前編
つい書いてしまいました。短編〜中編程度の長さです。
「くそ……」
気力だけで動かしていた短い足にもはや全く力が入らないことを確認して、俺は小さく悪態をついた。こんなにもボロボロになったのは久しぶりだ。理由は単純、俺は縄張り争いに負けたのである。
「あいつら、うじゃうじゃと寄ってたかって襲ってきやがって……」
俺は群れを作らずに生きる種、奴らは群れで協力して生きる種。単体なら確実に俺の方が強かった。だが、群れのオス数体で囲まれたら防ぎきることなどできなかったのだ。ボロ雑巾のようになった体を引きずって逃げ出し、本来の誇り高き姿を保つだけの魔力も足りずにガキの頃の貧相な姿になって必死で山を降りた。今の俺は体長30センチもない、そこらの犬っころ以下の情けない体格だ。そこまで消費魔力を節約して走った結果何とか山を降りることには成功したが、強い魔物の生息域を出た時点で力尽きてこの場に転がっている。
「今なら草食獣にも殺されそうだっての、笑えねぇ……」
強い魔物がいなかろうと、正直関係ない。こんな状態では、弱い魔物にだって殺される。
先ほどから意識が定まらない。すうっと遠のいては何とか取り戻すことを繰り返しているが、そんな綱渡りが長く保つはずもない。ぼんやりとした視界に、鈍い聴覚。嗅覚だけは何故か鋭敏で、あいつらの返り血と自分の血、それから土と植物のにおいをしっかり感じ取っているが、それだけだ。
今目を閉じたら、きっともう開く時は来ないだろう。そう思いつつも、重たい瞼と戦うことに俺は疲れてしまった。もういいや、と、そんな俺らしくない諦めを抱きながら、俺は静かに目を閉じたのだった。
暖かい、と思った。疑問を覚えることもなく、俺はゆっくりと瞼を持ち上げる。そして、固まった。……どこだ、ここ。
薄汚れていた体は洗われて、怪我には治療が施されている。俺は丸めた清潔な布の中に埋まるようにして寝かされていた。体はチビのままだ。一瞬で意識が覚醒して、キョロキョロと周りを見回す。ここは屋内、しかし同じ部屋の中に生き物はいないようだ。残されたにおいと状況から考えるに、俺は……
「人間に、拾われた?」
そんで助けられたのか? そういや俺が気絶したのは人里近くだったような気もする。必死で状況を思い出していると、ふいに扉が開いて人間のオスが一匹、顔を覗かせた。突然過ぎて隠れることもできなかった俺とそいつは、しばし無言で見つめ合う。
驚いた顔をしていたそいつの表情はどんどん緩んでいき、やがて満面の笑みになってパタリと後手にドアを閉めた。
「良かった、目が覚めたんだ。ほんとにどうなることかとヒヤヒヤしたよー」
「……俺は、死にかけてた。お前が助けたのか?」
質問すると、そいつはピタリと動きを止めた。後ろのドアを確認し、隠れる場所なんてない部屋の中で左右を見回す。最後に俺の方を見て、指をさした。
「しゃべった⁉︎」
「悪りぃかよ」
「うわー、ひょっとして高位の魔物の幼生とかなの? 参ったな」
「何がだ?」
高位の魔物の幼生。幼生……。まあ当たりっちゃ当たりだ。今、魔力がなさ過ぎてガキの姿だからな。
「お前の親とかに勘違いされたら俺、簡単に殺されるじゃんか」
「俺を拉致したとか怪我させたとかいう勘違いか? 親なんていないから安心していいぞ」
