけど」
「俺たちみたいなのが会えるわけないだろ」
「でも一目見てみたいよな。噂の破流姫様」
俺も俺もと沸く中、ルニーのやや自慢げな声が男たちを鎮めた。
「僕はちょっとだけ見たことあるよ」
殴り続けていた男の上着を破りそうな勢いで引っ張りながら、フフンと鼻を鳴らした。
「いやぁ、綺麗だった。さすが噂になるだけあるよ。あんなに綺麗な人、見たこともない。大人になってもっと色気が出てくれば、とんでもなく美人になるだろうなぁ」
嫉妬と羨望の眼差しを意識しながら、ルニーは得意気になって言った。周りから、羨ましい、何でお前ばっかり、などと聞こえてくれば、鼻も高々だ。その中ではっと息を飲んだのは、ルニーが掴みかかっている男だ。
「おい、半年前ってことは……」
殴られ放題の男が胸元にルニーをぶら下げたまま、幾分声を落として言った。
「腹が目立って隠し切れなくなったんじゃないのか?」
その意味するところを察してその場にいた全員が凍りついた。当の本人だけはわからない顔できょとんとしていた。
「おい、マジかよ!? お前、何て大それたことしたんだ!」
「信じらんねぇ! あの破流姫様を……!」
「ルニーも立派に男だったんだな」
「お前、そりゃあ指名手配にもなるわ」
みんなに避難される意味がわからず、ルニーは唇を尖らせて膨れた。
「何だよぅ。僕が何したって言うのさ?」
苛立たしげにまた太い腕をゴンゴンと殴る。そして殴られるままの男が言った言葉に手が止まった。
「お前、破流姫様を孕ませたんだろ?」
ルニーの大きな目が更に大きくなり、ぽかりと開いた口は顎が落ちかけた。
「破流姫様と会った時に口説いたんだ」
「その顔を悪用したんじゃないか?」
「時々、酒場で知らない男にたかってるもんな」
「それにしても破流姫様って……」
「世界を敵に回したな」
「簡単には処刑されないぞ?」
「ムチ打ちにされて馬で引き回し」
「そのあとはりつけにして野鳥の餌」
「牢屋で飼い殺しとか」
「くたばった後は海に放り込んで魚の餌だな」
それとも野犬の餌がいいか、と餌談義に発展しかけた男たちの間に割って入り、ルニーは怒鳴った。
「待て! 待て待て! 誰が孕ませただって!? 僕は通りがかっただけで、破流姫様には近づいてもいないよ!」
「嘘吐け。破流姫様と会ったって、自分の口で言っただろうが」
「ちょっと見たことあるってだけで、近くになんて寄れもしなかったよ! 遠くから豆粒みたいな姿見ただけだよ!」
「じゃあ、何で美人だってわかったんだ?」
「そうだ。そもそも、豆粒みたいな姿が何で破流姫様だってわかるんだよ? よそのお姫様かもしれないだろ?」
至極当然の疑問に、ルニーは不貞腐れて白状した。
「周りが破流姫様だって騒いでいればそうだと思うじゃないか。破流姫様なら当然美人だろうし。そんなの、世間の常識だろ?」
蓋を開けてみれば、自慢にもならない適当感だった。
酒場が一気に白けた。
「じゃあ、どうやって孕ませたってんだ?」
誰かが話を元に戻すと、ルニーはその男に向かって怒鳴りつけた。
「そもそもそれはお前たちが勝手に作った話じゃないか!」
あぁ、そうだった、と全員が我に返った。
「それじゃ、何でエトワがルニーを探してるんだ?」
うーん、と誰もが首を捻った。
「エトワってことは、やっぱり王様だろうな」
「だな」
しばし各人が頭の中で考え巡らして無言になる。とは言え、日頃から頭を悩ますことのない傭兵たちだ。すぐに思案を放棄した。
「きっと褒美はすごいよな?」
自分の利益には鼻がよく利くのも、この男たちの特徴である。
「確か」
話を持ってきた男が斜め上を見上げながら言った。
「賞金はわからないけど、城で宴を開いてくれるんじゃなかったかな。そのときに破流姫様から直々に言葉がもらえ――」
「待て、ルニー!」
「捕まえろ!」
話の途中でルニーは、小さな体をさらに小さく屈めて、一目散に男たちの間を擦り抜けて行った。腕にはしっかりと愛用の剣を抱えて。
大柄な男たちは椅子を倒し、テーブルにぶつかりながらルニーを追って行った。
一瞬でガランとしてしまった酒場で、三人だけが悠長にテーブルを直し、椅子を戻して席に着いた。
「なぁ、俺たちも行かなくていいのか?」
「俺も破流姫様と会ってみたい」
「大丈夫だって」
寡黙な店主が持ってきた大ジョッキを煽ってから男が言った。
「どうせ今捕まえたって、連れて行くのは明日の朝だ。そのときに合流すればいい。捕獲と監視はあいつらに任せとけ」
「そっか」
二人の男もそれで納得し、酒を豪快に煽った。