何年も前に親離れしたわ。
「あれ、そうなのか」
「そうだ。……それより人間。お前、何で俺を助けた?」
「お前が助けてくれって目で俺を見たから」
「はあ?」
記憶にないことを言ってくる人間の話をまとめると、こうだ。
人間は騎士養成学校の学生。俺が死にかけた例の日は偶然町の外で、授業の課題の植物採集をしていた。せっせと目的の植物を探していたら、茂みの中から弱々しい鳴き声が聞こえてきたそうだ。何事かと思って見てみたら、血まみれの薄汚い犬っころの変種のような姿をしたちっこい魔物……まあ、大変不本意ながら俺が、転がっていた。俺は最後に弱々しく一声鳴くと、縋るような目でこの人間を見つめてからぐったりと動かなくなってしまったらしい。明らかに魔物の子供っぽい俺の扱いを人間は少し迷ったが、結局見捨てられずに拾って帰って今に至る、と。
「なるほど、お前は馬鹿か」
「助けてもらっといてそれはないんじゃないかな、ねえ! 俺頑張ったんだよ? お前怪我してるし!」
「魔物を無防備に連れ帰って、俺が助けられたこともろくに理解できないような馬鹿だったらどうするつもりだった。せめて拘束くらいして転がしておけばいいものを、それすらもなしかよ馬鹿が」
「ねえなんでそのセリフを吐きながら毛布甘噛みしてんの尻尾振ってんの」
「毛布ってのか、柔らけぇなコレ気に入った」
尻尾は正直無意識だったので意識して止めた。
「ああああもう、自由かよお前」
「おい人間」
「いや人間じゃなくて、俺カナタっていうんだけど。何?」
「名前を聞こうとしただけだっての用なんてねぇよバカナタ」
瞬時にバカナタという単語を思いついた自分の頭に拍手だ。
「バカっ……。お前は何て言うの?」
「俺? ……ナギ?」
「何で俺に聞くの」
「名前なんて久しぶりなんだよ。確かナギで合ってたはずだ」
そう言うと、カナタは何故か哀れむような顔をした。何だよ哀れまれるようなことは何もねえぞ。
「カナタ」
「ん?」
「礼を言ってなかったな、感謝する。ただし、情けなく助けを求めた記憶なんて俺にはない。これっぽっちもない。お前が勝手にやっただけであって、感謝はしているが俺が頼んだわけじゃねえからそこは勘違いするなよ」
「……ははっ、はいはい」
「てめえ今なんで笑いやがった」
グルル、と唸る。本来ならカナタ程度の人間なんてビビって動けなくなるはずなのに、ガキの姿の俺では威厳も威圧感も何もかも足りないらしく、カナタはニヤニヤ笑いを崩さない。おい威嚇されてんだぞお前。俺に威嚇されてんだぞ。
「ナギ、お腹すいてない?」
「すいてる」
「即答だね。何が食べられる?」
「肉。……別に穀物でもいいが。葉っぱやキノコは嫌だ、あれは食いモンじゃねぇ」
「好き嫌い良くないね。よし、葉っぱかな」
「ざけんなテメェ」
カラカラと笑いながら、おとなしく待つように言い残してカナタは部屋を出て行った。……救いようのない大馬鹿かよ。俺は魔物だぞ魔物。俺を一匹で置いていったら、致命的な何かをするかもしれないだろうが。例えば炎を吹いて火事にするとか。俺は火魔法は使えないけどな。
「……あーくそあの馬鹿が」
ああそうさ、魔力があり余ってたってしねえよ破壊活動なんざ!
丁寧に洗われたらしい毛皮がこんなにふかふかなのも寝床がこんなに暖かくて清潔なのも初めてだよ馬鹿野郎。しかもあいつ、当然のように食料を提供しようとしてねーか。仇で返せるわけねーだろうが。
毛布で丸まって待っていると、すぐに戻ってきたカナタが持っていたのは、焼かれた肉にスープだった。
「……やけに準備がいいじゃねえか?」
「え? あ、うん。ここ、学校の寮だからね。食堂もついてるんだよ。従魔がいる人も多いから、魔物用の食事もメニューにあるんだ」
「……寮だったのか。言われてみれば、お前のサイズからしたらどことなく狭いなこの部屋」
そういえば騎士養成学校とか言っていた。カナタは若い男だし、体格もそれなりにいい気がする。人間の個体差を見分けるのに自信はないがな。
「それでもこの広さで二人部屋だからね、本来は。今は生徒と部屋数の関係で、運良く一人で使ってるけど」
「そうか。まあどうでもいいや。カナタ、メシ」
「なあナギ、俺の扱い雑すぎないかー?」
言いながらもカナタはトレーを持ったまま近付いてきて、俺の隣に腰を下ろした。
「ん? カナタ、お前の分は?」
「俺はあとでいいや」
トレーを床に置き、カナタは突然俺に手を伸ばしてきた。今のサイズからしたらとても大きい手が覆い被さるように来るものだから、俺は反射的に噛んでしまった。手は驚いたように引っ込んでいく。
「……痛って」
顎の力もろくにないはずなのに、俺の歯型がくっきりとできたカナタの手からは血がポタポタと垂れる。う、嘘だろ皮膚薄すぎるだろ⁉︎
「あ、わ、悪い。その、びっくりして。き、傷付けるつもりは、その、ごめん、」
しどろもどろになる俺に、カナタは苦笑した。
「いいよ、別に。急に悪かったな。今から持ち上げるけど、いいか?」
「い、いいけど治療してからにしろよその手!」
「んー? 大したことないんだけどな」
血が垂れてるだろうが!
睨みつけていると、カナタは困ったように笑いながら傷の止血をしてくれた。
「よし、今度こそ持ち上げるけど噛まないでなー?」
「か、噛まねえ、けど、なんで持ち上げるんだよ」
「ん? ご飯」
「は?」
カナタの腕は見た目よりも力があるらしく、ちっこい俺の体は簡単に持ち上げられて腕に収まった。カナタはスプーンを手に取ると、スープを一口すくう。
「はい、ナギあーん」
「……はああああ⁉︎ ばばば馬鹿かお前は! 食事くらい自分でするから離せ! 離せ下ろせ!」
「あれ、自力で食べれるのか?」
「食べれるわアホか!」
「でもさっきまであんなにぐったり気絶してたくらいだから本当は辛いんじゃ」
「楽勝だから離せボケが」
渋々といった様子で俺を離したカナタからゲットした食事は、とても美味しかった。正直にそう伝えたら、この馬鹿は嬉しそうな顔をしていた。
「あ、そういえばさ」
「何だ」
「従魔じゃない魔物を寮に連れ込むのって基本禁止だから、騒がないでな? もしバレたら俺やばい」
「はああああ⁉︎」
「騒ぐなって」
いやだってじゃあなおさらなんでこいつ俺を拾ったんだ馬鹿か馬鹿なのか。
「まあ騒ぎを起こしたり、あまりにも明らかな形で教師にバレたりしなければお目こぼししてもらえるから大丈夫」
「お前が馬鹿ということしかわからなかった。本当なんで拾ったよ」
「だって放っておけなかったんだよ、あんな目で縋られたら」
「縋ってねぇよ俺にその記憶はない」
「朦朧としてたんだろうな、無理もない」
なんか悔しい。毛布を甘噛みしていると微笑ましいものを見るかのようにニコニコしてくるのも腹立たしい。本当はこんなチビじゃなくて誇り高き高位魔物なんだと声高に叫びたいが我慢する。こんな体たらくじゃ馬鹿にされて終わりだ。
「ほれ、もう寝ろナギ。傷治すんだろ」
「ふん。さっき起きたばっかで、んなホイホイ寝れっかよ」
「いいからいいから、ホレホレ」
手が今度はゆっくりと地を這うように近付いてきて、ケツの辺りをポンポンと一定のリズムで叩いてくる。あやすようなそれで誰が寝るかよガキじゃあるまいしと思っていた俺が、手のかからないガキ並みにコロッと寝てしまったことに愕然とするのは翌日の朝のことだ。